更新履歴

更新日時 2022年02月06日

 堤防の中に水路を通し、そこにゲートを設置する場合、樋門または樋管と呼びます。樋門と樋管の明確な区別はなく、機能は同じですが、一般に、堤防の下をくぐる部分の構造が丸い管の場合で規模の比較的小さなものを樋管、箱形等の構造の場合で規模の大きなものを樋門と呼びます。堤防を分断してゲートを設置する場合を水門と呼びます。煉瓦は、粘土や頁岩、泥を型に入れ、窯で焼き固めて、あるいは圧縮して作られる建築材料。通常は赤茶色で直方体をしている。焼成レンガは、土の中に入っている鉄分の影響により赤褐色となる。耐火レンガは炉材にも使われる。日本において煉瓦建築の技術は、近代化とともに導入されたが、構造材として用いる場合は地震に弱いという難点があり、関東大震災では多くの被害を出したことから、煉瓦建築は小規模な建物を除いて激減した。ただし、建材には煉瓦風のタイルも様々な種類が存在し、仕上げ材としては現在でも多く用いられる。これは洋風の雰囲気を出すため、木造や鉄筋コンクリート造の表面に張り付けるものである。
上記イラストはフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より借用。
煉瓦構造物 ねじりまんぽ 煉瓦橋梁・隧道
煉瓦樋管・樋門・水門 ランプ小屋 煉瓦塀
煉瓦樋管・樋門・水門
旧岡堰・岡堰中の島:江戸幕府が成立し安定期に入り始めた寛永年間(1624年から1644年)、関東郡代となった伊奈半十郎忠治は、洪水を防ぐために鬼怒川と小貝川を分離しました。そして取手市戸田井付近の台地を切り開き、利根川と合流する今のような小貝川の流路が完成しました。小貝川は鬼怒川と切り離されることで川の流れが安定し、寛永7年(1630年)には岡堰が設けられました。岡堰にためられた水が用水となり、相馬二万石と呼ばれる広大な新田が誕生しました。
北用水樋門は小貝川が利根川に合流する河口に構築された「豊田堰」から農業用水を取水し、幹線用水路を通して送られた水を更に水田へと引き入れるため「立木締切水閘」「掘割堰」などと共に明治30年代に相次いで建設された煉瓦造りの水門の一つで、明治33年に完成しました。
常西用水路新庄排砂水門:ヨハネス・デ・レーケの指導により合口化された常西用水路だが、度重なる洪水により、多量の砂が常西用水路に流れ込み、用水を塞いだため、その土砂を排砂する目的の排砂水路を最下流の現地点に設け、赤江川を経て神通川へと排出しています。この排砂水門は昔ながらの手動式分水門で、今尚現役の施設として利用されている。また、赤煉瓦で構築されていることから地元では「新庄の赤門」の名で親しまれている。
瓦葺掛樋
住所:上尾市大字瓦葺字堤外286
設置から230年近い歳月の中で水路の変形や欠陥が甚大になり、流末地域の用水不足から昭和36年には伏越(ふせこし)に改変された。瓦葺掛樋跡は、見沼代用水路や明治時代の土木技術の歴史上、重要な文化財であるとともに、見沼代用水路の重要構造物の中で、唯一、明治時代の構造物が残る貴重な文化財。
2016年08月14日探索。
皿田樋管
住所:埼玉県蓮田市根金
皿田樋管は堤防の法線に対して斜めに設置されていて、川表の翼壁は左右非対称の複雑な形状をしている。元荒川からの逆流を心配して堤防に対しては、直角に設置しなかった。本樋管は排水用であるが、現代の合流工などと同じ考え。
2016年08月14日探索。
新久保用水樋管
住所:埼玉県久喜市菖蒲町三箇
新久保用水樋管は、備前堀川に架かる笊田橋(12号.川越栗橋線)の下流50mに位置する。この辺りは、菖蒲町三箇と久喜市北中曽根の境界で、南西2Kmには見沼代用水が流れている。新久保用水樋管の下流200mには、古笊田堰が存在する。
2016年08月14日探索。
古笊田堰
住所:埼玉県久喜市菖蒲町三箇
古笊田堰は備前堀川の中流部に設けられた農業用水の取水堰。清久工業団地の西端、NHKラジオ放送局と県道12号線の中間に位置する。見沼代用水で運ばれた水は、騎西領用水へと分水され、かんがいに使われた後、主に備前堀川へ流れ込む。古笊田堰は、その悪水をさらに取水するために設けられている。慢性的な水不足を少しでも解消したいと託された堰だ。堰名の笊田とはザル田で、漏水田のことだろう。
2016年08月14日探索。
山王樋管
住所:埼玉県比企郡川島町正直
山王樋管は農業用水路で、長楽用水の右岸に設けられた農業用水取水のための樋管である。長楽用水は都幾川の長楽堰(川島町長楽)から取水し、北東へと流れ、そのかんがい余水は市野川と入間川へ落とされる。
2016年08月14日探索。
京塚樋管
住所:埼玉県比企郡川島町長楽
京塚樋管は長楽地区からの農業排水を長楽用水へ放流するための施設。長楽地区は長楽用水の堰元であるが、用水は矢来堰用水に依存している。
2016年08月14日探索。
小剣樋管
住所:埼玉県東松山市正代
小剣樋管は、都幾川の最下流にある煉瓦造り樋管。東松山市正代と早俣の境に設けられ、正代地区の農業排水を都幾川へ放流している。現役の施設である。樋管名の小剣とは、この付近の小字名で、樋管に隣接して小剣神社建立されている。都幾川は小剣樋管の地点から600m下流で、越辺川の左岸へ合流する。
2016年08月14日探索。
鎌田樋管
住所:埼玉県東松山市正代
鎌田樋管は、九十九川の左岸堤防に設けられた煉瓦造りの樋管であり、農業用水を取水している(管理は高坂土地改良区)。樋管名は旧.比企郡高坂村大字正代字鎌田に設けられたことに由来する。九十九川はこの地点から700m下流で越辺川に合流する。管は内径490mm、長さ600mm、厚さ45mmの土管である。尾州上等焼土管を42本使用。面壁は管外径に合わせて、加工煉瓦が使われている。
2016年08月14日探索。
三原樋管
住所:埼玉県東松山市西本宿
三原樋管は都幾川の右岸三原堤に設けられた煉瓦造り樋門。明治35年に煉瓦造りへと改良。高坂土地改良区が施設を管理。三原樋管は農業用水の排水に使われている。
2016年08月14日探索。
奈目曽樋管
住所:埼玉県東松山市葛袋
奈目曽樋管は農業用水を送水する樋管で、主要地方道41号・東松山越生線の道路脇(葛袋神社の100m北側)に位置する。奈目曽樋管は明治36年(1903年)に比企郡唐子村と野本村で、一度に5基建設された煉瓦樋門のうちの1基。高坂用悪水路普通水利組合が唐子村大字奈目曽に建設した。
2016年08月14日探索。
永傳樋管
住所:埼玉県東松山市神戸
永傳樋管は、鞍掛堰から南東へ200mの道路脇、神戸用水にある。都幾川の右岸最上流にある煉瓦造り樋門で、鞍掛堰で取水した農業用水を送水している。樋管と命名されているが、現況の機能はカルバートである。唐子南部土地改良区が管理。
2016年08月14日探索。
高畑樋管
住所:埼玉県東松山市葛袋
高畑樋管は、都幾川の左岸最上流に設けられた煉瓦樋管であり、東松山市下青鳥、上野本地区の農業用水の取水口。都幾川には高畑樋管から200m上流に上用水堰が設けられていて、農業用水は都幾川の河川敷内を堤外水路で高畑樋管まで運ばれてくる。明治23年には埼玉県全域で大規模な洪水が発生しているので、樋管建設はその復旧工事として実施。
2016年08月14日探索。
矢来門樋
住所:埼玉県東松山市下青鳥
矢来門樋は都幾川の左岸に、前吐樋管・前樋管と隣接して設けられた悪水吐き門樋。高畑樋管、前樋管と同じく、上用水堰掛かりである。現在は上用水堰土地改良区が管理。翼壁の天端付近の煉瓦が変則積みで、東松山市に現存する煉瓦造り水門に多くみられる煉瓦の積み方。
2016年08月14日探索。
前樋管/前吐樋管
住所:埼玉県東松山市下青鳥
前吐樋管は農業用の施設であり、前樋管の上流右岸に隣接して設けられている。都幾川に設けられた上用水堰で取水した農業用水は、堤外水路で導水され、高畑樋管を経由して、前吐樋管、前樋管へと送られて来る。これらの施設は上用水堰土地改良区が管理している。前吐樋管は機能的には逃樋(余水吐)である。大雨などで水路の水位が上昇して、前樋管の通水能力を超えた場合に、余水を都幾川へ排水する。
2016年08月14日探索。
吉見町 四反田樋管
住所:埼玉県比企郡吉見町西吉見
四反田樋管は都幾川の左岸最下流の煉瓦樋管であり、矢来用水(農業用水)の取水口。矢来用水堰土地改良区が管理している。樋管名の四反田とは、この付近の旧字名。矢来用水堰で取水された水は四反田樋管を経由して、東松山市下野本、上下押垂、今泉などの区域と川島町長楽へ送水される。
2016年08月14日探索。
吉見町 永府門樋
住所:埼玉県比企郡吉見町西吉見
水路幅が5m前後で、明治20年から30年前半頃に造られた樋門は、開口部がアーチ型になるのが一般的です。明治34年築造の永府門樋は、アーチ型から桁型に移り変わる時期の例で、アーチ型の特徴(装飾性)と桁型の特徴(施工性・実用性)を合わせ持っていることが解ります。
2016年08月14日探索。
吉見町 天神沼樋管
住所:埼玉県比企郡吉見町久米田
天神沼樋管は、埼玉県の煉瓦樋門の建設史上、最も独特な形態の構造物で、形式は呑口側の集水枡(断面は楕円形)と吐口側の樋門を卵形管で連結した特異なもの。卵形管(明治時代初期に日本の近代下水道で導入された方式)の貴重な存在。
2016年08月14日探索。
吉見町 坂東樋管
住所: 埼玉県比企郡吉見町黒岩
翼壁の形状が非対称である。ゲートと戸当りは平成7年にゲートを改修。改修前は石造りの門柱だったようだ。天端の笠石は、建設当初からと思われる。右側の翼壁は、平成7年に改修され、煉瓦が新しく長手積み。
2016年08月14日探索。
加須市 落合門樋
住所:埼玉県加須市外田ケ谷
この門樋は、見沼代用水(星川)からの逆流を防ぐ水門として、明治36年に造られた。水が逆流してくると、木製の扉が閉じる仕組みで、行田方面の増水を防いだ。その為「逆さ門樋」とも呼ばれる。煉瓦造りのアーチは川を跨ぎ、橋の役目を兼ねる。近年、堀の改修に伴い、門樋の一部が姿を変えたが、煉瓦造りの建造物としては旧騎西町唯一のものである。なお、同一の設計者により建造されたものが行田市関根地内にもあった。
2016年06月19日探索。
行田市 小針落伏越
住所:埼玉県行田市小針
住所:埼玉県鴻巣市赤城
小針落伏越は、河川を横断する煉瓦造りの伏せ越しとしては、埼玉県に現存する唯一のもので、日本全体を見渡しても、一級河川を横断する煉瓦造りの伏越では唯一の存在。
2016年06月19日探索。
鴻巣市 榎戸堰組合用水樋管
住所:埼玉県鴻巣市榎戸2丁目7番
榎戸堰組合用水樋管は、榎戸堰から上流50mの元荒川右岸に設けられ、農業用水を送水している。かんがい受益地は荒川の左岸と元荒川の右岸に囲まれた地域である。榎戸樋管は現役の施設であり、管理は足立北部土地改良区がおこなっている。
2016年06月19日探索。
川越市 山田八幡神社 手水鉢(ちょうずはち)
住所:埼玉県川越市山田
明治28年(1895年)に奉納された煉瓦造りの手水鉢。幅(上端96cm、下端90cm)、奥行き47cm。使われている煉瓦は手抜き成形の赤煉瓦。隅部は鼻黒、アーチ部(直径55cm)は20個の異形煉瓦(楔形)で組まれている。アーチ部の曲率が大きいために、楔の形は上幅が53mm、下幅が30mmと極端である。煉瓦は形が歪んだ物が多く、平均実測寸法は222×108×55mm。目地厚は約9mm、仕上げは丁寧だ。
2016年06月19日探索。
川越市 笹原門樋
住所:埼玉県川越市古谷上
旧荒川の右岸堤防に明治三十四年(1901年)に設けられた制水施設で、八幡川(笹原排水)の排水や増水時の逆流を防ぐ水門の機能を果たしている。
2016年06月19日探索。
川越市 三軒家樋管
住所:埼玉県川越市渋井
明治43年(1910年)に設置された悪水を新河岸川に吐くための樋管で、上流側の呑口と下流側の吐口のアーチ数と型式が異なる。三軒家樋管は埼玉県に4基しか現存しない、呑口と吐口でアーチの数が異なる樋管である。現存する樋管の中で最も最後に建設されている。なお、竣工後の明治43年8月には、明治期最大の被害をもたらした大洪水が埼玉県全域を襲うのだが、竣工間もない煉瓦樋管は難を免れている。
2016年06月19日探索。
富士見市 水越門樋
住所:埼玉県富士見市上南畑
この煉瓦製の門樋は明治37年(1904年)に水越排水に新河岸川からの逆流を防ぐ為に造られたものです。通水口の断面形状は蒲鉾状のアーチ型、扉は水の流れに反応して開閉する観音開き構造となっています。
2016年06月19日探索。
さいたま市 千貫樋(せんがんぴ)
住所:埼玉県さいたま市桜区五関
明治37年(1904年)に鴨川落悪水路普通水利組合が、県税の補助(町村土木補助費)と埼玉県の技術指導を得て、北足立郡大久保村大字五関に建設した。
2016年06月19日探索。
工事中 1
 Copyright (C) 2006-2022 hotetu.net All Rights Reserved
外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 歩鉄の達人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
煉瓦樋管・樋門・水門