更新日時 2011年05月15日

 秩父鉄道株式会社(ちちぶてつどう)は、埼玉県北部に2路線を有する鉄道事業、不動産業、観光事業を行う日本の会社である。過去には索道事業(三峰ロープウェイ)、乗合バス、貸切バス事業も行っていた。本社は埼玉県熊谷市曙町1丁目1番地。鉄道事業者では唯一のJASDAQ上場企業(証券コード : 9012)。略称は「秩鉄(ちちてつ)」。太平洋セメントが筆頭株主であり、同社の前身である秩父セメント時代から行っている武甲山から産出される石灰石を運ぶ貨物輸送が盛んである。例年、広瀬川原車両基地にて開催している「わくわく鉄道フェスタ」は、今回「わくわくチャリティーフェスタ」として実施。列車の展示や作業風景の見学、体験イベントなど、鉄道に対する理解を深まる他、記念乗車券やグッズの販売、ヘッドマークオークション、フリーマーケットでの売上の一部を、東日本大震災の復興支援のため、義援金として寄付する。
 ひろせ野鳥の森駅(ひろせやちょうのもりえき)は、埼玉県熊谷市広瀬にある秩父鉄道秩父本線の駅である。駅名称は熊谷市内在住・在勤者を対象に公募され、174人の応募の中から選ばれた。
 ひろせ野鳥の森駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。業務委託駅である。(管理駅:熊谷駅)駅舎はホーム先端にあり、駅前道路からは段差なしでホームまで到達できる。トイレは、改札内にあり男女別の水洗式で、男性用・女性用共に身体障害者対応のバリアフリートイレになっている。
 秩父鉄道1000系電車(ちちぶてつどう1000けいでんしゃ)は、1986年(昭和61年)に登場した秩父鉄道の通勤形電車で、国鉄101系電車の譲受車である。1986年から1989年(平成元年)にかけて元日本国有鉄道(国鉄)→東日本旅客鉄道(JR東日本)の101系のうち状態の良い3両編成12本36両を非冷房車のままで購入した。その後、埼玉県の補助金交付を受けて1994年(平成6年)から1997年(平成9年)にかけて双方の先頭車に集約分散式冷房装置が搭載された。車体塗装は、登場当初は当時の標準色であるレモンイエローにブラウン帯で、先頭車前面の帯中央に「秩父鉄道」を表記していた。その後は白地に青と赤の帯が正面から側面に回るデザインに変更されるとともに前面窓周りが黒で縁取られた。
 秩父鉄道7500系電車(ちちぶてつどう7500けいでんしゃ)は、秩父鉄道の通勤形電車。東京急行電鉄から8090系電車を譲受し改造を施した車両。2010年(平成22年)3月25日から営業運転を開始した。  秩父鉄道6000系電車は、秩父鉄道の急行列車用車両。西武鉄道の新101系を購入し、秩父鉄道の3000系(元JR東日本165系)で運用されていた急行「秩父路」に投入して同系列との置き換えを進めた。
 @広瀬川原車両基地(ひろせがわらしゃりょうきち)は、埼玉県熊谷市にある広瀬川原駅に隣接した秩父鉄道の車両基地である。熊谷工場と呼ぶ場合もある。広瀬川原車両基地は、ひろせ野鳥の森駅と大麻生駅の間に所在する、広瀬川原駅に隣接している。秩父鉄道を走る全ての車両が所属する(ただし、電車は始終点列車が多く留置線がある熊谷駅・秩父駅・三峰口駅などに、電気機関車は三ヶ尻線が分岐する武川駅に留置されていることが多い)。蒸気機関車C58 363もここに所属し、転車台もある。東映製作の特撮番組のロケで使われることがあり、映像で様子をうかがうことができる。構内にはかつて秩父鉄道で活躍していた車両(デキ101号、テキ100形、ワキ800形、スム4000形など)が留置されている。また、部品取り用の都営6000形やJR12系客車なども留置されている。これらは車窓や、敷地外から見ることができる。2004年までは、一般には非公開だったが、2005年6月4日にイベントを開催し、初めて一般公開した。好評だった事から、翌年2006年5月14日には「2006わくわく鉄道フェスタ」と題して公開、2007年も5月19日に「2007わくわく鉄道フェスタ」を開催した。以後毎年わくわく鉄道フェスタを5月中旬頃に実施している。
 A広瀬川原駅(ひろせがわらえき)は、埼玉県熊谷市にある秩父鉄道秩父本線の貨物駅である。 ひろせ野鳥の森駅と大麻生駅の間に位置し、広瀬川原車両基地が隣接している。元は荒川で採掘される砂利の積み出しを目的に開設された貨物駅であるが、資源状況にともない開設と廃止を繰り返した歴史がある。1968年(昭和43年)に熊谷にあった車両基地の移転とともに現在地に移設されたが、以後の貨物扱いは甲種車両輸送と機関車用の撒砂程度しかない。敷地のほとんどが広瀬川原車両基地の建屋である。秩父鉄道のダイヤグラムにも記載されたれっきとした駅であり、回送列車や試運転列車はこの駅に発着する。 駅名を示す物は通常なにもないが、年に一度開かれる「わくわく鉄道フェスタ」の際には「広瀬川原」の駅名標(秩父鉄道各駅で使用されているものと同様のもの)が設置されている。
 AC58形蒸気機関車(C58がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した蒸気機関車である。ローカル線用の客貨兼用過熱式テンダー式蒸気機関車で、8620形と9600形の共通の後継機として設計され、1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)にかけて、427両が製造された。愛称はシゴハチである。
 A2010年現在、動態保存されているC58形はC58 363のみである。同機は国鉄から引退後、埼玉県北足立郡吹上町立(現在の鴻巣市立)吹上小学校に展示されていたものであるが、1988年(昭和63年)から秩父鉄道秩父本線熊谷駅 - 三峰口駅間で「パレオエクスプレス」として運転されている。
 A秩父鉄道デキ100形電気機関車(ちちぶてつどうデキ100がたでんききかんしゃ)は、秩父鉄道の電気機関車。第二次世界大戦後に日立製作所が日本各地の私鉄や専用線に供給した50t級電気機関車の一つで、デキ101、デキ102 - デキ106、それにデキ107・108の3グループに分類される。デキ101の増備車として、デキ103が1954年に製造された。本グループ以降は当初よりデキ100形として竣工している。
 A秩父鉄道デキ200形電気機関車(ちちぶてつどうデキ200がたでんききかんしゃ)は、秩父鉄道に所属する直流用電気機関車である。東京オリンピックの前年、1963年(昭和38年)に建設ラッシュでセメント需要が増加したことから3両(デキ201 - 203)を日立製作所で新製したものである。出力をデキ100形の200kW×4から230kW×4に増強。定格引張力も9440kgに増し、制御ノッチも多段式になっている。台車はL型軸梁式の片押しブレーキ方式という独特な構造で、力点を下げることで機械的に空転防止を図ることを意図した。車体はデキ100形と同様の前面に貫通扉を設けたデッキ付きの箱形車体であるが、丸みが増して、前面窓が上下方向に小さくなり、窓上にひさしがついた。また、前照灯が2灯になっており、大型のライトケースに収められて貫通扉の上部に取付けられている。この前照灯は当初は白熱灯であったが、のちにシールドビームに変更されている。貨物輸送量の減少により、デキ202・203が2000年(平成12年)6月30日付けで廃車になり、中部国際空港建設用埋立土砂輸送にともなう入換用として三岐鉄道に譲渡された。秩父鉄道に残ったデキ201は「パレオエクスプレス」用の12系客車と同じ深緑に金色帯の塗装に変更され、二代目のパレオエクスプレスをサポートする機関車になった。塗り替え後はパレオエクスプレスの広瀬川原(熊谷工場) - 熊谷間の牽引(回送)が主な用途だが、C58形故障時や、ごくまれに設定される多客対応の臨時客車急行では先頭に立つ。かつてはパレオエクスプレスが運休になる時期は他機と共通運用で貨物列車の牽引も行ったが、セメント輸送全廃後は機関車が余剰気味のため、現在冬季はほとんど稼動しない。
 A秩父鉄道デキ500形電気機関車(ちちぶてつどうデキ500がたでんききかんしゃ)は、秩父鉄道に在籍する電気機関車である。日立製作所製の直流用電気機関車である。実質的にはデキ300形の増備機で、空気圧縮機がAK4から高速型のC-1000に変更されたこと以外はほぼ同一。505は1980年3月に増備された。ライトケースと避雷装置が変わった 505号機は2010年5月頃に茶色塗装となっている。
 A国鉄12系客車(こくてつ12けいきゃくしゃ)とは、日本国有鉄道(国鉄)が1969年(昭和44年)から1978年(昭和53年)まで、合計603両を製造した急行形座席客車のグループである。当初から冷房装置を搭載し、また自動ドアの客車初採用などの改良で旅客サービスや安全面の向上に大きな成果を挙げた。このほか、客車初の分散ユニット型電源システムによる電源供給の効率化が図られ、2段式ユニット窓やFRP部材の採用などでコストダウンをも図るなど、多くの技術面でその後の国鉄客車の基本となった車両である。秩父鉄道へは、2000年に「パレオエクスプレス」用としてオハ12形2両、スハフ12形2両の計4両が譲渡された。そのほかに部品取り用としてオハ12 363が譲渡されている。
B軌道モーターカーミニトロッコ体験乗車。
B部品取り用としてオハ12 363。 B部品取り用の車両。
 B秩父鉄道デキ300形電気機関車(ちちぶてつどうデキ300がたでんききかんしゃ)は秩父鉄道に在籍する電気機関車である。1967年に3両が日立製作所で新製された。1963年に製造されたデキ200形の特殊な部分を普通に戻した形態の機関車である。制御ノッチは16段に戻り、デキ200形が意図した空転防止システムは、空転時に警報が鳴り自動的に各台車進行方向側の主電動機が弱め界磁になる電気的なシステムを採用することで補った。台車は一般的な軸ばね式。車体はデキ200形とほぼ同じで、ひさしがなくなり、避雷器が屋根上に移設された。当初は前照灯は白熱灯であったが、のちにシールドビームに変更された。現在でも3両全車が現役で活躍中。
 C秩父鉄道スム4000形貨車は、秩父鉄道に在籍する貨車である。  C秩父鉄道ヲキ100形・ヲキフ100形貨車は、秩父鉄道に在籍する貨車(鉱石運搬用ホッパ車)である。
C車輪の山・・・使うのだろうか?
Dトラバーサー動画。
D鉱石運搬用ホッパ車の下部ゲートを開け閉めしている。
E転車台動画。
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出典:秩父鉄道株式会社
秩父鉄道 わくわくチャリティーフェスタ2011