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更新日時 2018年03月17日

 泉布観:泉布観は、大阪市北区にある歴史的建造物。大川沿いに位置する、大阪府に現存する最古の洋風建築である。国の重要文化財に指定されている。1871年(明治4年)に造幣寮(現在の造幣局)の応接所として建設された。設計者はトーマス・ウォートルス。完成の翌年に明治天皇が行幸し、貨幣を意味する「泉布」と館を意味する「観」から泉布観と命名。明治天皇自身も3回も訪れ、皇族や外国の要人を数多く迎えた。1917年(大正6年)には大阪市に移管され、1956年(昭和31年)には国の重要文化財に指定された。1962年(昭和37年)〜1964年(昭和39年)には保存のために補修工事が施された。大阪市は2010年(平成22年)度よりふるさと納税の寄付金を原資として、外観補修や庭園整備を行い、2013年(平成25年)3月29日から31日に3年ぶりに内部が公開され、同年4月15日より外観の常時公開が行われている(内部公開は、毎年3月に3日間のみ)。また、敷地内に隣接する旧桜宮公会堂(旧造幣寮鋳造所正面玄関、旧ユースアートギャラリー)では民間活力を利用し、2013年(平成25年)4月15日よりパーティーレストラン「旧桜宮公会堂」として一般に公開されている。
@泉布観の煉瓦塀。
@泉布観の煉瓦塀はイギリス積みで積まれている。
@泉布観の煉瓦塀の軒下を確認したが煉瓦の刻印は確認出来なかった。
@泉布観の煉瓦塀の天端に平面が出ている部分が有ったので煉瓦の刻印を探したが刻印は確認出来なかった。
@泉布観の煉瓦塀の煉瓦は長手方向がJIS規格より長い感じがする。
@泉布観の煉瓦塀。
@泉布観の煉瓦塀奥に煉瓦倉庫が残っている。この煉瓦倉庫もイギリス積み手積まれている。
A泉布観の煉瓦塀内部。
A泉布観の煉瓦塀内部。
A泉布観の煉瓦塀内部。
A泉布観の煉瓦塀内部。
A泉布観の煉瓦塀内部の笠木下を確認したが、煉瓦の刻印は確認出来なかった。
A桜宮公会堂。
B泉布観。泉布観は、大阪市北区にある歴史的建造物。大川沿いに位置する、大阪府に現存する最古の洋風建築である。国の重要文化財に指定されている。1871年(明治4年)に造幣寮(現在の造幣局)の応接所として建設された。設計者はトーマス・ウォートルス。完成の翌年に明治天皇が行幸し、貨幣を意味する「泉布」と館を意味する「観」から泉布観と命名。明治天皇自身も3回も訪れ、皇族や外国の要人を数多く迎えた。
B煉瓦小屋:造幣局寮の敷地内には幾つかの洋風建築が建っていて泉布観の南隣には同様の構造の北異人館(中等洋人館)があった。この煉瓦小屋は北異人館に附属する建物であったが、大正時代末期に国道1号線の建設工事にともない北異人館は取り壊され、この建物だけが残った。煉瓦の積み方はフランス積みと呼ばれ、日本では明治中期以前の古い建物に使用された積み方であることから、その時期の建設と思われる。
B煉瓦小屋。
B煉瓦小屋。煉瓦の平面が見えるが煉瓦の刻印は確認出来なかった。
B煉瓦小屋。煉瓦の平面が見えるが煉瓦の刻印は確認出来なかった。
B煉瓦小屋はフランス積みで積まれている。
B煉瓦小屋。
B煉瓦小屋。
B煉瓦小屋。煉瓦の平面が見えるが煉瓦の刻印は確認出来なかった。
B煉瓦小屋。
B煉瓦小屋。
B煉瓦小屋。煉瓦の平面が見えるが煉瓦の刻印は確認出来なかった。
B煉瓦小屋。煉瓦の平面が見えるが煉瓦の刻印は確認出来なかった。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『大阪市』を掲載」
煉瓦構造物 泉布観