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更新日時 2017年01月27日

煉瓦構造物 荒川区佐藤病院煉瓦塀
@荒川区西尾久5丁目の佐藤病院の煉瓦塀。表側は焼き過ぎ煉瓦。
沿 革
・明治42年7月佐藤医院創設
・大正7年9月佐藤病院に改称
・昭和20年3月東京大空襲により、病院建物は全焼
・昭和20年6月佐藤診療所再開
・昭和23年10月佐藤病院に改称
・昭和45年7月増改築工事完了
@荒川区西尾久5丁目の佐藤病院の煉瓦塀。煉瓦の積み方は長手積みで積まれている。裏側は赤煉瓦が使用されている。佐藤病院の事業所の運営に関する方針は身体的、精神的不自由さを持った利用者が、それぞれの能力に応じた、人間らしい生活が送れるよう、地域との連携を図りながら 医療、リハビリ、看護、介護等総合的なサービスを提供する。
@荒川区西尾久5丁目の佐藤病院の煉瓦塀。内側には補強の柱が設置されている。
@荒川区西尾久5丁目の佐藤病院の煉瓦塀。
@荒川区西尾久5丁目の佐藤病院の煉瓦塀の天端は平面が見えていて、煉瓦の刻印が探しやすい。
@山本煉瓦の刻印。荒川区西尾久5丁目の佐藤病院の煉瓦塀の煉瓦の刻印。長方形に山本の煉瓦の刻印。山本煉瓦の刻印。山本煉瓦と佐藤病院の元経営者は友達関係にあり山本煉瓦の煉瓦を使ったと言われている。
@山本煉瓦の刻印。明治・大正期、荒川(現隅田川)沿いにはいくつもの煉瓦工場が有った。土が煉瓦の製造に適していたことと、舟運が期待されての事である。旭電化跡地(東尾久7丁目)付近にあった戸田煉瓦工場・山本煉瓦工場、華蔵院(東尾久8丁目)付近にあった鈴木煉瓦工場などである。中でも古いのが、明治5年に石神仲衛門氏が設立した広岡煉瓦工場。
@山本煉瓦の刻印。大正8年山本煉瓦工場が廃業した。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『荒川区』を掲載」
出典: 医療法人社団 藤寿会 佐藤病院