更新日時 2011年01月11日

 宮浦石炭記念公園は1887年(明治20年)開坑の三池炭鉱の主力坑の一つで、約80年にわたり石炭を産出した宮浦坑跡に整備された歴史公園。現存する煙突は、1888年(明治21年)建造、高さ31.2m、上部直径2.9m、基部直径4.3mで、平成10年1月16日に国登録指定文化財(建造物)として登録された。この公園のシンボルである煙突は「炭坑節」に歌われたモデルとも言われている。また大牟田の各竪坑にそびえ立っていた煙突が残されるのもここだけになっています。現在は宮浦坑跡地の一部が宮浦石炭記念公園として整備され、敷地内には使用されていた坑内機械の展示があります。
 宮浦鉱は、明治20年(1887年)2月開坑し、昭和43年(1968年)の閉坑までの81年間、三池炭鉱の主力坑口の一つとして約4000万トンの石炭を産出しました。ここにある煙突および大斜坑は、石炭採掘と大牟田発展の歴史を物語る重要なメモリアル的建造物であり、日本の近代史、産業史を知る上で極めて貴重な施設です。大斜坑のプラットホームや建造物内には、実際に使用された人車や石炭掘進機などを展示しています。
 展示品「フェースローダー」石炭の層に沿って坑道を掘るとき、ダイナマイトで砕いた石炭をかき寄せ、ベルトコンベーヤーに積み込む機械です。重さは6トンに達するようです。型式MFL-120-S15型。  展示品「サイドダンプローラー」坑道を掘る時に出た土や岩を、積込む機械で、バケットが横に回転します。形式ME632H型。
 展示品「ドリルジャンボ」坑道を掘る途中で岩などにあたった場合に、その岩を砕くためダイナマイトを使用しますが、この機械はダイナマイトをしかける穴を掘る機械です。型式TYCJ-2XE型。  第一立坑跡:立坑は、石炭を掘るために地上から垂直に掘られた坑道です。地上には櫓が作られ、人や道具、石炭を上げ下ろしするための昇降機が、ワイヤロープでつるされていました。この場所にあった宮浦第一立坑は、明治20年(1887年)から使われ、蒸気の力で動いていました。
材料降下坑口跡。  工具車:石炭を掘ったり、坑道を維持するための道具を運ぶ鉱車です。
 坑木台車:掘った坑道の天井や壁が、崩れないように支えるための木材を運ぶ鉱車です。  タンク車:石炭を掘った後、不要になった空間を埋める材料を運搬する鉱車です。
 斜坑は、地上から石炭の層に行くまでの斜めのトンネルで、宮浦大斜坑は、大正13年(1924年)から平成2年(1990年)まで、坑内で働く人や採炭資材など出入口として使用されました。また、人車などは巻揚機のワイヤーロープで動き、掘出された石炭もここから運び出されました。展示品「坑内車両」炭鉱内と地上との人、物資の移動に使われていた車両も展示されています。展示車両には、車掌車、特定車、負傷車、救急車、さらには工具車(文字通り坑内で使用する機械、工具を運ぶ車両)、杭木車(坑内を掘り進める際に、天井や壁が崩れないように支える木材を運ぶ車両、タンク車(石炭をとった後の、不要になった空間を埋める材料を運搬する車両)が展示されています。巻上げ機とワイヤーにて車両は線路の上を移動し、斜坑を坑内の出入口として物資移動を行っていました。平成2年まで使われていた。
車掌車。
普通車。
負傷車。 特定車。
救急車。 宮浦鉱坑口。
1888年(明治21年)建造、高さ31.2m、上部直径2.9m、基部直径4.3m。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮浦石炭記念公園