更新日時 2020年03月10日

鉱山軌道 三井三池炭鉱三川軌道
 三井三池炭鉱三川軌道:三川坑は、三井鉱山三池鉱業所の一施設で、三池港の近くにある。第一斜坑・第二斜坑とがあり、いずれも坑口は幅約6m・高さ3.3mのアーチ型で、有明海の海底に向かって西へ、傾斜約11度、長さ2km以上の坑道が伸びている。戦争遂行のため石炭増産が求められる中、1937年に建設が開始され、1940年に完成した。戦後復興期には三井鉱山の最主力坑となり、1949年に昭和天皇が入坑するほどであった。1997年3月の三井三池炭鉱閉山後、その施設のいくつかは重要文化財・史跡・近代化産業遺産など文化財として登録されているが、三川坑はその対象とされていない。1963年(昭和38年)11月9日午後3時12分、三井鉱山三池鉱業所三川鉱(三川坑)第一斜坑の坑口から約1600メートル付近の斜坑で炭塵爆発が起きた。坑内で用いられていた石炭を満載したトロッコの連結が外れて火花を出しながら脱線、暴走し、これにより大量の炭塵がトロッコから坑内に蔓延した。この炭塵に引火爆発したのが原因である。当時、坑内は約1400人の労働者が従事。死者458名、救出された940名のうち一酸化炭素中毒患者839名を出した。炭塵が爆発することによって、一酸化炭素が大量に発生した。当時の三川坑第一斜坑は入気斜坑であり、結果的に、大勢の労働者がいる有明海海底の坑内現場に一酸化炭素を送り込んでしまったことが多くの人命を奪い、一酸化炭素中毒患者を出したことに繋がった。死者の内訳は20人が爆死であるが、それ以外は一酸化炭素中毒死であった。
@三井三池炭鉱三川軌道。斜坑から続く軌道。
@三井三池炭鉱三川軌道。斜坑から続く軌道。
@三井三池炭鉱三川軌道。斜坑から続く軌道。
@三井三池炭鉱三川軌道。人車。
@三井三池炭鉱三川軌道。人車。
@三井三池炭鉱三川軌道。斜坑から続く軌道。
@三井三池炭鉱三川軌道。斜坑から続く軌道。
@三井三池炭鉱三川軌道。斜坑から続く軌道下通路。
@三井三池炭鉱三川軌道。斜坑から続く軌道下通路。
@三井三池炭鉱三川軌道。斜坑から続く軌道。
@三井三池炭鉱三川軌道。斜坑から続く軌道。
@三井三池炭鉱三川軌道。人車。
@三井三池炭鉱三川軌道。人車。
@三井三池炭鉱三川軌道。人車。
@三井三池炭鉱三川軌道。斜坑脇の軌道。
A三井三池炭鉱三川坑の労働者の人形。
A三井三池炭鉱三川坑の繰込場。
A三井三池炭鉱三川坑の職員脱衣所。
A三井三池炭鉱三川坑の浴槽。
Bコンプレッサー室。崩壊している。
Bコンプレッサー室。軌道の台車が残る。
Bコンプレッサー室。
C三井三池炭鉱鉄道の保存車両。
 C15トン級B形5号電気機関車。1908年(明治41年)にアメリカジェネラル・エレクトリック社で製造された、国内に現存する最古級の電気機関車として貴重な存在です。L型の車体を持ち、その形から「ガメ」(ガメは大牟田地方の方言で亀のこと)と呼ばれていました。出入り口が無いため運転室へは窓から出入りしていたそうです。
 C20トン級B形1号電気機関車。1911年(明治44年)にドイツのシーメンス社で製造された凸型の車体を持つ電気機関車で、鉄道記念物として保存されている鉄道院ののEC40形(ドイツ製)に匹敵する最古級の輸入電気機関車です。なお、軌間1067mm、電気方式直流600Vは4両に共通です。
 C20トン級B形5号電気機関車。ドイツのシーメンス社製凸型機関車をモデルに1915年(大正4年)三菱造船で製造されました。国産では最古級の電気機関車として貴重な存在です。閉山の直前まで現役で活躍し、同型の9号機と11号機、12号機は現在も三井化学専用鉄道で走っています。(2020年5月に三井化学専用鉄道も廃止)
 C45トン級B-B形17号電気機関車。1936年(昭和11年)に東芝で製造された凸型の車体を持つ電気機関車。石炭の産出量増大に伴い、大型の電気機関車が必要となり導入されました。産業用の標準型電気機関車として全国各地の私鉄や専用線で使用されました。閉山の直前まで現役で活躍し、同型の18号機と19号機は現在も三井化学専用鉄道で走っています。(2020年5月に三井化学専用鉄道も廃止)
D第一斜坑・第二斜坑入昇坑口。
D第一斜坑・第二斜坑入昇坑口。
D第一斜坑・第二斜坑入昇坑口。
D第一斜坑・第二斜坑入昇坑口。
D人車とう乗者注意事項。
D第一斜坑・第二斜坑入昇坑口。
D第一斜坑・第二斜坑入昇坑口。
D第一斜坑・第二斜坑保安設備。
D第一斜坑・第二斜坑側線。
D第一斜坑・第二斜坑側線。
D第一斜坑・第二斜坑側線。
D第一斜坑・第二斜坑側線。
E三井石炭鉱業株式会社三池鉱業所正門。
E三井石炭鉱業株式会社三池鉱業所銘板。
E三井石炭鉱業株式会社三池鉱業所の守衛所。
E三井石炭鉱業株式会社三池鉱業所の煉瓦及び板塀。。
 F三井港倶楽部。三井港開港の明治41年(1908年)に合わせて完成した港倶楽部は、三井港に入港した船舶の船員に対しての慰安、休憩所として建てられました。当時は、和洋館並立形式で建設されていましたが、現在は洋館のみが残っています。洋館は木造2階建て・屋根裏部屋付き、切妻造・桟瓦葺きで、外観は下見張り板にハーフチンバー風に見せています。室内は1階に応接間、談話室、食堂、球戯室(ビリヤード)、配膳室、便所・浴室があり、2階には寝室3室と客間がとられています。屋根裏部屋にはボーイ室があり、建物南側の庭に面して、開放的なベランダがあります。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『大牟田市』を掲載」
出典: 大牟田の近代化産業遺産