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更新日時 2018年03月24日
高崎市中紺屋町煉瓦塀:中紺屋町は紺屋職人が多くいる町で、元紺屋町と新紺屋町の間にあることからこの名前がつきました。旧城下の職人町のひとつで、市街地のほぼ中央に位置している町です。このまちから出る横丁が2つあり、ひとつは「西ノ横丁」、もうひとつは「東ノ横丁」と呼ばれていました。「東ノ横丁」は古着屋が多かったため、「古着屋横丁」とも呼ばれていました。 町内には、八幡町護国寺末の真言宗の真珠山妙建院玉田寺があります。この寺は旱魃のとき城主の要請によって、雨乞いの祈願をするのが慣例になっていました。またこの寺の境内には、時を知らせる「鐘つき堂」があり、この鐘の音は、片岡地区の集落にまで響き渡ったと言われています。この鐘は、第二次世界大戦下の昭和18年(1943)供出、鐘楼は昭和20年代の終わりごろまで設置されていました。高崎市は1621年(元和7年)の大火から1945年(昭和20年)の高崎空襲被害まで24回の大火に有っている。その為かこの煉瓦塀は高さが非常に高い。 | |
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@高崎市中紺屋町煉瓦塀。 |
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@高崎市中紺屋町煉瓦塀。高崎市は1621年(元和7年)の大火から1945年(昭和20年)の高崎空襲被害まで24回の大火に有っている。その為かこの煉瓦塀は高さが非常に高い。 |
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@高崎市中紺屋町煉瓦塀。 |
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@高崎市中紺屋町煉瓦塀。 |
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@高崎市中紺屋町煉瓦塀はイギリス積みで積まれている。 |
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@高崎市中紺屋町煉瓦塀。笠木の下を確認したが煉瓦の刻印は確認出来なかった。 |
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