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更新日時 2017年12月20日
日之出煉瓦製造所:板野郡瀬戸町撫佐口ノ谷6にあった煉瓦の製造所。煉瓦を焼く窯跡が現在も残っている。大正12年3月操業。昭和10年代頃迄赤煉瓦を製造していた。江戸期から明治22年にかけては板東郡および板野郡の村であった。寛文4年より板野郡に属した。明治22年に同郡瀬戸村、昭和3年に瀬戸町の大字となった。昭和22年3月には鳴南市、同年5月より現在の鳴門市の字名となる。鳴門市の北東部・島田島の南東部に位置し、ウチノ海に南面する小集落。北方の瀬戸町室とは、島田山を縦断する山路で通じる。山地を通って東・北・西の境をなす鳴門スカイライン(徳島県道183号亀浦港櫛木線)を隔てて、北は瀬戸町室、西は瀬戸町大島田に接する。また南西方の瀬戸町小島田とは、ウチノ海沿いの道路で通じている。漁業で生計を営む者が多く、分村してできた瀬戸町室の漁民と共同で、室撫佐漁協を設立し、瀬戸内海を中心に活動している。字本村に八幡神社がある。 | |
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@日之出煉瓦製造所。地元の人に聞いたら、煉瓦の釜と煙突が残っているよと聞いて、許可を得て見せて頂きました。写真の左奥の雑木林で覆われた中にあります。道路からは見えませんので、聞かないと見つけられなかったでしょう。 インターネットで検索しても出てこない案件です。 |
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@日之出煉瓦製造所。雑木林の中には日之出煉瓦製造所で製造された煉瓦と思われる破片がゴロゴロしていました。煉瓦の破片を確認しましたが、煉瓦の刻印は確認出来ませんでした。 |
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@日之出煉瓦製造所。雑木林の中に入ると煉瓦の釜を発見。雑木林で煉瓦の釜の全体像は撮影出来なかった。 |
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@日之出煉瓦製造所。釜の中には木造の子舟が入れられていて、子舟の船小屋としても使われていたようだ。その為、前部の入口が大きかったのだろう。その部分が破壊されたのは残念だ。散らばっていた煉瓦は釜前部の破片かもしれない。 |
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@日之出煉瓦製造所。釜の横の入口コーナ部は異形煉瓦が使われている。 |
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@日之出煉瓦製造所。横に人が入る入口がある。 |
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@日之出煉瓦製造所。窯内部から横の入口部分を見る。 |
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@日之出煉瓦製造所。窯内部から道路側を見る。 |
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@日之出煉瓦製造所。釜の横の穴は空気の取り入れ口か? |
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@日之出煉瓦製造所。釜外部から煉瓦の煙突を見る。 |
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@日之出煉瓦製造所。煙突付近から釜の上部を見る。 |
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@日之出煉瓦製造所。煙突の全体像。煙突上部は装飾が施されている。 |
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@日之出煉瓦製造所。煙突後部から道路側に向かって窯上部を見る。 |
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@日之出煉瓦製造所。窯上部の煙道から煙突を見る。 |
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@日之出煉瓦製造所。煙突下部には空気の取り入れ口がある。 |
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@日之出煉瓦製造所。煙突下部には空気の取り入れ口から煙突内を撮影。 |
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