更新日時 2019年10月13日

鉱山軌道 八谷鉱山
 八谷鉱山は山形県米沢市入田沢にあった、金、銀、銅、鉛、亜鉛などを主に産出した鉱山である。廃山となって採掘をやめ、坑道より出る坑水による鉱害を防止するため排水処理を行っている。処理後の水は小樽川や鬼面川に流される。 1887年(明治20年)頃開坑。1952年(昭和27年)8月三菱金属鉱業が買収。1953年(昭和28年)只見鉱業に移管。1956年(昭和31年)尾富鉱業に移管。1955年(昭和30年) 1000tの鉱石を細川鉱山に送った。1960年(昭和35年)日本初の坑内地下選鉱場ができた。1973年(昭和48年) 坑道の総延長が30kmとなる。1975年(昭和50年) 200名以上の労働者がいた。昭和後期、円高や非鉄金属の価格の暴落で人員整理を行う。1988年(昭和63年)3月2日閉山。
@八谷鉱山跡の排水処理はエコマネージメントが行っているようだ。
@新しい排水処理施設を建設しているようだ。
@八谷鉱山の排水処理施設。
A八谷鉱山の廃水を輸送するパイプのようだ。
 B旧八谷鉱業所坑内殉職者慰霊供養之塔。この場所に車を停めてこの先徒歩で探索を行う。辿ってきた林道はトロッコ軌道が敷かれていたのかもしれない。
C小川に暗渠?鉄製の構造物の残骸が残る。
D八谷鉱山の積み込み施設。
E途中の道が泥濘んでいるので長靴が有った方が良い。八谷鉱山の鉱石か?
F八谷鉱山の抗口が見える。レールの残骸が残る。軌道があった事が覗える。
F八谷の鉱山の抗口
八谷鉱山の坑道内。軌道跡は確認出来なかった。横のパイプは鉱水処理用のパイプか?
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『米沢市』を掲載」