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更新日時 2018年03月06日

煉瓦塀写真集 西大番頭小屋跡
 西大番頭小屋跡:江戸時代、徳川将軍直属の部隊の一つである大番は、1組50騎の計12組からなり、それぞれの部隊長である大番頭に率いられ、うち2組が1年交代で大阪城本丸の警備にあたった。彼らの小屋(宿営)は二の丸南側一帯に東西に分けられて置かれ、大手口枡形の南東側となるこの一帯には西大番頭の小屋があった。敷地には大番頭本人やその家臣、幕府から配属された与力・同心の居住する建物が建ち並んでいた。明治維新後、跡地には陸軍関連施設が建てられ、その頃の門柱や左右の塀が僅かに残る。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。煉瓦塀の柱部分は焼き過ぎ煉瓦が使われている。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。イギリス積みで津amれテイル。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。柱部分の笠木下を確認したが煉瓦の刻印は確認出来なかった。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。煉瓦の刻印を確認したが、製造所不明の刻印。
C旧陸軍関連施設(西大番頭小屋跡)煉瓦塀。煉瓦の刻印を確認したが、製造所不明の刻印。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『大阪市』を掲載」