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更新日時 2022年02月06日

煉瓦樋管・樋門・水門 旧岡堰
 旧岡堰・岡堰中の島:江戸幕府が成立し安定期に入り始めた寛永年間(1624年から1644年)、関東郡代となった伊奈半十郎忠治は、洪水を防ぐために鬼怒川と小貝川を分離しました。そして取手市戸田井付近の台地を切り開き、利根川と合流する今のような小貝川の流路が完成しました。小貝川は鬼怒川と切り離されることで川の流れが安定し、寛永7年(1630年)には岡堰が設けられました。岡堰にためられた水が用水となり、相馬二万石と呼ばれる広大な新田が誕生しました。しかし、工事は現在のように簡単ではなく、多くの労力と様々な失敗を繰り返しながら行われました。勢いの強い水の流れを変えるために、萱と竹を使った独特の工法である「伊奈流」が苦労の末に編み出されました。昭和に入ってからも、人々は堤防や堰の決壊時には、この伝統的な工法である「伊奈流」で危機を乗り切ってきました。
@旧岡堰・岡堰中の島入口。
A旧岡堰・岡堰中の島橋梁から小貝川下流を見る。
B旧岡堰・岡堰中の掲示板に旧岡堰の説明が書かれている。
C明治時代の岡堰の一部。
C明治時代の岡堰の一部。
C明治時代の岡堰の橋梁の銘板?。
C明治時代の岡堰の煉瓦の刻印
C旧岡堰(可動堰、昭和21年築造)の一部。
C旧岡堰(可動堰、昭和21年築造)の一部。
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