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更新日時 2022年01月10日

煉瓦樋管・樋門・水門 北用水樋門
 北用水樋門は小貝川が利根川に合流する河口に構築された「豊田堰」から農業用水を取水し、幹線用水路を通して送られた水を更に水田へと引き入れるため「立木締切水閘」「掘割堰」などと共に明治30年代に相次いで建設された煉瓦造りの水門の一つで、明治33年に完成しました。明治時代初頭まで河川から水を通して農地を潤すための堰、あるいは大雨の時、利根川のような大河や湖沼からの逆流を防ぐための閘門はその殆どが木や竹で造られており台風による損害に人々は度々悩まされていました。そこで、恒久的な材料を用いてそれらを築造することが関係者にとって、とりわけ農民にとって永年にわたる悲願であったわけです。そこに新建材として登場したのが煉瓦と接合剤セメントでした。これらの普及は正に人々の熱い想いがかなえられる形で関東地方では、明治30年代を中心に続々と煉瓦造りの水門が建設されたのでした。同じ小貝川の「福岡堰」「岡堰」と共に当時「関東の三大堰」といわれた「豊田堰」も明治34年に煉瓦造りに改修されています。しかし、後に鉄筋コンクリート工法の発展によって建築材としての煉瓦造りの水門が建設されたのは明治時代の30年間だけで、木や竹の水門から鉄筋コンクリートの水門への橋渡しを果たしたもの、その優雅な姿は時代の流れと共に姿を消していきました。「北用水樋門」もこの短い期間に造られたものですが、茨城県技師関谷忠正が設計した多くの煉瓦造り水門の中で時代の流れに置き去りにされ、唯一残った貴重な明治の遺産です。かつて、「大水門」と呼ばれた「立木締切水閘」も昭和57年に新利根川の改修に伴い姿を消しましたが、この「北用水樋門」は水門としての役割は終えた後も地元の人々に「小水門」と呼ばれ親しまれながらその小さな体で今も歴史を物語っています。
@北用水樋門の説明看板。
@北用水樋門。
@北用水樋門。
@北用水樋門の煉瓦の刻印は確認できなかった。
@北用水樋門銘板。
@北用水樋門の笠石が取り付けてあった?
@北用水樋門の笠石。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『利根町』を掲載」