更新日時 2010年11月07日

 小湊鐵道株式会社(こみなとてつどう)は、千葉県に路線を有する鉄道会社・バス会社である。本社は千葉県市原市五井中央東1丁目1番2号に所在する。小湊鉄道は元々安田財閥に所属し、京成とは無関係であったが、戦時中の当局の勧奨により株式の大半が京成電鉄に買収され、京成電鉄の系列会社となったものである。しかし、1970年代に京成電鉄が経営危機に陥り、資産整理のため持株が放出された結果、九十九里鉄道が小湊鉄道株を、また小湊鉄道が同社社長名義で九十九里鉄道株を持つ形態になり、京成電鉄の出資割合は大幅に下がっている。国土交通省への届出上は「小湊鉄道」となっているが、実際には「小湊鐵道」の表記の方がよく使われている。鉄道路線として、東日本旅客鉄道(JR東日本)内房線と接続する千葉県市原市の五井駅より、いすみ鉄道いすみ線に接続する夷隅郡大多喜町の上総中野駅まで39.1kmの小湊鉄道線を有する。「小湊鉄道」という社名になったのは、当初は誕生寺への参拝客輸送を目的に安房郡小湊町(現・鴨川市)を目指して着工されたことからで、資金不足と当時の土木建築技術の限界や、終着駅の上総中野駅に国鉄木原線(現・いすみ鉄道いすみ線)が接続したことから、同駅より先の建設は行われなかった。
小湊鐵道本社(市原市五井)五井機関区に保存されている蒸気機関車。
 六輪連結十輪タンク機関車で、大正13年(1924年)に小湊鐵道が翌年の開業に向けて、アメリカから輸入したもので、ボールドウィーン機関車会社が1924年に製造した57776号であり、昭和31年(1956年)まで小湊鉄道で活躍した機関車である。重量(空車状態)は30.1トン、全長9.8m、最大出力712馬力である。1号機関車。
 六輪連結十輪タンク機関車で、大正13年(1924年)に小湊鐵道が翌年の開業に向けて、アメリカから輸入したもので、ボールドウィーン機関車会社が1924年に製造した57777号であり、昭和31年(1956年)まで小湊鉄道で活躍した機関車である。重量(空車状態)は30.1トン、全長9.8m、最大出力712馬力である。2号機関車。
 四輪連結十輪タンク機関車は、イギリスのベイヤーピーコック社が明治27年(1894年)に製造したものを、当時の日本鉄道が輸入し、宇都宮機関区、千葉駅構内等で使用した後、小湊鉄道が昭和21年(1946年)に当時の国鉄から払い下げを受け、昭和25年まで使用していた。重量(空車状態)は36.3トン、全長11.3m、最大出力550馬力である。B104号機関車。
 小湊鉄道キハ200形気動車(こみなとてつどうキハ200がたきどうしゃ)は、小湊鉄道が1961年(昭和36年)から導入した気動車である。日本国有鉄道(国鉄)キハ20系を基本としつつ多少の独自色を盛り込む形で設計され、1961年(昭和36年)から1977年(昭和52年)までの16年間に日本車両で総計14両が断続的に製造された。座席は全てロングシートであるが、車体中央部にエンジンの排気管が立ち上がっており、その覆いが車内に突き出しているため、極端に長い座席という印象を抱かせない。座席の色は殆どがオレンジ系統の色であるが、キハ202だけは国鉄を思わせる青である。およそ40kmにおよぶ比較的営業キロ数の長い路線を走行する車両であるにもかかわらず、在来車と同様、車内には便所は設置されていない。
小湊鉄道ネームプレート。 上総中野−五井 K.T.K キハ203
工臨用の貨車。
 小湊鐵道が廃車後も保管するキハ5800(旧・国鉄クハ5800←三信デ301)。気動車化に伴う改造を諸所に受けているが車体や台車に多く原形を残す。鉄道院デハニ6465(1914年) → デニ6458 → モニ3009(1928年改番) → 三信鉄道デ101(1936年譲渡・鋼体化) → デ301(1941年改番) → 鉄道省デ301(1943年買収) → クデハ301(1951年)→ クハ5800(1953年改番)5800 → 小湊鐵道キハ5800(1959年) → 廃車(1997年3月)小湊鐵道に譲渡された2両は、床下にディーゼルエンジンを装架して気動車に改造された。新型のキハ200形の増備に伴い予備車となったが、5800は車籍を有したまま同鉄道の五井機関区に保管された。同車は1997年に除籍されたものの、五井機関区内に現存している。
下記地図は小湊鉄道ホームページより。
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出典: 小湊鉄道株式会社
小湊鐵道蒸気機関車他