更新日時 2009年10月10日

国土交通省立山砂防工事専用軌道
 国土交通省立山砂防工事専用軌道 (こくどこうつうしょう たてやまさぼうこうじせんようきどう)は、国土交通省北陸地方整備局立山砂防事務所が管轄する工事用軌道。通称は立山砂防軌道もしくは立山砂防トロッコ。国の直轄事業である常願寺川流域の砂防施設建設に伴う資材・人員の輸送を目的とする。鉄道事業法や軌道法の適用を受けず、労働安全衛生法に基き運行される工事用軌道ではあるが、18キロの区間に38段のスイッチバックがあり、一部区間では18段に及ぶ連続スイッチバックがあること、またかつて工事用軌道や鉱山鉄道で広く採用されたものの、現存する一般の鉄道路線では例がない610mmのナローゲージを使用していることで知られる。昭和初期から運行が続けられている工事用軌道としての歴史的性格が評価され、2006年に文化財保護法に基づく登録記念物に登録された。一般客の利用は通常許可されないが、地元の博物館が主催する砂防工事の見学会に参加することで、乗車することが可能である。なお路線全体でのスイッチバックの数は中国に本路線を上回る専用鉄道があるものの、世界的にも類例は少なく、連続18段のスイッチバックは他に例がないとみられる。
 その特異な線形や車両に加え、立山連峰の絶景地帯を走行することから、鉄道ファンのみならず、一般の観光客からも乗車を求める要望が絶えないが、工事の資材・人員運搬が主目的の鉄道であり、沿線では落石等の危険もあるため、便乗は原則として認められていない。しかし1984年より、砂防工事の見学会の参加者に限り、砂防施設への移動のため利用ができるようになった。1998年からは立山砂防事務所に隣接する立山カルデラ砂防博物館が同館主催の「野外体験学習会」として参加者を公募している。 当初は「富山県在住者のみ」「砂防博物館の来館経験者のみ」という応募条件があったが、これらの制約は2007年現在撤廃されている。ただし参加するためには事前に申し込みをして抽選に当選する必要があるうえ、悪天候の場合は中止されることも多いなど、乗車が難しい路線であることに変わりはない。2006年は7月5日から10月18日まで16回の学習会(定員計720名)につき公募が行われ、倍率は1.83〜5.55倍、実施率は69%だった。
連絡所
千寿ヶ原(せんじゅがはら) - 中小屋(なかごや) - 桑谷(くわだに) - 鬼ヶ城(おにがじょう) - 樺平(かんばだいら) - 水谷(みずたに)
 @立山駅(たてやまえき)は、富山県中新川郡立山町にある富山地方鉄道立山線および立山黒部貫光立山ケーブルカーの駅。山の斜面に作られており、メインの出入口は2階にある。2階には立山ケーブルの改札口とホーム、売店、レストランなどがある。1階への階段を下りた所に立山線の改札口がある。1階にも線路沿いに小さな出入口があり、駅のすぐ富山側にある踏切の横から出入できる。トイレは1階にも2階にもある。立山線のホームは櫛型2面2線である。
@立山カルデラ砂防博物館。 @男性側が県立、女性側が国交省管轄の建物。
@白岩砂防ダム写真。立山カルデラ砂防博物館内のパネル写真。
@立山カルデラ砂防博物館内(国交省側)に展示されているディーゼル機関車。
@国交省側建物。 @立山カルデラの模型。
@これより先は立山の砂防最前線。
@千寿ヶ原(せんじゅがはら)
@千寿ヶ原の構内の様子。 @立山砂防軌道のディーゼル機関車。
@ディーゼル機関車は実際に仕事に使われている。 @立山砂防軌道のディーゼル機関車。
@今回の砂防ダム体験に使われた鳶山号のディーゼル機関車と人員輸送車
@千寿ヶ原。 @砂防軌道から見た千寿ヶ原。
@砂防軌道から見た千寿ヶ原。
A千寿ヶ原 - 中小屋間の砂防軌道から見た様子。
A千寿ヶ原 - 中小屋間の砂防軌道から見た様子。 A素堀の隧道を抜ける。
Aワサビ谷。
B中小屋(なかごや)
C砂防工事の現場事務所。停車場ではないがここでも降りられるのだろうか?
C中小屋 - 桑谷間の砂防軌道から見た様子。
D桑谷のスイッチバック。
E桑谷(くわだに)
E立山カルデラ号。桑谷(くわだに)で車両の行き違いを行う。
F桑谷 - 鬼ヶ城間の砂防軌道から見た様子。
F桑谷 - 鬼ヶ城間の砂防軌道から見た様子。
F桑谷 - 鬼ヶ城間の砂防軌道から見た様子。スイッチバックを登って行く。
F桑谷 - 鬼ヶ城間の砂防軌道から見た様子。スイッチバックを登って行く。
F桑谷 - 鬼ヶ城間の砂防軌道から見た様子。スイッチバックを登って行く。
G立山号と鬼ヶ城(おにがじょう)で行き違い。
G鬼ヶ城(おにがじょう)
G鬼ヶ城(おにがじょう)のスイッチバック。
H七郎砂防ダム。
I鬼ヶ城 - 樺平間の砂防軌道から見た様子。
I鬼ヶ城 - 樺平間の砂防軌道から見た様子。スイッチバックを登って行く。
I鬼ヶ城 - 樺平間の砂防軌道から見た様子。スイッチバックを登って行く。
I鬼ヶ城 - 樺平間の砂防軌道から見た様子。スイッチバックを登って行く。
I鬼ヶ城 - 樺平間の砂防軌道から見た様子。スイッチバックを登って行く。
I鬼ヶ城 - 樺平間の砂防軌道から見た様子。スイッチバックを登って行く。
J立山砂防軌道で一番のカーブがきつい場所。 J鬼ヶ城 - 樺平間の砂防軌道から見た様子。
J鬼ヶ城 - 樺平間の砂防軌道から見た様子。スイッチバックを登って行く。
J鬼ヶ城 - 樺平間の砂防軌道から見た様子。 J立山砂防軌道で一番のカーブがきつい場所。
J鬼ヶ城 - 樺平間の砂防軌道から見た様子。スイッチバックを登って行く。
J鬼ヶ城 - 樺平間の砂防軌道から見た様子。白岩砂防ダムが見える。
K樺平(かんばだいら)
 Kここから18段のスイッチバックだが手を出して撮影して怒られたので余り良い写真が撮れなかった(笑)
K樺平 - 水谷間の砂防軌道から見た様子。18段のスイッチバックが連なる。
K作業員がレールの枕木を替えている。枕木の数を考えると途方もない作業だ。
K樺平 - 水谷間の砂防軌道から見た様子。18段のスイッチバックが連なる。
L立山砂防軌道のディーゼル機関車を止めてここで白岩砂防ダムの見学をする。
L立山砂防軌道のディーゼル機関車。鳶山号。
L鳶山号の運転席。 L鳶山号のヘッドマーク。
L人員輸送車の連結部分。 L砂防ダム学習の参加者。
L白岩砂防ダムを見学するために造られた仮乗降場。
L霧で、白岩砂防ダムが見えない。 Lかすかに右側にインクラインが見える。
L樺平 - 水谷間の砂防軌道から見た様子。 M水谷のゼネコンの詰め所。
M水谷(みずたに)
M水谷(みずたに)には車庫がある。 M水谷で降りてここで昼食を取る。
M1班が下るために機関車を下り側に入れ替える。
M1班が下るために機関車を下り側に入れ替える。
M機関車の運転手も雨の日の降りは怖いと言っていた。何回かは脱線したことが有るらしい。
M登りは時速18qで降りは時速15qでゆっくり降りる。
M転車台が無いために、下りは機関車がバックで降りる。
M燃料キャップが見えるのでこれも機関車の様だ。 M作業用の運搬車が見える。
M安政号。 M旧軌道跡。昔はこの先まで軌道が有ったそうだ。
M診療所もある。 M水谷にはゼネコンの事務所が連なっている。
M水谷の情景。 M供養塔もある。
M水谷橋。
M水谷橋を渡る体験者達。渡ったら直ぐに引き返しだ(笑)
M旧軌道跡。昔はこの先まで軌道が有ったそうだ。
M昼食はこの建物のホールを借りて、持ってきたお弁当を食べる。
M工事現場には神様はつきものですね。 M白岩隧道脇の旧旧線跡。
M白岩隧道は昔は砂防軌道が通っていたそうだ。
M白岩隧道内。 Mこのアングルが一番好きなアングルだ。
N隧道内で分岐口が有った。右は何処へ? N白岩隧道出口。
N白岩隧道脇には工事用の隧道が掘られているが、現在は役目を終えて資材置き場になっている。
N隧道内は資材置き場に。 N橋の上には旧軌道跡が残っている。
N橋の上には旧軌道跡が残っている。
N天涯の湯は工事関係者のみが利用できるため、見学者は利用できません。
ここへは一般の人は通常は入ってこれませんが(笑)
N天涯の湯の足湯は見学者も入れます。
Nここで1班と入替です。
O立山温泉跡地。 O立山温泉の供養塔。
 O1580年、深見六郎右衛門によって立山温泉が発見された。本格的に温泉地として整備されたのは1770年以降である。その効能ならびに立山信仰の拠点にもなったことから、江戸時代は非常に賑わった。しかし、立山カルデラ内の非常に不安定な土地にあったこともあり、1858年の土石流によって温泉街は壊滅した。のち、明治2年(1869年頃)になって新たな源泉が発見され、温泉街が復興した。
 O1969年(昭和44年)に発生した豪雨により温泉への道が被害を受けたことと、1970年(昭和45年)に立山黒部アルペンルートのバス路線開通を受け、1973年(昭和48年)に廃湯し、当地の源泉は立山山麓温泉へ供給されるようになった。なお、廃湯となった立山温泉へ立ち入ることは、周辺部が土砂流出の危険性があるため禁止されている(源泉はあるが入浴はできない)。
O立山温泉跡。入浴場跡が残る。
O立山砂防ここより始まる。 O天涯の橋。
 O立山温泉跡地と泥鰌池の間を流れる湯川に架かる橋は鋼鉄製のつり橋で、河原よりの高さが10数mあり、ちょっとしたスリルを味わうことができます。
O天涯の橋から湯川を見る。
O天涯の橋を渡り泥鰌池へ向かう木道。
 O立山温泉跡地から湯川を挟んだ対岸に”泥鰌(どじょう)池”と呼ばれる美しい池があります。 名前の由来は正確には分かりませんが、確かに”ドジョウ”は生息しています。この池は、安政5年(1858)の大地震によって崩れた鳶(とんび)山の土砂が、湯川をせき止め、その堰が決壊した後に残ってできた小池でした。その後、立山温泉の経営者たちは、食料としてこの池にフナやニジマスを放流したり、池に小舟を浮かべて船遊びをして楽しんでいました。今では、立山温泉はありませんが、放流したフナやニジマスは自然繁殖し、それらを求めて鳥や獣が集まり、命豊かな池となっています。
 P1969(昭和44)年8月の集中豪雨によって、多枝原(だしわら)谷の沢の一つが大きく崩れてできた谷です。1969年にできたことから「六九谷」と呼ばれています。 崩れた谷の内側は山腹工事が施され、今では当時の荒々しさは見られなくなりましたが、手前を大きくえぐられた地形は、円形劇場を想わせるすり鉢状となっています。
P一般の人が立ち入り禁止なのに説明看板類が数多く有る。無駄な様な気がする。
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出典: 立山カルデラ砂防博物館