更新日時 2011年05月08日

常磐線(亘理駅−新地駅間)被災状況
 常磐線(じょうばんせん)は、東京都荒川区の日暮里駅から千葉県北西部、茨城県、福島県の太平洋側を経由して宮城県岩沼市の岩沼駅までを結ぶ東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(幹線)である。列車運行上の常磐線は、東北本線区間の上野駅 - 日暮里駅および岩沼駅 - 仙台駅間を含めた、東京都台東区の上野駅から宮城県仙台市青葉区の仙台駅までである。日本の首都・東京から水戸・いわきなどの北関東・南東北太平洋側の都市を経由して宮城県に至る路線であり、全線にわたり首都圏と沿線各都市を結ぶ特急列車や、日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車が運行されている。また首都圏側では東京への通勤輸送の役割も担う。綾瀬駅 - 取手駅間は急行線と緩行線の線路別複々線となっており、緩急分離運転を実施している。名称については、常陸(ひたち)と磐城(いわき)の頭文字を合わせたものである。なお、この経緯に由来して茨城県と福島県浜通りの県境周辺(北茨城市・いわき市南部)は「常磐地区」「常磐地方」と呼ばれることもある。また合併までは常磐市(じょうばんし)が存在していた。常磐線の旧国名と駅の関係は次の通りである。常陸:茨城県佐貫駅 - 同・大津港駅 (133.2km)磐城:福島県勿来駅 - 宮城県逢隈駅 (154.6km)東日本大震災後の暫定ダイヤでは、いわき駅 - 四ツ倉駅間を往復する列車(朝1本は草野駅始発)が1時間あたり1本、仙台駅 - 亘理駅間も1時間に1本運行されている。亘理駅 - 相馬駅間はバス代行輸送を行っている。
常磐線(新地駅 - 坂元駅 - 山下駅 - 浜吉田駅 - 亘理駅 )
 @亘理駅(わたりえき)は、宮城県亘理郡亘理町字道田西にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。当駅には普通列車と特急列車(一部)が停車する。亘理という地名は、今から約1200年前に書かれた「続日本記」の中に「日理」という表記で初めて登場します。日理郡がいつ置かれたかは定かではありません。日理を「互理」または「亘理」と表記する様になったのは、江戸時代中期以降と言われています。「わたり」とは、大和民族が南西から東北へ進出していく道筋で、川の渡し場やその付近の土地に名付けた一般的な地名です。現在の亘理が、その最北端で、これより北に「わたり」という地名は見当たりません。慶長7年(1602年)には、伊達政宗の従兄弟にあたる伊達成実の所領地となり、亘理伊達氏二万三千石の城下町として繁栄してきました。この地名の由来を受けて、明治30年(1897年)10月10日常磐線が当地に開通した時、亘理駅が開業しました。
 @駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅。中線があり、毎日、貨物列車が列車待ち合わせに使っている。また、まれに臨時列車が待ち合わせに使う。駅舎とホームとの間は跨線橋で繋がっている。また、ホーム上に待合所が置かれている。直営駅であるが、岩沼駅が当駅を管理する(駅長は岩沼駅助役待遇)。みどりの窓口(営業時間 6:30 - 20:00)、自動券売機、自動改札機設置。
 A常磐線、浜吉田駅 - 亘理駅間の北茨田踏切(起点より334.079q)より撮影。この辺は津波の被害がない。
 B常磐線、浜吉田駅 - 亘理駅間の柴町踏切(起点より333.822q)より撮影。この辺は津波の被害がない。
 C常磐線、浜吉田駅 - 亘理駅間の唐屋敷踏切(起点より333.388q)より撮影。この辺は津波の被害がない。
 D常磐線、浜吉田駅 - 亘理駅間の台田踏切(起点より332.945q)より撮影。この辺は津波の被害がない。
 E常磐線、浜吉田駅 - 亘理駅間の第1新丁踏切(起点より332.077q)より撮影。この辺は津波の被害がない。
 F常磐線、浜吉田駅 - 亘理駅間の第3松本踏切(起点より331.841q)より撮影。この辺から津波の被害が・・・
G常磐線、浜吉田駅 - 亘理駅間の第2松本踏切(起点より331.614q)より撮影。
H常磐線、浜吉田駅 - 亘理駅間の第1松本踏切(起点より331.255q)より撮影。
I常磐線、浜吉田駅 - 亘理駅間の成合踏切(起点より330.965q)より撮影。
J常磐線、浜吉田駅 - 亘理駅間の21番小橋踏切より撮影。この辺から踏み切り設備も破壊されている。
K常磐線、浜吉田駅 - 亘理駅間の東日本大震災津波の被害状況。
L常磐線、浜吉田駅 - 亘理駅間の2吉田浜街道踏切より撮影。
 M浜吉田駅(はまよしだえき)は、宮城県亘理郡亘理町吉田字流にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。
M浜吉田駅舎内は被害が無いようだ。
 M浜吉田駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅。中線があるが使用されていない。駅舎とホームとの間は跨線橋で繋がっている。岩沼駅管理の業務委託駅(東北総合サービス委託)。出札窓口(営業時間 平日7:00 - 19:30、土休8:20 - 18:45 途中休憩あり。POS端末設置、指定券取扱い)、自動券売機、簡易Suica改札機設置。
N常磐線、山下駅 - 浜吉田駅間の第2野地踏切(起点より329.286q)より撮影。
O常磐線、山下駅 - 浜吉田駅間の第3牛橋踏切より撮影。
P常磐線、山下駅 - 浜吉田駅間の東日本大震災津波の被害状況。
Q常磐線、山下駅 - 浜吉田駅間の落堀橋梁の被災状況。(起点より327.935q)
 R常磐線、山下駅 - 浜吉田駅間のED75-1039号機の被災状況。盗難防止のためナンバーと銘板が外されている。
R常磐線、山下駅 - 浜吉田駅間のED75-1039号機の被災状況。コンテナが近くに・・・
S常磐線、山下駅 - 浜吉田駅間の鷲足川B橋梁の被災状況。(起点より326.969q)
@常磐線、山下駅 - 浜吉田駅間の東日本大震災津波の被害状況。
A常磐線、山下駅 - 浜吉田駅間のの北頭無踏切(起点より325.827q)より撮影。
 B山下駅(やましたえき)は、宮城県亘理郡山元町山寺字頭無(かしらなし)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。山下という地名は、駅北西の山寺地区にある「白宝山山上院悠山寺」の下に位置する集落だから「山下」名が付いたという説と、作田山の丘陵地帯の下にあるからという、ふたつの由来説があります。山下が、いつから集落化していったのか詳しい記録はありませんが、「花釜由来記」に残る文書によると、前九年の役(1051年〜1062年)のころ、菅野丹後、伊藤丹波という「士」が高瀬地区に駐屯し、反徒を平定したあと、菅野氏は高瀬に、伊藤氏は山下に永住したと伝えられています。藩政初期の元和3年(1617年)には街道返還のため21戸がが浅生原地区から山下へ移住しました。以後、宿駅として検断や馬改所が置かれた場所としても知られています。この地名の由来を受けて、昭和24年(1949年)5月10日、常磐線の山下駅が開業しました。
 B2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)によって被害を受けて休業中である。直営駅であるが、岩沼駅が当駅を管理する。みどりの窓口(営業時間 平日7時05分 - 19時30分、休日8時25分 - 18時45分)・自動券売機1台・簡易Suica改札機がある。以前は当駅が常磐線仙台エリアでのSuica利用可能区域の南限であったが、2009年3月14日より原ノ町駅まで利用可能となった。ただし、首都圏エリアに属するいわき駅以南の常磐線各駅までSuicaを利用して乗車することはできない。
 B山下駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを持つ地上駅になっている。駅舎と2・3番ホームは跨線橋で連絡している。
C常磐線、坂元駅 - 山下駅間の東日本大震災津波の被害状況。
D常磐線、坂元駅 - 山下駅間の東日本大震災津波の被害状況。かしわなし踏切より撮影。
E常磐線、坂元駅 - 山下駅間の東日本大震災津波の被害状況。
F常磐線、坂元駅 - 山下駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
G常磐線、坂元駅 - 山下駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
H常磐線、坂元駅 - 山下駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
I常磐線、坂元駅 - 山下駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
J常磐線、坂元駅 - 山下駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
K常磐線、坂元駅 - 山下駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
 L坂元駅(さかもとえき)は、宮城県亘理郡山元町坂元字二又にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。当駅以北は仙台支社管轄となる。国鉄時代は水戸鉄道管理局の管轄であった。
 L坂元駅構造は東北地方太平洋沖地震にて駅舎は崩壊しており、以下は地震発生前の状況である。島式ホーム1面2線を有する地上駅。ホームとは跨線橋で連絡している。ホーム上には待合所が置かれている。かつては相対式ホーム2面2線の構造を有した。近くの川が大雨のたびに氾濫したことから島式ホームに改良した。岩沼駅管理の業務委託駅(東北総合サービス委託)。出札窓口(営業時間 平日7時 - 19時20分、土曜・休日8時20分 - 18時45分 途中休憩あり)・自動券売機・簡易Suica改札機設置。
L坂元駅ホームは残っているが・・・ M山元町のマンホール。
M常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。第3中川橋梁。
N常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
O常磐線、新地駅 - 坂元駅間海が近い。 O常磐線、新地駅 - 坂元駅間の橋梁。
P常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。
Q常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
R常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
R常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。赤川橋梁。(起点より317.913q)
S常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
 @常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。海側に小高い丘陵があり線路が流されなかった。
 A常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
 A常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。上記踏切より線路が10mほど流されている。
B常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。橋梁が流され撤去されている。
C常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。橋梁が流され撤去されている。
D常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。
D常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
E常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。線路と枕木が柵の状態に・・・
F常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。踏切跡より撮影。
 G常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。撤去された橋梁が置いてある。ねずみ色の橋梁は埒川橋梁(日暮里起点317.02q)
G常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。水路の橋台が残る。
H常磐線、新地駅 - 坂元駅間の東日本大震災津波の被害状況。
 H新地駅(しんちえき)は、福島県相馬郡新地町谷地小屋字舛形にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。常磐線における福島県最北の駅であり、JR東日本水戸支社の北端駅である。3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による津波に停車中の列車(仙台発原ノ町行きE721系電車4両編成)とともに被災し、ホーム・跨線橋を残して駅および周辺一体が壊滅。列車も数十メートル押し流されて大破した。約40人の乗客はたまたま乗り合わせていた警察官2人の誘導で高台に避難して無事であった。4月14日 - 上記の被災した車両の解体撤去作業を開始。16日に終了。
H新地駅駅名標が流されている。
 H新地駅構造は東北地方太平洋沖地震にて駅舎は全壊しており、以下は地震発生前の状況である。単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅になっている。ホームと駅舎との間は跨線橋により連絡している。また、ホーム上に待合所が設置されている。夜に2本、当駅折り返しが設定されている。両方向に1本ずつ、特急の通過待ちの設定がある。相馬駅管理の簡易委託駅(新地町委託)。駅舎には出札窓口(営業時間7時00分 - 17時30分)がある。指定券の取扱はしておらず、また改札業務は行わない。簡易Suica改札機設置。
 駒ヶ嶺駅(こまがみねえき)は、福島県相馬郡新地町駒ケ嶺字深町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。(2013年06月09日撮影)
 駒ヶ嶺駅構造は2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で休業中である。以下は地震発生前の状況である。相対式ホーム2面2線をもつ地上駅になっている。駅舎との間は跨線橋で連絡している。ホーム上に待合室がある。相馬駅管理の無人駅。簡易Suica改札機が設置されている。2012年(平成24年)3月5日 - 東日本旅客鉄道水戸支社が、当駅は現在の場所での復旧を発表した。当駅 - 浜吉田駅間の線路移設による復旧と同時期に相馬駅 - 当駅間の復旧も予定されており、早ければ2017年(平成29年)春ごろに営業を再開予定。(2013年06月09日撮影)
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