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更新日時 2019年07月20日

煉瓦構造物 ノリタケの森
 ノリタケの森は、名古屋市西区則武新町にある公園、レストラン、ミュージアムなどを含む複合施設。ノリタケカンパニーリミテドによって同社の本社に隣接する工場跡地に作られ、2001年10月5日に開場した。ノリタケカンパニーリミテドの前身である日本陶器合名会社は1904年に森村市左衛門らによって設立され、名古屋市西区に工場・本社が建設され、食器の生産が行なわれていた。やがて生産体制の変化とともに当地での食器生産が終わり、赤レンガ製の工場の建物群が残っていた。北側の自然系ゾーンには広場などがあり、かつて45メートルの高さを誇り工場のシンボルマークであった6本の大煙突が10メートル弱に切られた状態で並んでいる。赤レンガ建築、6本煙突、森村・大倉記念館 CANVASは経済産業省近代化産業遺産に認定されている。
ノリタケの森
定休日:毎週月曜日・年末年始
営業時間:
ウェルカムセンター
10:00〜17:00
クラフトセンターミュージアム
10:00〜17:00
ショップ&カフェ
10:00〜18:00
ノリタケの森ギャラリー
10:00〜18:00
レストラン
11:30〜16:00
@赤煉瓦棟。煉瓦は日本の開国と共に幕末から輸入されはじめ、明治になると国内でも造られ、文明開化のシンボル的存在として、多くの建物に使用されました。1904年に建てられた日本陶器合名会社の工場も煉瓦造りでした。この赤煉瓦棟は当時の建屋で、現存する唯一のものです。森村市左衛門ら創立者6名の宣誓文が埋められるなど、当時の思いが込められた建物で、貴重な産業遺産としてその姿を今にとどめています。
@赤煉瓦棟。
@赤煉瓦棟の鉄扉。
@赤煉瓦棟。
@赤煉瓦棟。
@赤煉瓦棟。
@赤煉瓦棟。
@赤煉瓦棟。頭部に鉄製の構造物が付いている。
@赤煉瓦棟。
@赤煉瓦棟の煉瓦はイギリス積みで積まれている。
@赤煉瓦棟の軒下部分の煉瓦の平面が出ている部分に○イの煉瓦の刻印を確認。
Aノリタケスクエア名古屋。
Aノリタケスクエア名古屋。
Aノリタケスクエア名古屋。
Aノリタケスクエア名古屋。
Aノリタケスクエア名古屋。
Aノリタケスクエア名古屋。外壁のモルタルが剥がされたため、表面がざらざらしている。煉瓦はイギリス積み。
B6本煙突モニュメント。巨大な6本のモニュメントは、1933年工場大改造時に建造された陶磁器焼成用トンネル窯の煙突の跡です。その根元には窯から排出される煙を煙突に送るための煙道も姿を見せています。ノリタケチャイナは年間550万個が生産され、世界中へ輸出されてゆきました。当時大煙突は45mの高さで、テレビ塔が建てられるまでは名古屋城とも並ぶもっとも高い建造物の一つでした。1979年工場移転と共に、モニュメント部分を残して撤去されました。
B窯から排出される煙を煙突に送るための煙道の煉瓦の基礎。
B窯から排出される煙を煙突に送るための煙道の煉瓦の基礎。
B窯から排出される煙を煙突に送るための煙道の煉瓦の基礎。
B窯から排出される煙を煙突に送るための煙道の煉瓦の基礎。
C煉瓦の擁壁。窯壁と書いて「ようへき」と読ませていた。この擁壁は、初期の工場の基礎に使われた煉瓦で造られています。陶磁器生産の基礎を支え、歴史に刻んだこの煉瓦は、工場解体時「ノリタケの森」誕生と共に土の中からよみがえりました。陶磁器製造という窯業への思いを込めて「窯壁」と名付けました。
C煉瓦の擁壁。
C煉瓦の擁壁。
C煉瓦の擁壁。
C煉瓦の擁壁。
C煉瓦の擁壁に煉瓦の刻印を確認。
C煉瓦の擁壁に煉瓦の刻印を確認。
C煉瓦の擁壁に煉瓦の刻印を確認。丹治煉瓦の刻印?
C煉瓦の擁壁に煉瓦の刻印を確認。耐火煉瓦。SK-32、C-28。
D単独窯。ノリタケの窯の歴史は、1904年にこの則武の地に創業の窯として、丸窯の上に煙突を立てた第一号窯から始まり、現在の環境に優しい煙突の無いトンネル窯へと発展してきました。その間幾度も改良が加えられ、歴史の中で多くの窯が生まれました。その中で比較的小さな古い単独窯の一つをモニュメントとして保存した。
D単独窯。
D単独窯。
D単独窯。
D単独窯内部。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『名古屋市』を掲載」