更新日時 2010年09月19日

 佐渡金山(さどきんざん)は、新潟県佐渡市の佐渡島にある金山である。鉱石は主に銀黒(ぎんぐろ)と呼ばれる石英中に輝銀鉱および自然金の微粒子が脈状に存在するものであった。1601年に金脈が発見されて以来、江戸時代を通して江戸幕府の重要な財源となった。江戸時代初期すなわち慶長から寛永年間にかけての最盛期には金が1年間に400kg、銀が40トン以上採掘される日本最大の金山であり、産銀についても日本有数のものであり江戸幕府による慶長金銀の材料を供給する重要な鉱山であった。なかでも相川鉱山は、江戸幕府が直轄地として経営し、大量の金銀を産出した佐渡鉱山の中心であった。産出し製錬された筋金(すじきん/すじがね)および灰吹銀は幕府に上納され、これを金座および銀座が預かり貨幣に鋳造した。また特に銀は生糸などの輸入代価として中国などに大量に輸出され、佐渡産出の灰吹銀はセダ銀とも呼ばれた。鉱山の労働者の給与水準も高く、周辺の町は大変栄えたという。江戸時代後期には江戸から約1,800人の無宿人(浮浪者)・罪人が強制連行され過酷な労働を強いられたが、これは見せしめの意味合いが強かったと言われる。無宿人は主に水替人足の補充に充てられたが、これは海抜下に坑道を伸ばしたため、大量の湧き水で開発がままならなくなっていたという金山側の事情もある。現在は金の値段と労働賃金がつりあわなく採算が取れないため採掘を中止して、観光施設となっている。坑道の総延長は実に約400kmに及ぶが、そのうち約300mが観光ルートとして公開されており、採掘風景を再現した人形が70体あまり設置されている。
宗太夫坑コース(江戸時代コース)の観覧料。
区  分 個  人 20名様以上 100名様以上
大人(高校生以上) 800 円 / 人 720 円 / 人 640 円 / 人
小中学生 400 円 / 人 360 円 / 人 320 円 / 人
 昭和45年に開設した施設で、江戸時代の佐渡金山を忠実に再現しています。所要時間約40〜50分。坑道(約280m)と第一資料館、第二資料館の見学初めて佐渡金山を訪れる方にお勧めします。
佐渡汽船のカーフェリーおけさ丸。 船内には売店もある。
おけさ丸にはゲームセンターも有る。 3階のフロアー。
救難艇?を積載している。 爆雷ですか?(笑)
カモメがこの後、佐渡の近くまで餌を欲しさについてきます。
貨物のトラックも積み込みます。 それでは出港です。
対岸に見えるのは新潟市歴史博物館みなとぴあです。
佐渡汽船のもう一隻のカーフェリー。 信濃川に架かる柳都大橋。
新潟港を後にする。 おけさ丸のデッキ。
佐渡汽船のジェットホイール。新潟港と佐渡の両津港を約1時間で結ぶ。
おけさ丸の後部甲板にて。 両津港に着いたおけさ丸。約2.5時間。
佐渡金山案内板。
大きな駐車場があります。
坑内案内図。 入口を入り右が宗太夫坑。左が道遊坑。
右側の宗太夫坑は階段を降りて地下へ進む。
佐渡金山の主要坑道と鉱脈。 佐渡金山全体断面図。
 水上輪:江戸前期の承応2年(1653年)に佐渡金山にもたらされた坑内排水(揚水)ポンプ。紀元一世紀の頃、ギリシャの哲学者・物理学者のアルキメデスが考案したアルキメデスポンプが祖型とされている。これを佐渡金山に伝えたのは京都(大阪とも言う)にいた水学宗甫(すいがくそうほ)
 佐渡金山の坑道は、開山から百年たらずで、海面下に至った。坑道が深くなると地下水が多くなり、水との戦いが、採掘量に影響した。1653年には、すでに水上輪が使われていた。水上輪を操作する樋引人夫は高賃金を稼げたので、近隣から農家の次男、三男が稼ぎに来た。坑道が深くなると出水量が増え、排水が必要となる。水上輪などを操作するのが樋引人夫、つるべや手桶で湧水をかい出す重労働をするのが水替人足。水替人足には江戸時代後期に僅かの人数(約90年間で1,874人)ではあったが、江戸、大坂などから無宿人などが送られた。
 江戸時代、採掘坑を間歩(まぶ)、採掘場を敷、鉱石のことを鏈(くさり)と読んだ。間歩を取り仕切る物が山師で、間歩の名は山師の名が付けられることが多い。上下に連なるこの坑道は宗太夫という山師が稼行したもので、江戸時代の姿をよく残していることから、国史跡に指定された。
 水上輪や手繰りの桶で汲み上げた水は、掛樋を通して排水坑道に集められ、坑外に排出されていた。灯火からの油や煙、石粉の立ちこめた坑内に、新鮮な空気を送るために風廻し唐箕が使われていた。照明は、初め松蝋燭や紙燭であったが、天和年間(1681年〜)には鉄製の柄の付いた、「釣」が登場し、携帯用照明として広く使われた。
 佐渡金山では、鑽と槌で鉱石を掘る坑夫のことを金穿大工と呼ぶ。金穿大工は、坑内の労働者の中では技術者として賃金も良く、優遇されていた。採掘は4時間ごとの交代制で、食事や休憩もあり、筵の上で横になることもできた。しかし労働環境は悪く、一般に短命のものが多かった。
 金穿大工は、鑽を上田箸ではさみ、槌で打つ。上田箸は、短くなった鑽をつかむことができ、しかも手元の安全を守ることにも役だった。鑽は2日で1本消費する。短くなった鑽は、坑外の鍛冶小屋に運ばれ再生される。掘った鉱石は、大工頭が品質を確認し、区分けして運び出される。
狸穴(たぬきあな)細い鉱脈をたどりながら掘り進んだ坑道で、やっとくぐれる位の小さなものが多い。
 間切(けんぎり)とは、長さ・幅・高さを決め、見積もりを立てて掘った大規模な探鉱坑道のことで、奉行所が請負業者に発注する。掘られた間切は、発注通りか、またどれだけ進んだかを検査する。この検査を間切改めという。間切改めは諸役人、山師、振矩師で行う。  江戸時代の中頃には鉱石が減少し、一端捨てた柄山(鉱石を含まぬ捨て石)も回収し、粉にし精錬されるようになった。これらは捨石や拾い石を専門に精錬する外吹買石という精錬業者の所に運ばれていった。
 採掘坑道(ひ押坑道)この坑道は、金銀鉱脈(白い石英部分)を追いながら、鏨(たがね)と槌(つち)で掘ったもの。周囲の薄緑色母岩は凝灰岩で、火山灰が凝縮したもの。約3,000万年前のものと言われている。
間歩(採掘坑)の開きの祝い。 外に出るとカメラのレンズが気温差で曇ります。
佐渡金山展示資料館。
 佐渡の金鉱石は白い石英の中に黒の縞の見える物が多い。この縞は銀の硫化物でその中に光っている粒が自然の金である。 蟻の巣(笑)
大きな水車も鉱石の粉成用に活用された。 採鉱の手順。
鉱山の仕事は分業と検査の繰り返し。 海外から導入された技術。
佐渡奉行所と金山の経営。 佐渡奉行所と辰巳口番所の役目。
佐渡金山。 勝場(せりば)と選鉱。
床屋と精錬。 小判は江戸へ。
小判所で鋳造。 鋳貨は後藤役所で。
金山技術と島の生活。 近代化遺産。
 坑道に詰まっている石は柄山(がらやま)金銀分が少ない捨て石のこと。崩落防止のため廃坑に詰め込まれていた。
江戸時代の金貨の復元。
この金塊は12.5s有ります。現在の金価格で約¥4600万円。叫び 監視カメラ目がついています(笑)
佐渡金山 道遊坑へ続く
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佐渡汽船&佐渡金山 宗太夫坑