更新日時 2009年03月09日
信楽高原鐵道信楽線: 信楽線(しがらきせん)は、滋賀県甲賀市の貴生川駅から信楽駅までを結ぶ信楽高原鐵道の鉄道路線である。旧国鉄の特定地方交通線を転換した路線で、信楽焼の産地である信楽に通じている。信楽線のうち、全長の約半分を貴生川駅と紫香楽宮跡駅の間の勾配区間が占める。路線は、貴生川駅を出るとすぐにカーブし、田畑の間を抜けていく。その後、山間部に入り、急カーブの連続で、かなりの高低差を登る。小野谷信号場(休止中)跡を過ぎてしばらくすると平地になる。勅旨駅 - 玉桂寺前駅間にある第一大戸川橋梁は、1953年8月の集中豪雨によって鋼製の橋梁が流失し、翌1954年にプレストレスト・コンクリート橋として再建された。これは従来スパン10メートル程度に留まっていたものをスパン30メートル程度にまで拡大したもので、これがきっかけとなって長いスパンの道路・鉄道橋へのコンクリート橋の応用が始まった。2008年現在でも問題なく列車を通し続けており、コンクリート橋の適用のきっかけとなった橋との評価から、2008年6月20日に文部科学省文化審議会により登録有形文化財として登録するよう答申がなされた。 | |
1991年(平成3年)5月14日10時35分頃、滋賀県甲賀郡信楽町(現・甲賀市)の信楽高原鐵道信楽線、小野谷信号場〜紫香楽宮跡駅間で、信楽発貴生川行きの上り普通列車(SKR200形4両編成)と、京都発信楽行きのJR西日本直通下り臨時快速列車「世界陶芸祭しがらき号」(キハ58系3両編成)が正面衝突。42名が死亡(JR側30名、信楽高原鐵道側12名中職員5名)、614名が重軽傷を負う大惨事となった。当時、沿線の信楽町では「世界陶芸祭セラミックワールドしがらき'91」が開催されており、信楽高原鐵道は来場者輸送に追われていた。一方、衝突した臨時快速列車は乗客で超満員の状態(通常の2.5倍)であったため、人的被害が非常に大きくなった。信号無視と誤出発検知装置の誤作動:発端は、信楽駅を貴生川駅行きの普通列車が発車しようとした際、通常青に変わるはずの出発信号機が発車時刻になっても赤のまま変わらなくなったことである。この原因が分からないまま、信楽高原鐵道では誤出発検知装置(列車が赤信号を無視して発車した場合、対向の小野谷信号場の出発信号機を赤に変えて衝突を防ぐ装置)を頼りにして、普通列車を11分遅れで無閉塞運転と同様の手法で発車させた。これは閉塞方式の観点では規定違反の措置であった。しかし、結果的にはこの手法によっても対向の下り臨時快速列車を停車させることができず、両者が正面衝突するに至った。この原因としては、信楽駅構内の信号固着の修理のために同駅の信号機器室において行われていた「運行時間中の信号装置の点検作業」が指摘されている。小野谷信号場の出発信号機は先の装置により、一度は実際に赤に変えられたが、故障ないしは信楽駅での作業中の何らかの操作により、再び青に戻ってしまったと見られている。上記の通り、事故の直接原因は信楽高原鐵道の規定違反であり、事故後、信楽高原鐵道の運行管理者ら2名と信号設備会社の技師1名が、大津地方裁判所から執行猶予付きの有罪判決を言い渡された。一方でJR西日本も責任を問われたものの、事故に関する直接的な責任関係が立証されなかったため、不起訴処分となった。ただし、遺族対応のまずさなどから、むしろ多くの遺族の怒りの矛先はJR西日本に向いたとも言われる。後の2005年にJR福知山線脱線事故が発生した際には、「安全を軽視した姿勢が信楽事故当時と変わっていない」と批判されることとなった。 | |
駅名 貴生川駅 - (西日本旅客鉄道:草津線 近江鉄道:本線) 小野谷信号場-紫香楽宮跡駅-雲井駅-勅旨駅-玉桂寺前駅-信楽駅 |
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@貴生川駅 | @貴生川駅時刻表 |
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@貴生川駅 | @貴生川駅 信楽鐵道看板 |
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@貴生川駅 JRと信楽鐵道との改札 | @貴生川駅 |
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@貴生川駅 | A信楽鐵道の列車 |
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B小野谷信号場 | C高速道路の下を潜る信楽高原鐵道 |
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D紫香楽宮跡駅入口看板 | D紫香楽宮跡駅看板 |
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D紫香楽宮跡駅:貴生川駅方向 | D紫香楽宮跡駅:信楽駅方向 |
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E雲井駅駅舎 | E雲井駅看板 |
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E雲井駅:貴生川駅方向 | E雲井駅:信楽駅方向 |
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F勅旨駅近くの踏切より:貴生川駅方向 | F勅旨駅看板 |
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F勅旨駅:貴生川駅方向 | F勅旨駅:信楽駅方向 |
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G勅旨駅 - 玉桂寺前駅間にある第一大戸川橋梁。1953年8月の集中豪雨によって鋼製の橋梁が流失し、翌1954年にプレストレスト・コンクリート橋として再建された。 | |
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G従来スパン10メートル程度に留まっていたものをスパン30メートル程度にまで拡大したもので、これがきっかけとなって長いスパンの道路・鉄道橋へのコンクリート橋の応用が始まった。2008年現在でも問題なく列車を通し続けており、コンクリート橋の適用のきっかけとなった橋との評価から、2008年6月20日に文部科学省文化審議会により登録有形文化財として登録するよう答申がなされた。 | |
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H玉桂寺前駅看板 | H玉桂寺前駅:貴生川駅方向 |
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H玉桂寺前駅:信楽駅方向 | H玉桂寺前駅。吊り橋が有る |
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I信楽駅駅舎 | I信楽駅の狸 |
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I信楽駅看板 | I信楽駅。終着駅 |
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I信楽駅:貴生川駅方向 | I信楽駅に停車中の盆梅列車中に盆栽(梅)が展示 |
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I信楽駅の狸の信楽焼 | |
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I信楽駅の狸の信楽焼。海抜285m。 | |
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I信楽駅 | I信楽駅 |
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I信楽高原鐵道SKR200形気動車(しがらきこうげんてつどう エスケーアール200かたきどうしゃ)とは、1987年(昭和62年)の信楽高原鐵道の開業時に製造された一般形気動車である。 | I信楽駅:レールエンド |
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