更新日時 2017年05月28日

鉱山軌道 住友金属鉱山軌道
 住友金属鉱山軌道:別子銅山は、愛媛県新居浜市の山麓部にあった銅山。1690年(元禄3年)に発見され、翌年から1973年(昭和48年)までに約280年間に70万トンを産出し、日本の貿易や近代化に寄与した。一貫して住友家が経営し(閉山時は住友金属鉱山)、関連事業を興すことで発展を続け、住友が日本を代表する巨大財閥となる礎となった。最初の採鉱は海抜1,000メートル以上の険しい山中(旧別子山村)であったが、時代と共にその中心は新居浜市側へ移り、それにつれて山の様相も変化していった。坑道は全長700キロメートル、また最深部は海抜マイナス1,000メートルにもおよび、日本で人間が到達した最深部である。1893年(明治26年) 2月住友別子鉱山鉄道の下部鉄道が開業。8月住友別子鉱山鉄道の上部鉄道が開業。
@住友金属鉱山筏津坑。坑外には鉱車等が展示されている。1973年(昭和48年)3月筏津坑終掘、閉山。
 @筏津坑は赤石山系の南斜面に位置し、1878年(明治11年)に開坑され、最初は弟地坑(おとじこう)と呼ばれていた(弟地は付近の地名)。一時休止された時期もあったが、別子銅山の一支山として機能を果たしてきた。最初の坑口とは銅山川をはさんだ対岸に1940年(昭和15年)に筏津新坑口として開坑された坑口は1973年(昭和48年)の別子銅山閉山まで使われた。新坑口の近辺には、当時、社宅、クラブ、娯楽場、診療所、小売商店などが軒を連ね殷賑を極めていたが、閉山とともに人は去り静かな山に戻った。
@住友金属鉱山筏津坑。
 @住友金属鉱山筏津坑。かご電車。別子銅山が昭和48年3月の閉山まで日浦-東平間の第三通洞にて使用された坑内車である。
@住友金属鉱山筏津坑。鉱山で使われていた保安機器。
@住友金属鉱山筏津坑。人形の足が取れている。
A住友金属鉱山軌道の日浦橋梁。
B住友金属鉱山軌道の日浦橋梁。
B住友金属鉱山軌道のレールと日浦坑。
B住友金属鉱山の日浦坑入口の左右は煉瓦が積まれている。
B住友金属鉱山の日浦坑入口は二重に柵が設置されていて侵入者を抑止しています。
C住友金属鉱山の日浦坑入口横の鉱山事務所跡。
C住友金属鉱山の日浦坑入口横の鉱山事務所跡。スパーカブが廃棄されている。
C住友金属鉱山の日浦坑入口横の鉱山事務所跡内部。
C住友金属鉱山の日浦坑入口横の鉱山事務所跡内部。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『新居浜市』を掲載」