更新日時 2018年01月07日

 八丈島(はちじょうじま)は、伊豆諸島の島。行政区分は東京都八丈町。隣の八丈小島と区別するため、八丈本島もしくは八丈大島と呼ばれることもある。日本の気象庁によると火山活動度ランクCの活火山である。1964年、富士箱根伊豆国立公園に指定された。東京の南方海上287km、御蔵島の南南東方約75kmにあり、東山(別名:三原山・標高701m)と西山(別名:八丈富士・標高854m)のふたつの火山が接合した北西-南東14km、北東-南西7.5kmのひょうたん型をした島。面積は山手線の内側とほぼ同じ。富士火山帯に属する火山島で、東山は約10万年前から約3700年前まで活動し、カルデラを形成したと考えられている。最終噴火は有史以前であり歴史記録上の噴火はない。西山は数千年前から活動を始めた新しい火山で、山頂に直径約500mの火口がある。1487年12月、1518年2月、1522年 - 1523年、1605年10月、1606年1月に噴火が記録されており、特に1606年の記録には、海底噴火によって火山島ができたとされる。東山と西山の間にある低地には、20以上の側火山(寄生火山)があり、海岸近くには神止山などのマグマ水蒸気爆発による火砕丘がある。17世紀までに数回活動した記録があるが、規模は大きくなかったと考えられている。気候は、暖流である黒潮の影響を受け、海洋性気候となっている。年平均気温は17.8℃となっており、高温多湿。年間を通して風が強く、雨が多いのが特徴。そのため、「常春の島」とも言われている。
 @八丈島空港(はちじょうじまくうこう, Hachijojima Airport)は、東京都八丈町(八丈島)にある地方管理空港(旧第三種空港)。1927年(昭和2年)に旧海軍飛行場として誕生。戦後、1954年(昭和29年)に村営の飛行場となった。翌1955年(昭和30年)には初の定期便である青木航空(後の藤田航空、現・全日本空輸)が東京国際空港と八丈島空港路線を開設。一時期は名古屋空港にも路線があったが、1985年(昭和60年)11月に休止された。2000年(平成12年)よりエアーニッポンのボーイング737-400型機(愛称:アイランドドルフィン)が八丈島路線専用として就航。2機目導入以降は他路線で使用されることもあり、その際の八丈島路線はボーイング737-500型機で運航された。なお、現在の使用機材はボーイング737-400型機よりエアバスA320型機へ変更されている。
@全日空の八丈島空港のカウンター。 @東邦航空東京愛らんどシャトルカウンター。
@八丈島空港前の道路。
 A底土港フェリーターミナル。東海汽船が貨客船さるびあ丸やかめりあ丸を、伊豆七島海運が貨物船を定期運航している。主に島北東部の底土港へ着岸するが、時化で使用できない時は南西部の八重根港へ着岸する事もある。竹芝桟橋と小笠原諸島の父島間にテクノスーパーライナーが就航した場合におがさわら丸を竹芝 - 八丈島航路向けに転用する、という計画があった。しかし、2005年、小笠原航路へのテクノスーパーライナー導入計画そのものが、折からの燃料費高騰等を理由に暗礁に乗り上げてしまった。更に、これを受けて東京都が代替策として小笠原での空港建設の検討を進めており、おがさわら丸の八丈島航路転用計画は実質、頓挫した状態になっている。八丈島のフェリーターミナルとしては小さくてシンプルですね。
 A底土港フェリーターミナル。さるびあ丸と貨物船。底土港は八丈島の北東部に位置し、大型定期船の岸壁等が整備されています。現在、就航率の向上を図るため防波堤を整備しています。
B底土港に流れ込む大川の河口付近に人間魚雷「回天」の2号壕跡(底土基地)がある。
 B人間魚雷「回天」の2号壕入口。昭和20年春、本土決戦に備え特攻兵器の人間魚雷「回天」が、沖縄・九州・四国・近畿の各地方と、関東では唯一、この八丈島第二回天隊の「回天」8基が配備された。その内の4基がこの底土基地で、後の4基は末吉地域の石積基地にあり、回天隊員はそれぞれ格納壕の中で進発時期が来るのを待ち続けていた。回天隊員の任務は、八丈島へ侵攻するとき先ず艦砲射撃を加えてくる敵戦艦の撃減であった。「回天」は、直径1m、長さ14.75m、最高速力30ノット、重量8.3tで、車輪付の架台に載って格納壕の中で待機し、進発する時はレールの上を動いて斜路から海に入り、機械を発動して敵艦に向かう。しかしながら、その進発の機会は遂に訪れず、終戦となってのち、武装解除のため来島した米国艦隊は、「回天」全部の爆破を指示したので、回天隊員は自らの手により、各「回天」の爆薬1.55tを装填した頭部を切り離して海中に投棄した上、胴体を格納壕に納めて爆破した。底土の「回天」格納壕は長さ37m、幅3m、高さ3.5mの大きさで、2ヶ所の壕に「回天」を2基ずつ収納した。陸側の1号壕はのちに崩落したが、海側の2号壕はこのように現在もその姿をとどめている。
B37mほどで行き止まり。
 靖国神社・遊就館に展示されている「回天」。回天とは、太平洋戦争末期の旧日本海軍が「人間魚雷」として開発した日本初の特攻兵器で、終戦までに420機が生産された。出撃による戦死者は87名、そのうち特攻による戦死者は49名である。1944年8月に、大森仙太郎特攻部長によって明治維新の船名から「回天」と命名される。九三式三型魚雷(酸素魚雷)を改造し、人間が乗り込んで操縦できるようにした人間魚雷である。炸薬量は1.55トンあり、一撃で戦艦でも撃沈できるとされた。
C登龍道路。 E登龍道路。
 D登龍峠:八丈島一周の都道の内、末吉と三根の間を登龍道路と呼び、その最高部辺りが登龍峠で、晴天時には遠く三宅島や御蔵島が望まれ、眼前には八丈富士と八丈小島、眼下には底土港、神湊港、空港や坂下市街地が一望のもとに眺められる八丈島随一の展望台である。昔は三根から末吉に行く時は、天に昇る龍のようなつずら折りの急な坂を越えたので、登龍峠と呼ぶようになったという。
F八丈島町の末吉地区。
 G名古秋月:末吉の洞輪沢一帯を名古と呼ぶ。洞輪沢は小さな漁港に過ぎないが、人家の周辺を清水が取り巻いていて、まさに仙郷とも言うべき所である。八丈島の最南端に位置し、名月鑑賞の最適の場所として八丈八景に選ばれている。
G八丈島観光協会が運営する無人の休憩所があるが埃だらけである。自販機が設置されている。
Gこの釜は何に使われていたのか? G展望台も設置されている。
G名古の展望台からの風景。
H三原山登山道入口。富次郎商店の反対側の登山道を登る。
I唐滝川の一っ橋を渡り、唐滝川沿いに進む。
I鳥獣慰霊之碑。
J三原山登山道は、唐滝川沿いに進むと駐車場がある。そこに電気自動車のレンタカーを置いて行く。
J駐車場の先は砂利道の悪路で、水道タンクの所まではオフロード車でないとアクセスは不可能。
K硫黄沼・唐滝への登山道が続く。
L林道との分岐点。 L樫立方向への林道。
L硫黄沼・唐滝への登山道。 L道標。
L左側の硫黄沼・唐滝への登山道へ。右は三原林道方向。
M再び分岐で、左側の硫黄沼・唐滝への登山道へ。右は三原林道方向。
N硫黄沼へ降りる道標。
N硫黄沼と小規模の滝。
O水道タンクを左方向へ進む。ここまでは小型のオフロード車であれば来られそうだ。
Oさすがにこの先は徒歩でないと行けない。
O砂防ダムを越えて行く。
P川を渡り対岸へ。大雨の時は要注意が必要だ。
P再び砂防ダムを渡る。
P再び川を渡り対岸へ。
Q唐滝です。落差36.3m。常時流れている滝の中では最大級の滝です。
Q唐滝の滝壺です。その右脇に硫黄採掘場跡の穴が開いている。入口はかなり小さい。
Q硫黄採掘場跡入口は大雨が降ると水がかなり入ってきそうだ。
 Qこの黄色は硫黄かそれとも、鉄錆かは不明。硫黄鉱山であれば、硫化水素を計る機器を持ってくれば良かった。今後は一酸化炭素、低酸素、硫化水素、可燃性ガスのマルチガス検知器は必需品ですね。
Q中に入ると少し、広いスペースになる。
Q支保工が有るので、人工的に掘られた穴とわかる。
Q別の坑口は埋まっている。 Q内部は溝もあり要注意で照明は必需品です。
R八丈島町の八重根漁港。
S八重根港客船待合所と八重根港。
@八丈島の外環道路、都道215号線の大賀郷、船付鼻付近。
@八丈島の外環道路、都道215号線の大賀郷、船付鼻付近から見る八丈小島。
A大越園地休憩舎とトイレ付き展望台。
A大越園展望台から見る八丈小島と灯台。
B都道216号線から八丈富士登山道入口。
C鉢巻き道路手前の駐車場。
C鉢巻道路手前の駐車場から空港と三原山方向をパノラマ撮影。
C富士山縦断道から鉢巻道路へ合流。
Dふれあい牧場から空港と三原山方向を見る。 Dふれあい牧場から八丈富士を見る。
E鉢巻道路。
 F鉢巻道路から八丈富士を見る。この日は小雨で八丈富士山頂が見えなかった。雨でなかったら八丈富士にも登りたかったが断念した。
G雨だったので市内を散策。東京電力株式会社、八丈島内燃力発電所。
H東京都八丈島支庁。 I大賀郷小学校。
J大賀郷園地。
 @道路脇に穴ポコ発見。戦跡かは解らないが、今回は青ヶ島のヘリが欠航になったので、八丈島を探索したので、探索用の衣類やLEDのライトを持ってこなかったので、入口を撮影して終了。写真では解りづらいが、奥行きはありそうだ。
A再び道路脇に穴ポコ発見この穴も奥までは行かなかったが奥行きは短そうだ。2015年4月5日。
B再び道路脇に穴ポコ発見この穴も奥までは行かなかったが奥行きは短そうだ。2015年4月5日。
C神止山の戦跡はここから奥へ。 Dここのスペースに車を止めて登山開始。
E結構の勾配の階段を登って行く。この階段は空港の標識施設のメンテ用の階段。2015年4月5日。
F先ほどの階段を上がっていくと山道脇に神止山の戦跡を発見。壕A(2015年4月5日)
 F内部は約50mほど先に明かりが見えて貫通していることが解るが、雨が降っているせいか、壕内は湿度が高くフラッシュを焚くとぼやけてしまいます。壕A(2015年4月5日)
F壕内の貯水槽のようです。壕A(2015年4月5日)
F銃眼の様です。壕A(2015年4月5日) F重機関銃設置用台座付き銃眼。(2015年4月5日)
F横穴は直ぐに行き止まり。壕A(2015年4月5日)
Fこちらの横穴も直ぐに行き止まり。壕A(2015年4月5日)
G山頂の空港の航空標識と基準点が5個も設置されています。壕A(2015年4月5日)
 F神止山の階段を上がっていくと山道脇に戦跡がある。この日は風が強く穴の中を風が吹き抜けている。壕A(2018年1月2日)
 F神止山の柵が設置してある壕の目の前の崖の下を見ると竪穴が開いているような場所が見えたので横の降りやすい場所から降りてみた。この壕の存在を知ったのは東雲みょんさんのブログを見て自分の目でも見てみたいと思い4回目のトライでようやく発見出来た。壕B(2018年1月2日)
 Fその場所は窪みのようになっていて結果的には竪穴では無かったが、その場所に横穴が開いていた。今回はこの部分から壕に入った。壕内は縦横に伸びていて探索後この場所に戻るのにかなり迷って焦ったが何とか戻ることが出来た。探索後この穴から出るのに傾斜になっていて、足がズルズル滑り中々上がれなかったが、木の根っこを掴みながら何とか上がることが出来た。腹ばいになり登ったため着ていたジャンパーは泥だらけになり、帰りの飛行機に乗るときにジャンパーはバックに詰めて帰りました。指令豪探索には着替えが必要ですね。壕B(2018年1月2日)
 神止山の指令豪B内部。入口から10m程勾配を降りると、正面に出口の光が見える。左に分岐する横穴と、少し手前で右に分岐する横穴がある。最初は右側の穴を探索。基本的に穴内部の探索は分岐があれば、最初は全て右側に分岐して探索する。内部で迷っても帰りは左左に分岐すれば戻れるから。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。少し行った左側は3m程で行き止まり。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。少し幅が広くなったと思ったらまた幅が狭くなる。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。左側に分岐し、下に降りる通路がある。取り合えず直進する。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。直進すると住居用?の横穴が2箇所。(2018年1月2日)
@神止山の指令豪B内部。その先を進むと出口がある。(2018年1月2日)
@神止山の指令豪B内部。先ほどの出口の直ぐ隣の出口。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。コンクリート製の貯水槽が残る。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。この辺の穴はループになっている。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。この辺の穴はループになっている。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。この辺の穴はループになっている。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。右写真は入ってきた入口方向。(2018年1月2日)
A神止山の指令豪B銃眼。入ってきた入口から真っ直ぐ見える銃眼。銃眼から神湊漁港が見える。
B神止山の指令豪B銃眼。(2018年1月2日) C神止山の指令豪B出口。(2018年1月2日)
D神止山の指令豪B出口。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部に2m程の段差が有り、そこに先人が架けた梯子が設置してあった。(2018年1月2日)
E神止山の指令豪B銃眼。(2018年1月2日) 神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
F神止山の指令豪B銃眼。(2018年1月2日) 神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
 神止山の指令豪B内部。壁に柱形の溝が掘られているがそこに木の柱が設置されていたのではないかと推測する。鉱山でも見る構造。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日) G神止山の指令豪B銃眼。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。コンクリート製の貯水槽が残る。(2018年1月2日)
H神止山の指令豪B出口。(2018年1月2日)
I神止山の指令豪B出口。(2018年1月2日)
 J神止山の指令豪C入口。Iの壕出口から右側に10m程の所に別の壕入口がある。Iの壕の穴とJの壕の穴は内部では繋がっていない。(2018年1月2日)
J神止山の指令豪C入口。壕に入って直ぐに下り出す。(2018年1月2日)
神止山の指令豪C内部。(2018年1月2日)
K神止山の指令豪C出口。(2018年1月2日)
L神止山の指令豪C銃眼。(2018年1月2日)
神止山の指令豪C内部。(2018年1月2日)
M神止山の指令豪C銃眼。(2018年1月2日)
N神止山の指令豪C銃眼。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。I神止山の指令豪B出口の10m程手前を左側に分岐する。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
O神止山の指令豪B出口。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
P神止山の指令豪B出口。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
Q神止山の指令豪B出口。(2018年1月2日)八丈富士とシンノウヤシの畑が見える。(2018年1月2日)
R神止山の指令豪B銃眼。(2018年1月2日) 神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日) S神止山の指令豪B銃眼。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)ここから先かなり下に降りて行く。
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)右写真閉鎖された隧道。
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)コンクリート製の水槽が残る。
@神止山の指令豪B出口。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
A神止山の指令豪B出口。(2018年1月2日)
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)先ほどの写真の下から見た状況。
神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
B神止山の指令豪B出口。(2018年1月2日) 神止山の指令豪B内部。(2018年1月2日)
C神止山の指令豪B出口。(2018年1月2日) D神止山の指令豪B銃眼。(2018年1月2日)
H大阪隧道脇に豪の坑口が開いている。
Hこちらの豪の坑口は普通に開いている。直進の豪には防水堤?が設けられている。
H防水堤左脇に横穴がある。
H防水堤脇の横穴は一旦広くなり、再び狭くなる。
Hそして再び広くなり、再び狭くなる。
H横穴は下っている。
H横穴はくねくね曲がりながら下って行く。
H横穴の分岐部は行き止まりになった。
H地底湖?の部分に到着。この先は長ぐつがないので断念。 J防衛道路脇に穴ポコと繋がっていそうだ。
H防水堤の大きな穴を直進。白いのは石灰化された物か?
H湿度が高く閉塞されているのが解る。閉塞部分に到着。大阪隧道の壁面のコンクリートと思われる。
I防衛道路入口。
 J防衛道路脇に穴ポコ発見。奥行きがありそうだ。この穴は、奥から風が吹いてきており、入口付近で1m程の段差が有り探索しなかったが、大阪隧道脇の豪と繋がっていそうだ。水が流れ込んでいるため、たぶん、探索出来なかった、地底湖に繋がっていると思われる。
K人捨穴。昔姥捨て山のように人を放置したのだろうか?
Kさすがに名称からこの先は探索する気はありません。
L防衛道路脇に穴ポコ発見。
L内部はかなり崩壊しているので入口付近の探索で修了。
M防衛道路脇に再び穴ポコ発見。
M入口付近は崩壊が進んでいる。穴は下って行く。
M穴は下って行く。
M1mほどの段差がある。一瞬帰りに登れるだろうかと頭によぎったがそれでも進む。
 MT字路に突き当たる。探索から記事を書いているのが時間が経っているため、記憶が定かではないが、右側は短かったような気がする。
Mこの写真はT字路から左側に進んだ写真と思われる。
MT字路左側は銃眼が2ヶ所ほどあった。
MT字路左側の壕内。
MT字路左側の壕内。
MT字路左側の二つ目の銃眼。
N防衛道路に穴ポコ発見。
Nこの穴ポコはかなり下って行く。
N貯水槽が残っている。
 Nヘアピンカーブした道路の反対側に出てきた。帰りは道路を歩いて帰ったが、かなりの勾配を下がってきたことが解る。
O再び防衛道路脇に穴ポコ発見。入口部分は崩壊している。
O比較的短い距離で閉塞。
P防衛道路と大滝の路・鉄壁の路への分岐点
Q大滝・三原林道三根線と鉄壁山の分岐点。
R鉄壁山の豪の入口を発見。新設に帰り道の石柱まで設置されている。
R鉄壁山の壕内に入り直進すると右下に岩があるT字路に突き当たる。帰り道の目印にもなる。
RT字路右側に行くと木柱が立てかけてある。
R右側下って行く。
R水槽が残る。
R壕内を更に進む。
R出口を発見。
Rこの豪は構造からトイレのように思われる。
Rどう見ても立ち小便の場所と外部のくみ取り部分。
Rトイレ脇の壕入口には銃眼が付いている。
R再び壕内の分岐。ここにも銃眼がある。
Rコンクリートで固められた壕内。 R上に上がる通路があるが未探索。
Rこれもトイレ?
Rトイレ先の壕内左側に同じ様な大きさのコンクリートで固められた壕。
R壕内先端部に落とし穴が。 R壕内先端部の穴を撮影。
Rトイレ先の壕内もコンクリートで固められている。その先に赤い柵が設けられている。
R赤い柵の先は下に降りている。 R赤い柵の右脇に入口が。
Rその先は閉塞されている。キノコのような粘菌か?
R鉄壁山壕内の検索の続き。
R鉄壁山壕内の検索の続き。階段で上がって行く。
R鉄壁山壕内の検索の続き。
R鉄壁山壕内の検索の続き。木片が多く有る。
R鉄壁山壕内の検索の続き。 R鉄壁山壕内の電池?
S再び防衛道路脇に豪発見。壕内は下っている。
S壕内に糸が張られているが、帰りの道を間違いないように張られたのか?
S壕内には大きなムカデがいました。落ちてこないうちに通り過ぎます。
S壕内に水槽発見。
S壕内に再び水槽発見。
S水槽の先には反対側の豪口発見。
Uの字の道路の反対側に豪口がある。反対側の入口と10mほどのの高低差がある。
@八丈富士のお鉢周り基準点付近から中央火口の湖。
A八丈富士のお鉢周りと浅間神社との分岐点。
BAの分岐点を火口側に降りて行くと浅間神社と中央火口丘との分岐点にたどり着く。
C火口内の獣道の様な跡を辿って行く。
D途中には火山活動で出来た穴が沢山有る。機会が有れば調べてみたいですね。
Eこの辺は中央火口迄の道のりとしては解りやすい場所。人が通った跡が解る場所。
F中央火口丘への案内の石碑。最初はこの段差降りられるのか心配になりました。ここを右方向へ。
G中央火口丘手前の谷に降りた場所はこんな感じで道とは思えない場所も所々。
H中央火口丘に到着。右側に行く道がハッキリとした道だったが、左側へ行った。
Iもう道とは思えない場所を進む。ここで道に迷った女性と遭遇。樹海の中で人と出会うとドキッとします。
J開けた場所に出た。池が見えたので、これが山頂から見える大きな池と勘違いした。
J池が見えた嬉しさで池が小さいのは蒸発して小さくなったのだと勘違いしました。
 J青ヶ島行きのヘリコプターが欠航になったので、八丈島の民宿:椿荘に泊まった。この椿荘は青ヶ島の青ヶ島屋の女将さんの妹がやっている民宿です。青ヶ島屋の女将さんからの紹介です。2015年4月4日。
J椿荘の雰囲気です。食事は割烹 宝亭で済ませましたが、椿荘に帰ってから少しお酒を飲みました。
Jお酒とあら汁、島寿司、おつまみが付いて宿泊とは別に追加料金500円。お得です。
Jあら汁。 J椿荘の朝食です。2015年4月5日。
 @八丈島空港内のレストランです。帰りの飛行機まで時間が有ったので一休み。先に食券を購入するシステムなので、金額を撮影するのを忘れて、値段を覚えていません(笑)
@島寿司と生ビール。2015年4月5日。 @くさやとアシタバ。2015年4月19日。
@御蔵島のヘリコプターまで時間が有るので生ビール大(850円)と麦雑炊(720円)2014年04月19日。
 @帰りの羽田までの飛行機の時間が有るので、生ビール大(850円)とフィッシュバーガー(680円)とび魚の薩摩揚(500円)を頼みました。2014年04月20日。
@取りあえず生ビール大(850円)です。 @とび魚の薩摩揚(500円)げです。
@八丈島名産の海苔をのせたピザです。 @八丈島の焼酎1合。
戻る  Copyright (C) 2006-2023 hotetu.net All Rights Reserved
外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 歩鉄の達人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『八丈島』を掲載」
出典: 株式会社マピオン
花と緑と温泉の島 八丈島