更新日時 2024年12月19日
シムクガマ鍾乳洞は沖縄県中頭郡読谷村波平にある鍾乳洞(ガマ)。1945年(昭和20年)4月1日午前5時30分、砲撃が開始され米軍が投降の説得を呼びかけるが、1000名近くの村民が集団自決なく脱出した。「シムク」は「シム」が沖縄弁で「下」を、「ク」も同様に「向」を意味し、シムクガマも谷の下にあることからこの名がついたといわれている。ガマ内の温度は通年ほぼ一定であり、夏は涼しく冬は暖かいことから、昔から村民の憩いの場として利用されてきた。1945年4月1日、読谷村に米軍が上陸し、読谷村を爆撃、破壊した。村民は、1944年(昭和19年)10月10日の空襲(十・十空襲)以来、爆撃を受けるたびにガマへ逃げ込んでいた。上陸前の連日の爆撃は、朝8時頃から始まり夕方5時頃には収まっていたが、上陸を間近に控えた3月23日から上陸前日の3月31日までの爆撃は昼夜通しで行われた。シムクガマは1200m内陸に入った場所にあり、4月1日午前9時半頃には、米軍がチビチリガマへ到着して通過した後、まもなくシムクガマへ到達した。シムクガマには、警防団の本部が設置されていた。団長は銃を持つ元日本兵で、団員は13〜15歳までの少年で構成されていた。 | |
沖縄アクティビティツアー YUI MARU ←シムクガマケービングはここを利用。 | |
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@シムクガマ鍾乳洞入口。奥行きは約400m程有る。 | |
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@比嘉平治と比嘉平三の功績をたたえる石碑が1995年から設置されている。 | |
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@シムクガマ鍾乳洞入口。 | |
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@シムクガマ鍾乳洞入口付近内部から入口方向を見る。 | |
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@シムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Aシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Bシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Cシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Dシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Eシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Eシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Fシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Gシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Hシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Iシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Jシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Kシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Lシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Lシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Mシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Nシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Nシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Nシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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Oシムクガマ鍾乳洞内部。 | |
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