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更新日時 2018年03月08日

煉瓦塀写真集 造幣局
 造幣局煉瓦塀:独立行政法人造幣局は、硬貨の製造、勲章・褒章及び金属工芸品等の製造、地金・鉱物の分析及び試験、貴金属地金の精製、貴金属製品の品位証明などの事業を行う日本の行政執行法人である独立行政法人である。そのため、職員の身分は国家公務員である。本局は大阪市北区天満に位置し、構内に造幣博物館がある。1871年の創設時以来、工場内および近隣周辺に貨幣鋳造時の余剰発生ガスでガス灯を灯しており、当初は日本初のガス灯による街灯で見物人が多数訪れている。大阪本局は1871年1月17日(明治3年11月27日)に銀貨製造を開始し、4月4日(明治4年2月15日)に大蔵省造幣寮として創業式を挙行している。6月27日(明治4年5月10日)に新貨条例および造幣規則布告がされて近代的貨幣制度が開始される。
C造幣局創業当時の正門。
C造幣局創業当時の正門。ここにある菊花と大の字形を交互に配置した二本の門柱は、明治4年に造幣局が操業した当時の正門です。また、八角形の建物は、泉布観(創業当時から、造幣局の応接所として使用されていた我が国の最も古い西洋風建築物のひとつ)と同様、イギリスの建築技術者ウォートルスの設計によるもので、正門の衛兵の詰所として使われていたものです。ここには、創業当時から大正8年頃まで、大阪師団の兵士が造幣局の警備のために衛兵として配置されていました。
C造幣局創業当時の正門。この煉瓦は、造幣局北宿舎地3号門筋の滝川幼稚園との境界にあった塀に使用されていたもので大正時代初期に造られたものです。この積み方は当時のものを再現しています。イギリス積み。
C造幣局創業当時の正門の腰部分の平面を確認したが、煉瓦の刻印は確認出来なかった。(植え込みの柵内なので近づけなかった)
C造幣局煉瓦塀。この煉瓦は明治44年(1911年)に建てられた火力発電所(現博物館展示棟)の建築材に使用されていたもので、明治期の近代化を進めた遺産の一つとして保存しています。
C造幣局煉瓦塀の天端平面に大阪窯業の煉瓦の刻印を確認。
C造幣局煉瓦塀の天端平面に岸和田煉瓦の煉瓦の刻印を確認。
C造幣局煉瓦塀の天端平面に岸和田煉瓦の煉瓦の刻印を確認。
C造幣局煉瓦塀の天端平面に堺煉瓦の煉瓦の刻印を確認。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『大阪市』を掲載」