更新日時 2014年12月28日

心と生命にやさしい島 徳之島
 徳之島(とくのしま)は、南西諸島の奄美群島に属する離島の1つであり、島内には鹿児島県大島郡徳之島町、伊仙町、天城町の3町がある。県内では奄美群島は奄美大島を中心とする、奄美地方という地区に分類される。面積は約247.77km2、周囲およそ80km。日本では北方領土の色丹島よりやや小さく、14番目の面積を持つ。人口約27,000人の島である。合計特殊出生率の高さでは、国内第1位-第3位を島内の3町が占めている。主要な産業はサトウキビ、ジャガイモ、ショウガ、果樹などの農業、キハダマグロ、ソデイカ、カツオ、イセエビ類などの近海漁業、黒糖を原料とした菓子、黒糖焼酎製造など。気候は沖縄諸島などと同じく亜熱帯性気候に属する。本土に比べれば1年を通して暖かい。但し沖縄諸島(山間地域などを除けば冬の寒い日の日中の気温がおおむね15℃くらいで、最低気温が10℃を下ることが年間数日程度と珍しい)と比べると冬は意外と寒くなり、寒い日の日中の気温はおおむね13度くらいで、最低気温が10℃を割り込む日も冬季月において月に数日程度はあり、珍しくはない(冬でも暖かい日は20℃を超えるが、そのような日でも沖縄諸島よりは3℃程度低い傾向にある)。一方で夏は「猛暑(35℃以上)」となる事は滅多になく、比較的風も通るので東京などの大都市よりもしのぎやすい。
 @徳之島空港は、鹿児島県大島郡天城町(徳之島)にある地方管理空港である。徳之島 - 鹿児島便は日本航空がジェット機(MD-81)で1日2便就航していた(多客期は増発あり)が、閑散期には搭乗率が50%を切り、日本航空は2010年4月から日本エアコミューターのボンバルディア・DHC8-Q400に置き換え、便数を従来の1日2便から1日4便へ増便した。これにより、徳之島空港を発着する便は全てプロペラ機で運航されることになった。この日は鹿児島空港から徳之島空港に移動したが、雨だったので写真はあまりない。
 Aムシロ瀬:美しい夕日が見られる景勝地として知られる。平坦でなめらかな岩盤が、むしろを敷き詰めたように広がっているためこの名がある。隆起サンゴ礁でできた地形が多い奄美諸島には珍しく、ここは花崗岩でできた地形だ。北風がまともに吹きつけるので、冬場は特に豪快なしぶきが上がる。外海に面しているため、釣り好きにとっては回遊魚の釣り場としても定着している。
 B金見崎ソテツトンネル:島の北東部に突き出た岬が金見崎。そのほぼ先端部に設けられた展望台へ向かう道の途中にある。樹齢400年ほどといわれるソテツの巨木が200mほど、道の左右に延々と並び立ち、一種異様ともいえるトンネル状の景観になっている。なお、眼下に雄大な大海原のパノラマが広がる展望台は、このソテツトンネルの途中の階段を上った場所にある。
C陸の中の海(ウンブキ)地下にある汽水、アンキアライン環境の海底洞窟。
 Cこの鍾乳洞は方言でウンブキと呼ばれ、かつて珊瑚礁が地上に隆起して鍾乳洞ができ、再び海に没した海底洞窟です。およそ400m先で海につながり、干満の影響で水位が変化します。海水と地下水(真水)が混じり合うアンキアライン洞窟で、発見例が少なく、和名もついていない魚や海老が生息しています。海岸の岩場〜山地に分布する植物が同居しており、森を好む野鳥、アカヒゲも生息しています。
C陸の中の海(ウンブキ)の風景。
 D九州電力新徳之島発電所:徳之島は鹿児島から南へ約468km、奄美群島のほぼ中央に位置します。新徳之島発電所は昭和55年に運用を開始し、平成6年に3号機6,000kW、平成14年に4号機6,000kWと需要の増加に応じて増設を行ってきました。現在は、亀津発電所、平土野発電所、秋利神発電所(水力発電所)の3ヵ所を送電線で結び、島全体での発電設備容量は30,640kWになります。徳之島にはハブが生息するため、ハブ返しと呼ばれるコンクリートの擁壁を増強するなど南の島ならではの対策をはじめ、騒音・振動・排ガスなど環境保全にも一丸となって取り組んでいます。
E犬の門蓋から見る海岸の風景。
E観音菩薩と犬の門蓋。
 E東シナ海に面したこの海岸一帯は隆起サンゴ礁が長年にわたる侵食によりできた奇岩や断崖がある。メガネのようにくりぬかれたメガネ岩もそのひとつ。犬の門蓋の地名は、昔大飢饉のとき、犬が群れをなして人畜に危害を及ぼしたので、捕らえてここから海中に捨てたことからつけられたという。
E犬の門蓋の海岸に降りてきました。
E犬の門蓋の海岸からも穴が見えます。
E犬の門蓋の海岸に洞窟らしき穴が開いており、天井にも落とし穴が開いています。
E犬の門蓋海岸の洞窟から空と海岸線を望む。
 F廃墟となっている民宿やまと。その横で新築?の工事を行っている。シーズンオフではあるが、観光客は私以外にいなかった。
F戦艦大和の慰霊碑。 F大島製糖の記念碑。
 F戦艦大和を旗艦とする艦隊戦士慰霊塔:戦艦大和は太平洋戦争終盤にここから数海里離れた場所で1000機を越える戦闘機と潜水艦による攻撃を受けてその海域で沈没したと言われています。あくまで「数海里離れた海域」ということで徳之島近海ではありませんが、最も近い場所としてここが選ばれたのかもしれません。沈没の際、多くの犠牲者を出したことからここに慰霊碑が建てられました。この慰霊碑の高さは戦艦大和の司令塔と同じにしているらしく、春には毎年慰霊祭が行われているらしいです。戦艦大和という歴史上も広く知られている存在なので歴史に興味が無くてもこの場所に来ると何か感じるものがあるかもしれません。
Fこの錨は沈没した艦隊の錨だろうか?
G東面縄に古くから伝わる古井戸。 H横綱之地?個人で建てた神社?
H徳之島は闘牛で有名らしい。
I徳之島町浄化センター。 I徳之島町のマンホール闘牛のマンホール
J徳島町の亀徳港とフェリークイーンコーラルプラス(MARIX LINE)
J泊まったホテル、クレストン徳之島はウオシュレット付だ。
 K検福穴八幡:周辺集落の人の氏神様が祀られている洞窟です。入口には鳥居が建ち、高さ3m、幅5mの鍾乳洞内には地下水が流れていて、その中に約100m先に検福穴八幡様と呼ばれる鍾乳石の碑が建っています。この検福穴八幡は通称銀龍洞とも呼ばれており、昭和40年代までは鍾乳洞が見学できる観光地として賑わっていました。また、ここから200m下った所に、トラグスクと呼ばれる場所があり、現在は墓地として利用されている。
K銀龍洞内部。湧き水が湧き出している。
K湧き水が再び穴の中に吸い込まれて行く。昔はここから水を汲み出していた様だ。
戻る  Copyright (C) 2006-2023 hotetu.net All Rights Reserved
外部から直接リンクで飛んできた方は右ホームページリンクへ http://www.hotetu.net/ 歩鉄の達人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』