更新日時 2017年12月31日

 函館市青函連絡船記念館摩周丸(はこだてし せいかんれんらくせんきねんかん ましゅうまる)は北海道函館市にある博物館船である。日本国有鉄道(→北海道旅客鉄道)青函航路に就航していた津軽丸型連絡船「摩周丸(2代目)」の船体を使用(博物館船)し、内部も一部現役当時のものを残している。函館市青函連絡船記念館摩周丸の前身は「函館シーポートプラザ」で、摩周丸はその一部という位置づけであった。摩周丸は展示のための係留船で、海上に浮かぶ建築物とも見なされていることもあり消防法や建築基準法が適用されているほか、現在展示に供されていない区画(普通船室・グリーン自由席・貨車甲板・機関室・総括制御室・船首部など)に関してはアスベストが残存しているほか、安全管理上の問題から非公開とされている。
青函連絡船摩周丸全景。
後部の鉄道車両を積み込むゲート部分。
青函連絡船摩周丸の後部。
青函連絡船摩周丸のデッキ。
青函連絡船摩周丸の展示品類及びカウンター。
青函連絡船摩周丸の展示品類。
青函連絡船摩周丸の飾り毛布及び制服。
青函連絡船摩周丸の展示品類。
青函連絡船摩周丸の展示品類。
青函連絡船摩周丸の展示品類。
青函連絡船摩周丸の艦橋の機器類。
青函連絡船摩周丸の艦橋の機器類。
青函連絡船摩周丸の艦橋の機器類。
青函連絡船摩周丸の客室。 青函連絡船摩周丸のデッキ。
青函連絡船摩周丸のデッキ。
 函館本線0マイル地点記念碑(旧函館駅所在地の碑)北海道開拓の重要性から鉄道国有化の世論が起こりつつあった明治35年12月10日に第一期工事(函館・本郷)が完了し旧函館駅が現在の「海岸町10番地」に開業しました。しかし、港の連絡に不便が多いため、明治37年7月1日に函館駅が現在の地に移設され、旧駅は亀田駅と改名されましたが、明治41年3月類焼し、同年8月29日廃駅となりました。この記念碑は、昭和37年10月14日に道南地方の鉄道発祥の地として函館市海岸町10番地に建立されましたが、平成2年7月海岸町の宅地化に伴い、碑をこの地に移設しました。
津軽丸大錨・D51主動輪。 大雪丸大錨。
青函連絡船摩周丸へ続く廃線跡。
 函館駅(はこだてえき)は、北海道函館市若松町にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。この先に青函連絡船へつつながっていた。
 青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸(せいかんれんらくせんメモリアルシップはっこうだまる)は青森県青森市にある博物館である。1964年から1988年まで、日本国有鉄道及び北海道旅客鉄道の青函航路に就役していた八甲田丸の船体をほぼ往時のまま利用して展示したもの(博物館船)である。青森市の文化交流施設の位置づけであり、管理運営は特定非営利活動法人あおもりみなとクラブが受託している。青函連絡船メモリアルシップ八甲田丸は、1988年に廃止された青函連絡船の岸壁に繋留されており、往時の外観をほぼ残している。また、駅構内から連絡船につづく車両搬入口・引込線も残されている。内部は地下1階から4階まである。車両甲板には、北海道で特急として使用されたキハ82形特急形気動車や郵便車スユニ50などが展示されている。また、船楼甲板・遊歩甲板は、普通船室(桟敷席、座席)、グリーン船室(桟敷席、座席)、寝台室などが一部往時のまま残され、寝台を除き実際に座ったり横になったりすることができる。
青函連絡船八甲田丸全景。
 八甲田丸に配線が接続されている。現在は自分で発電出来ないので外部から電源を供給しているようだ。それにしてもこんなに本数が必要なのだろうか?
駅構内から連絡船につづく車両搬入口・引込線も残されている。
八甲田丸の乗船口。 八甲田丸の展示品。
この八甲田丸の展示品は羊蹄丸から移設したものらしい。
青函ワールド(当時の青森の様子) 青森、函館間航路運航表。21往復。
青函ワールド(当時の青森の様子)
青函ワールド(当時の青森の様子)
列車のシートを再利用。
八甲田丸の艦橋。
八甲田丸のエンジン。 八甲田丸の展示品。
自動連結器付車止め(油圧緩衝器付)
国鉄ヨ6000形貨車。 スユニ50(荷物郵便合造車、取扱便)
スユニ50(荷物郵便合造車、取扱便)
キハ82。 DD16 31とキハ82。
車輌保管庫のデッキの後部甲板。
 形式ヒ600。国鉄ヒ600形貨車(こくてつヒ600がたかしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1954年(昭和29年)から製作した事業用貨車(控車)である。
国鉄ヒ600形貨車。 国鉄ヒ600形貨車とDD16 31。
キハ82。 車輌保管庫のデッキ。
八甲田丸から100mぐらいの所に盛4493の車掌車と控車ヒ759が展示されている。控車ヒ759の荷台?
  青森駅(あおもりえき)は、青森県青森市柳川一丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・青い森鉄道の駅である。当駅は古くは青函連絡船の本州側玄関口であり、北海道と本州をつなぐ、全国的な交通網の要であった。その情景は歌謡曲「津軽海峡・冬景色」の歌詞にもなった。1988年(昭和63年)に青函トンネルが開通すると、青函連絡船はその役目を新たに開業した津軽海峡線に譲って廃止され、津軽海峡線の快速「海峡」の始発・終着駅の役割を果たしていた。
青森駅の引き込み線終端部。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青函連絡船 八甲田丸・摩周丸