更新日時 2023年01月06日
石壁書天女窟:俗称「弁天様」と呼ばれている堂宇の背後に天然の洞窟があり、この洞窟の入口上部の石壁に大書した三文字が刻されている。書題の「天女窟」は右からの横書きで、その左隅に縦書きで「東都鱗書」とある。宝暦四年(1754年)東江源鱗(江戸の大書家)は、下仁田町の生んだ大文人高橋道斎に案内され吉井の多胡碑を訪れ、その碑文の素晴らしさを世に紹介した。それ以降、多胡碑は有名になった経緯がある。この時、源鱗はかなり長期間道斎家に滞在しており、その際この小沢の弁天様に道斎や子顕らとともに訪れ天女窟と書題したことが彼の著書にある。 | |
@天女窟のお堂。 | |
@天女窟のお堂。 | |
@天女窟のお堂の天井絵。 | |
@天女窟のお堂の天井絵。 | |
@天女窟は簡易水道に利用されているためネットで囲われている。 | |
@石壁に天女窟と掘られている。 | |
@石壁天女窟の奥には弁天様?が祭られている。 | |
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