更新日時 2011年01月29日

 東京都立浜離宮恩賜庭園(とうきょうとりつ はまりきゅう おんし ていえん)は、東京都中央区浜離宮庭園にある都立庭園である。東京湾から海水を取り入れ潮の干満で景色の変化を楽しむ、潮入りの回遊式築山泉水庭。園内には鴨場、潮入の池、茶屋、お花畑、ボタン園などを有する。江戸幕府が開かれて暫くは将軍家の鷹狩の場であったが、1654年(承応3年)に甲府藩主の徳川綱重がこの地を拝領し、埋め立てて別邸を立てた。その後は甲府藩の下屋敷として使用された。このため甲府浜屋敷、海手屋敷と呼ばれるようになった。綱重の子である徳川家宣が6代将軍になると、将軍家の別邸とされ浜御殿と改称して大幅な改修が行われ、茶園、火薬所、庭園が整備された。幕末、外国人接待所として石造洋館である延遼館(幕府海軍伝習屯所)が建設された。延遼館は、明治維新後も鹿鳴館が完成するまでは迎賓館として使用された。明治維新後に、宮内省の管轄となり名前も浜離宮と改められた。明治天皇も度々訪れるようになる。宮内省管理の離宮を経て、東京都に下賜され都立公園として開園。
大手門橋。
東京都浜離宮恩賜庭園の大手門 。
管理事務所。 井戸跡?
延遼館跡。 冬牡丹。
可美真手命。 燕の茶屋跡。
 松の茶屋:「中島の御茶屋」と対を成す端正な外観の御茶屋です。「潮入の池」の目の前に建っており、池への眺望が大変良い御茶屋です。1869年(明治2年)英国公使パークスとの会食場としても使われました。2010年(平成22年)復元。
 潮入の池と二つの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣を変えるもので、海辺の庭園で通常用いられていた様式です。旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園、旧安田庭園なども昔は潮入の池でした。しかし現在、実際に海水が出入りしているのは、ここだけです。浜離宮は、この潮入りの池や池や鴨場を中心にした南庭と、明治時代以降に造られた北庭とに大別されます。
浜離宮恩賜庭園内のマンホールです。松の位置は違いますが、同じ様な構図です。
横堀。 お伝い橋。
 潮入の池の岸と中島を結ぶ、お伝い橋。中島には「中島の御茶屋」があり、水の面に映える橋と茶屋の姿は、風趣に富んでいます。かつては、眺めもよく、海のかなたに房総を望め、夕涼みや月見に使われたようです。現在の御茶屋は、昭和58年に再建され、抹茶を楽しむことができます。
浜離宮恩賜庭園 中島の御茶屋。
浜離宮恩賜庭園 中島の御茶屋。
お伝い橋。
 都内では唯一の海水の池。東京湾の水位の上下に従って水門を開閉し、池の水の出入りを調節しています。池にはボラをはじめ、セイゴ、ハゼ、ウナギなどの海水魚が棲んでいます。池の周囲に配置された岩や石にはベンケイガニやフナムシがはいまわり、フジツボがついています。また、池の上空にはカモメの舞う姿がみられます。
 小覗(このぞき)浜離宮恩賜庭園には鴨場の施設があります。この施設は江戸時代の後半につくられ、11代将軍家斉は大いに活用しました。幕末から明治の初め荒廃しましたが、再整備され昭和19年まで使われました。現在、鴨場の施設が見られるのは全国で5箇所しかないとのことですが、東京では浜離宮恩賜庭園のみです。来園された折はぜひご覧ください。鴨場が利用されたのは冬鳥が飛来する晩秋から翌年の春先まですが、以下のように鴨等を獲りました。@元溜りにはおとりのアヒルが200羽あまり放されていました。秋から冬にかけて野の鴨が元溜りにおりてきます。A板をたたく音が響き渡ると、餌が引堀に蒔かれます。餌が食べられるので、アヒルが引堀に入ってきます。アヒルの後を野の鴨も後をついてきます。野の鴨はアヒルの後をついていくという習性があるのです。必要な数が入ったら、引起し網で引堀の入口を閉めます。B小覗で鴨の様子を確認し鷹匠やお客様に手信号で知らせます。C鷹匠とお客様は引堀をはさむようにして配置につきます。D小土手に片足をかけ、びっくりして逃げようとする鴨を叉手網(さであみ)で捕獲します。E叉手網をかいくぐって逃げる鴨は鷹匠が放った鷹が捕らえます。逃がすと、この元溜りが危険なところであることを仲間に知らせてしまうので、鷹の役割はきわめて重要でした。*アヒルは板をたたく音で引堀に入ってくるよう訓練されています。*大覗には元溜り周囲で水鳥を狙っている野生の鷹を捕獲するための仕掛けがありました。*鴨場が使われた離宮時代は園内に鷹部屋や鷹師宿舎、鷹匠小屋、調理所などがありました。
海手伝い橋から鴨を見る。
職員もサボって覗いています。 海手茶屋跡。
東京湾側。
 水門:昔からこの堰で海水の出入りを調整しています。東京湾の潮の干満を利用して池の水位を上下させ、庭の趣に変化を持たせるように作られた「潮入の池」にはなくてはならないものです。
 将軍のお上り場:江戸時代、将軍が隅田川から浜御殿に来られた時や船遊びをして休憩のために立ち寄られたときなどに、乗降された船着き場で、今も原形を保っています。慶応4年1月12日(1868年2月5日)未明、最後の将軍となった第15代将軍徳川慶喜は大阪から軍艦開陽丸で江戸に入り、このお上り場から上陸して、騎馬で江戸城へ帰還したのであります。
東京都観光汽船・東京水辺ライン 浜離宮発着場 ネコがひなたぼっこしています。
 旧稲生神社の創建時期は明らかではありませんが、江戸時代後期の絵図には現在の場所より西方に稲荷神社が描かれていることから、庭園内に稲荷社が古くから祭られていたことが知られています。現在の建物は、前身となる社殿が明治27年(1894年)6月20日に東京湾を震源とする地震で倒壊したため、翌年に当時の宮内省内匠寮の手によって、同規模・同型式で再建されたものです。一方内部に祭られている宮殿は、その建築技法から江戸時代後期のものであると推定されています。建立から現在に至るまで、幾度か修理の手が加えられたことが、調査によって判明しています。なかでも、大正12年(1923年)9月1日に発生した関東大震災では大きく破損し、倒壊は免れたようですが、昭和6年(1931年)に同じく内匠寮によって大修理が行われていました。そして、平成17年には文化財としての大掛かりな修理を行い、ここに明治時代の創建当時の姿を伝えています。
 花木園では、今ジュウガツザクラやスイセン、ロウバイが見頃です。冬の透明な光を受けて、凛として咲いています。また、花木園の入口には冬牡丹を、管理所のそばには一両から万両の寄せ植えを展示しています。寒さが厳しくなる冬時、かえってのんびりと庭園を散策することができます。大泉水周りの風景の美しさを存分に楽しんでいただけたらと思います。ご来園をお待ちしております。
内堀。
 六代将軍家宣が庭園を大改修したとき、その偉業をたたえて植えられた松。太い枝が低く張り出し、堂々たる姿を誇っています。東京都内最大の黒松。
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東京都立浜離宮恩賜庭園