更新日時 2012年11月24日

 尾去沢鉱山軌道:尾去沢鉱山(おさりざわこうざん)とは、秋田県鹿角市にあった鉱山である。銅や金が採掘された。708年(和銅元年)に銅山が発見されたとの伝説が残されており、1978年(昭和53年)に閉山した。跡地はテーマパーク・史跡 尾去沢鉱山として開業している。鉱脈は500条あり、平均走行延長300m、傾斜延長300m、脈幅0.7m、銅の品位は2.4%であった。坑道を用いる坑内掘りによって採掘が進められ、南北3km、東西2kmの山中に、明治以降だけで700km、江戸以前を含めれば800kmの坑道が、シュリンケージ採鉱法により鉱脈に沿って縦横に掘られた。銅のほか、金、銀、鉛、亜鉛が産出された。1889年(明治22年)に岩崎家に経営が移り三菱財閥が開発を行うようになってから閉山までの産出量は、銅30万t、金4.4t、銀155tと推定されている。1978年(昭和53年)に閉山したが、跡地には選鉱場、シックナー(thickener、濁水から固体を凝集沈殿させる非濾過型の分離装置)、大煙突等が残されている。これらの近代鉱山施設の遺構は土木学会選奨土木遺産や、近代化産業遺産に選ばれている。また、一部は、坑内や鉱山施設の見学や砂金取り体験のできるテーマパーク史跡 尾去沢鉱山となっている。2007年には日本の地質百選に選定された。採掘された鉱石は、坑道の下部より抜き取られ、鉱車に積み込み立坑へ運ばれます。立鉱では鉱車を1台ごとにエレベータ(ケージという)で巻揚げ通洞坑を経由して坑外の選鉱場へ送られました。鉱車の牽引には、主に蓄電池式の機関車が使用されましたが、多くの鉱車を牽引する場合には、電気機関車も使用されています。
尾去沢鉱山全景と巨大シックナー跡。
尾去沢鉱山の象徴的な巨大煙突と煙道。
テーマパーク・史跡 尾去沢鉱山。
テーマパークから事業所には専用の渡り廊下と地下道があるようだ(立入禁止)
 10tディーゼル機関車:形式DB-3IL、日本輸送機(株)昭和38年9月製造。この機関車は、昭和38年から昭和53年の閉山まで尾去沢鉱山で生産された、粗鋼、硫化鉄鋼、亜鉛精鉱等の出荷た石灰石、硝灰石、石炭、重油、木材等の原料、資材物品の他従業員の生活物資の入荷の歳、JR鹿角花輪駅の構内で貨車の入替作業で活躍しました。
ディーゼルエンジンは4気筒のようだ。私のディーゼル機関車よりひとまわり小さい。
 レッグドリル(水平穿孔機)水平坑道で発破孔を穿つための削岩機で圧縮空気を動力としています。(パイプ先端での空気圧約4kgf/cm2)削岩時にたがね(ロッド)の先端から水を噴射し粉塵の飛散を抑制します。
 ローダー(鉱石積込機)水平坑道掘進時の廃石や鉱石の積込みに使われ、太空機械(株)の太空600Bと呼ばれる型で、圧縮空気を動力としています。昭和の初めから多くの鉱山で使われていました。バケット容量は約0.15m3です。
ポールが付いているから電気機関車と思われる。
 主要坑道で使用された鉱石運搬用の鉱車です。縦154cm×横90cm×深さ60cm、容積0.832立米で約1.6トンの鉱石を積むことが出来ます。この鉱車は傾斜式荷卸装置(ダンパー)の設置箇所で鉱車が傾斜して側戸が開き、自動的・連続的に一定箇所で鉱石を排出することができ、運搬作業の合理化に大きく寄与しました。
スラッシング:採掘現場から漏斗まで鉱石を掻き出す機械。
これも電気機関車と鉱車。電気機関車は三菱電機製。昭和17年製造。
石切沢通洞坑コース観覧をされる方は観覧料が必要になります。大人1,000円。
石切沢通洞坑には扉が付いていて通常は閉鎖されているのでしょうね?
所々に光電管(センサー)が付いていて遮ると坑道内の説明が流れます。
坑道内は尾去沢鉱山軌道のレールが残っています。
坑道内はあちらこちらに立入禁止区域があります。石切沢2L行き斜人道。
立入禁止区域内には観光坑道部分と違って当時の坑道内の劣悪な雰囲気が伝わってきます。
水平坑道内はいくつもの分岐があり、レールもそれに伴って分岐しています。
銅鉱脈この鉱脈は下2番坑(60m下部)より上2番坑(60m上部)まで連なっています。銅品位14.6%。
鉱脈採掘跡。
鉱石を溜めて鉱車に落とすところ。 横穴の坑道。
鉱脈採掘跡。
シュリンケージ採鉱法。
廃鉱山お決まりのお酒の貯蔵庫。湿度85%、温度14度。
 日本酒を3年以上熟成すると長期熟成酒即ち古酒になります。古酒は、色調が濃くシェリー酒や老酒のような重厚な香りを持ち、重厚でほどよい苦みと後味のよさを有します。
鉱山内には神社が祭られている。
ここから特別コースへ分岐。
鉄板や木材で塞がれた横穴が多数存在します。
塞がれた横穴の隙間から撮影。
 ダンパー坑井:採掘された鉱石をグランビー鉱車が誘導車輪の自動操作によって傾き、鉱井に落下貯坑するダンパーと称する装置である。
石切沢上部休憩所。人形がリアルです。
安全標語もリアルですね。 石切沢上部坑内事務所。
 今月の出鉱計画と事務所の所長。壁の錆が湿度の高さを物語っています。事務所の環境としては良くなかったのでしょうね。所長の後ろの標語が(ルール違反すればするほど遠のく安全、近づく地獄)リアルです。
日本アンホ火薬製造(株)の鉱山用の火薬。
2tバッテリー電車。バッテリーだが集電装置が付いている。
廃棄されたままの設備。
 トロリー電車による鉱石運搬:鉱車集結場に運ばれた1.7tグランビー鉱車を15〜20輌編成してトロリー電車にて選鉱場へ鉱石が運ばれる。
 坑道は深さ30mごとに展開されています。この坑道間を結ぶため立坑が設置されています。立坑は、人、鉱石、廃石(ズリ)、資材の運搬に使われました。エレベーター(ケージ)の昇降には巻揚機が使われます。上1番坑〜下4番坑間を運行(上下150m)
水が溜まっている坑道もあり、壁の汚れから水位が変化しているのが伺える。
石切沢上部竪坑。通洞〜上4番間運行(上120m)
材料運搬。45tトロリー電車。 バッテリー電車。
立入禁止エリア。
シュリンケージ工法。
坑内測量:高低の精密な測量が必要。 抜鉱:鉱石を漏斗から鉱車に積込作業。
ボーリング:鉱脈の採鉱及び地質構造の探査のために行う。
スラッシング:鉱石を掻き出す作業。 ローディング:採掘した鉱石をローダーを使用し積込
塞がれている坑道の隙間から撮影。
鉱山内で使用する機材は自前で修理、整備している。
鉱山内で使用する機材は自前で修理、整備している。
シュリンケージ工法。 バッテリー電車。
鉱車に採掘した鉱石をローダーを使用し積込。
坑内休憩所?それとも火薬庫?当時の写真が展示されている。
尾去沢鉱山選鉱場全景。 7tグランビーカー。
火薬庫:この火薬庫は最大20tまで貯蔵可能。地中式2級火薬庫厚さ20cmのコンクリート壁。
日本アンホの火薬。
展示されているのか放置されているのか解らないトロッコ台車。
尾去西道金山奉行所。
からめ場:採掘した鉱石を細かく砕き水洗いをして泥を流し沈殿した金を採取する工法。
 江戸時代の尾去沢鉱山では、山師や商人が直接鉱山の経営を行い、採掘の量に応じて運上金を取る「請山」と、藩が直接経営する「直山」の方法でその運営が行われていました。しかし「直山」の場合であっても、実際の仕事は山師に行わせることが多かったようです。
 江戸時代の採掘は、金掘大工と呼ばれる採鉱夫が槌と鏨を使って行っていました。このため採掘には高度な技能が要求され、その技能の伝承は徒 弟制度により引き継がれました。鉱山の作業は危険を伴うことが多かったことから、鉱山で働く人たちはその家族も含め相互扶助の固い絆で結ばれ ていました。
 この組織を「友子」と呼び技能の伝承や相互扶助が行われたようです。藩政時代の鉱山には、鉱山ごとに決められた法律(山法)がありまし た。当時の鉱山は一般の法律に対し治外法権におかれた特殊な社会で、山法は鉱山での生活やそこで働く人達に適用される処罰規定でした。
 尾去沢鉱山の場合は「御敷内二七ヶ条」と呼ばれる山法が布かれていたことが、古文書によって知られています。その内容は、他の工夫の持場 を勝手に掘るとか、役人がつけた目印や封印を壊すとか、故意に放棄するなどの行為を重罪とし、それぞれに厳しい処罰の方法を定めています。さらに、鉱山での生活についても違反に対する罰則が定められており、当時の鉱山での厳しい生活のようすを知ることができます。
 慶長17年(1612年)幕府は、キリスト教を禁じ弾圧にのりだします。これにより西国より多くの信者が難を逃れ、「隠れキリシタン」としてこの地の鉱山での 潜伏生活を送ります。最初は山法を守っている限り安全であった鉱山での生活も、次第にその取締りが厳しくなり、寛永20年(1643年)白根金山では多くの 信者が捕らえられ処刑されたと伝えられています。
出口のエスカレーター。 その横に昔の階段?
尾去沢鉱山石(黄銅鉱) 細倉当百(百文)伊達藩藩札(鉛製)
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