更新日時 2016年02月06日

ローカル線の旅 上信電鉄上信線
 上信電鉄株式会社(じょうしんでんてつ)は、群馬県に路線(上信線)を有する鉄道会社である。本社所在地は群馬県高崎市鶴見町51番地。上信線(じょうしんせん)は、群馬県高崎市の高崎駅と群馬県甘楽郡下仁田町の下仁田駅とを結ぶ上信電鉄の鉄道路線である。1895年に上野鉄道として設立され、1897年に開業し同年中に高崎 - 下仁田間が全通した。現存する日本の地方民鉄(大手以外の民鉄)路線のなかでは、伊予鉄道についで二番目に早く開業している。古くは高崎の地元資本に加え、三井財閥の資本も設立に関わった。さらに下仁田から余地峠を越えて佐久鉄道(現:小海線)の羽黒下駅まで延伸する計画を立て、社名を上信電気鉄道に改称したが、中込方面へのバス路線を開設しただけで(後に廃止)、鉄道の延伸は実現しなかった。昭和30年代はじめには、元首相の中曽根康弘の実父である中曽根松五郎が社長を務めた。
上信電鉄 上信線
高崎駅 - 南高崎駅 -(佐野信号所)- 根小屋駅 - 高崎商科大学前駅 - 山名駅 - 西山名駅 - 馬庭駅 - 吉井駅 - 西吉井駅 -(新屋信号所)- 上州新屋駅 - 上州福島駅 - 東富岡駅 - 上州富岡駅 - 西富岡駅 - 上州七日市駅 - 上州一ノ宮駅 - 神農原駅 - 南蛇井駅 - 千平駅 -(赤津信号所)- 下仁田駅
上信電鉄高崎駅。 1日全線フリー乗車券。
 高崎駅(たかさきえき)は、群馬県高崎市八島町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)・上信電鉄の駅である。
 JR旧1番線ホームの南側に頭端式ホーム(0番線)があり、上信電鉄の列車が発着する。かつて上信線の発着番線は9番線とされていたが、JRの番線新設にともない9番線から0番線に名称変更された。JRと改札口は分離されているが、2005年(平成17年)7月までは改札口を共有していた。分離後は1番線の大部分を通路と改札に使っており、上信電鉄では珍しい自動券売機が設置されている。窓口では硬券の乗車券も発売される。
 上信電鉄6000系電車(じょうしんでんてつ6000けいでんしゃ)は、上信電鉄が所有する通勤形電車。上信電鉄の自社発注オリジナル車両である。1981年に新潟鐵工所(現・新潟トランシス)でクモハ6001 - クモハ6002の2両編成1本が製造された。1000系と同様に上信電鉄のフラッグシップであり、日野自動車製トラック・バスの販売ディーラーに当たる群馬日野自動車の広告車となっている。車体には、1996年にダカール・ラリー(同年はグラナダ - ダカール)でクラス優勝した日野・レンジャーのカラーリングを採用しており、太陽と月が描かれたデザインは、「昼も夜も働く車=トラック・バス」というコンセプトに基づいている。また、前面には日野のエンブレムとHINOのオーナメントが装着され、さらに下部のバンパーはラジエーターフィンブレードに見立てているなど、一見日野製の電車のように見える(もちろん日野自動車は電車の製造実績はない)。ちなみに上信電鉄の路線バス車両は日野車で統一されている。
上信電鉄6000系電車の絵手紙列車。
絵手紙列車内の絵手紙。
 国鉄ED31形電気機関車(こくてつED31がたでんききかんしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した直流用電気機関車である。
上信電鉄デキ1形電気機関車と保線車両(土シーキモ57)。
 上信電鉄デキ1形電気機関車(じょうしんでんてつデキ1がたでんききかんしゃ)は、上信電鉄に在籍する電気機関車である。1924年(大正13年)、当時の上信電気鉄道が改軌・電化した際に、ドイツのシーメンスシュケルト社から購入した。小型の凸型機で機械部分の製造者はM.A.N社。価格は当時で三万六千九百九十円。3両(デキ1・デキ2・デキ3)が導入され貨物列車牽引に長年使用されていたが、1994年(平成6年)9月23日の貨物輸送廃止に伴いデキ2が廃車され、群馬県富岡市のもみじ平公園に保存されている。貨物輸送廃止後もデキ1とデキ3は車籍を有するが、定期運用はなく、工事列車や臨時のイベント列車などに使用されることがある。2007年(平成19年)3月12日、下仁田 - 南蛇井間で線路沈下が原因と見られる脱線事故が発生し、その際に受けた損傷が原因でながらく補修待ちとなっていたが、2010年10月現在は2011年度の群馬デスティネーションキャンペーンに向けて修復中。デキがドイツから輸入されることになった経緯について大正から昭和初期にかけての各鉄道会社では、英米製の電気機関車や設備が主流だったが、上信電鉄ではドイツ製が多かった。第一次大戦の戦時賠償として、ドイツから日本へ優秀な鉄道機材、設備が譲渡されることになったが、群馬県出身の政治家桜井伊平の運動により、上信電鉄はそれらの多くを譲り受けることができたからである。こうした経緯により、変電所の回転変流機など主要電気機器はドイツに発注され、デキもまたドイツから輸入されることとなった。
  上信電鉄200形電車(じょうしんでんてつ200がたでんしゃ)及び300形電車は、1964年に登場した上信電鉄の通勤形電車である。制御電動車のデハ200形と制御車(制御付随車)のクハ300形からなる。デハ205。車内は冷房設備がない。
上信電鉄200形電車。デハ203。  上信電鉄100形電車(じょうしんでんてつ100がたでんしゃ)は、かつて上信電鉄が上信線で使用していた通勤形電車である。老朽化のため全車廃車され、最後まで運用されていたクモハ103-クハ103は1996年の廃車後に高崎駅で倉庫代用とされている。
上信電鉄の高崎駅 - 南高崎駅間の踏切番号3より撮影。
 南高崎駅(みなみたかさきえき)は、群馬県高崎市下和田町三丁目にある上信電鉄上信線の駅である。 駅員無配置。以前は、駅近くの工場にセメントを輸送するための貨物側線があったが、貨物営業廃止と同時に撤去されている。(みどりの自転車は私のです今回は約34㎞有るため自転車で散策です)
南高崎駅構造は単式ホーム1面1線。トイレは水洗式。
 上信電鉄500形電車(じょうしんでんてつ500がたでんしゃ)は、2005年(平成17年)に登場した上信電鉄の通勤形電車。クモハ501-クモハ502(旧西武クモハ289-クモハ290、車体のストライプは緑) 2008年以降、松本零士の漫画『銀河鉄道999』のキャラクター星野鉄郎・メーテル・車掌のデザインラッピングを施した「銀河鉄道999号」として運転されている。
 上信電鉄の南高崎駅 - 根小屋駅間の佐野信号所。佐野信号所(さのしんごうしょ)は、上信電鉄上信線にある信号所。南高崎駅と根小屋駅の間にある。昼間の交換を多く行っている。左は下仁田行、右は高崎行上り線と下り線の間に上越新幹線の橋脚を挟む構造をしている。空いているスペースが資材の仮置き場となっている。運転士が使用する足場があるが普段使われる事はない。
上信電鉄の南高崎駅 - 根小屋駅間の踏切番号8より撮影。
上信電鉄の南高崎駅 - 根小屋駅間の烏川に架かる上信電鉄鉄橋。
上信電鉄の南高崎駅 - 根小屋駅間の烏川に架かる上信電鉄鉄橋。
上信電鉄の南高崎駅 - 根小屋駅間の踏切番号9より撮影。
上信電鉄の南高崎駅 - 根小屋駅間の踏切番号10より撮影。
 根小屋駅(ねごやえき)は、群馬県高崎市根小屋町にある上信電鉄上信線の駅。東京農大二高の最寄駅である。有人駅であり基本的に日中は駅員がいるが不在の日もある、また自動券売機は無く硬券にて全ての切符が発売される。構内には猫が多く、駅猫も存在した。
根小屋駅構造は単式ホーム1面1線。トイレは水洗式。
上信電鉄の根小屋駅 - 高崎商科大学前駅間の踏切番号13より撮影。
 高崎商科大学前駅(たかさきしょうかだいがくまええき)は、群馬県高崎市にある上信電鉄上信線の駅である。高崎商科短期大学が高崎商科大学(4年制大学)になり学生数が増加したことなどに伴い、新駅設置の気運が高まったことにより設置された駅であり、高崎商科大学に近い位置にある。上信電鉄では最も新しい駅である。
高崎商科大学前駅構造は単式ホーム1面1線を持つ。無人駅である。トイレは水洗式。
上信電鉄の高崎商科大学前駅 - 山名駅間の踏切番号14より撮影。
上信電鉄の高崎商科大学前駅 - 山名駅間の踏切番号16より撮影。
 山名駅(やまなえき)は、群馬県高崎市山名町にある上信電鉄上信線の駅。有人駅であり日中は駅員がいるが、日曜日および隔週土曜日は駅員不在となる。自動券売機は設置されておらず発売される切符は全て硬券である。駅名の由来ともなった山名町は、室町時代に西国で栄えた山名氏発祥の地である。当駅は山名一門を祭った、山名八幡宮の門前駅としての一面も持つ。
 山名駅構造は島式ホーム1面2線の地上駅。駅舎は明治30年の開業当時からの建物である。トイレは、建物が古いが水洗式。駅舎に隣接して山名変電所が存在する。
駐輪場の山名八幡宮寄りには、昭和天皇の行幸を記念した迎光碑が建立されている。
上信電鉄の山名駅 - 西山名駅間の踏切番号17より撮影。
上信電鉄の山名駅 - 西山名駅間の踏切番号18より撮影。
上信電鉄の山名駅 - 西山名駅間の踏切番号19より撮影。
 西山名駅(にしやまなえき)は、群馬県高崎市山名町にある上信電鉄上信線の駅。かつては有人駅だったが、現在は無人駅となっている。
 西山名駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅。無人駅である。便所は汲み取り式であったが、2010年に改修され水洗式となった。特徴的なスタイルの駅設備類は、高崎産業技術専門校の生徒の卒業制作による。 
ハイテク空気入れ:明治維新。 展示用の線路は設置されているが・・・(笑)
上信電鉄の西山名駅 - 馬庭駅間の踏切番号21より撮影。
上信電鉄の西山名駅 - 馬庭駅間の踏切番号22より撮影。
上信電鉄の西山名駅 - 馬庭駅間の踏切番号25より撮影。
馬庭駅(まにわえき)は、群馬県高崎市吉井町馬庭にある上信電鉄上信線の駅。
 付近に県立吉井高校があるため、通学時間帯は駅員が配置されているが、土・日曜日や平日の閑散時間帯などは無人となる。
 馬庭駅構造は島式ホーム1面2線の地上駅。以前は、自衛隊施設への貨物側線があった。便所は汲み取り式。
上信電鉄の馬庭駅 - 吉井駅間の踏切番号26より撮影。
鏑川に架かる上信電鉄の橋梁。
上信電鉄の馬庭駅 - 吉井駅間の踏切番号29(二叉西踏切)より撮影。
上信電鉄の馬庭駅 - 吉井駅間の踏切番号30より撮影。
 吉井駅(よしいえき)は、群馬県高崎市吉井町吉井にある上信電鉄上信線の駅。常時駅員が配置されている。
 吉井駅構造は島式ホーム1面2線の地上駅。北側に1本側線がある。改札からホームへは、構内にある踏切を渡って行く構造になっている。券売機は1台。トイレは水洗式。駅舎外に設置されている。
かつては南側にもう1本線があり単式ホームがあったが、現在は保線区の資材置き場になっている。
吉井駅島式ホーム。
上信電鉄の吉井駅 - 西吉井駅間の踏切番号31より撮影。
上信電鉄の吉井駅 - 西吉井駅間の踏切番号32より撮影。
上信電鉄の吉井駅 - 西吉井駅間の踏切番号33より撮影。
上信電鉄の吉井駅 - 西吉井駅間の踏切番号33-3より撮影。
西吉井駅(にしよしいえき)は、群馬県高崎市吉井町長根にある上信電鉄上信線の駅。
 西吉井駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅。かつては、駅員が配置されていたが、今は無人駅である。トイレは水洗式。
 上信電鉄150形電車(じょうしんでんてつ150がたでんしゃ)は、上信電鉄の通勤形電車。1980年代より西武鉄道から購入した100形の置き換え用として、1994年から1996年にかけて同じ西武鉄道から購入した車両である。150形第2編成(クモハ153-クモハ154)1968年1月西武所沢工場製(冷房化は1978年)で、200形2次車のいわば「兄弟車」である。元々4両編成だったため中間電動車に先頭車の運転台を接合する改造が施工され、元西武モハ802(クハ1802の運転台を移植)+モハ801(クハ1801の運転台を移植)である。前面2枚窓で正面の上部に行先表示器があり、通常運行の場合は「高崎 - 下仁田」と「上州富岡」「高崎」(上州富岡発高崎行きで使用。表記は手書きである)が表示される。1994年4月に廃車され上信電鉄へ移籍した。同車の車体塗装も初期はコーラルレッドだったが1997年から群馬サファリパークの広告車となり、車体にシマウマのような塗色が施されている。そのことから「シマウマ号」とも称される。
上信電鉄の西吉井駅 - 上州新屋駅間の踏切番号34より撮影。
上信電鉄の西吉井駅 - 上州新屋駅間の金井川橋梁。
 上信電鉄の西吉井駅 - 上州新屋駅間の踏切番号35より撮影。新屋信号所(にいやしんごうしょ)は、上信電鉄上信線にある信号所。両側の西吉井駅と上州新屋駅は、いずれも交換ができない1線のみの駅であり、その間の上州新屋寄りの場所にある。昼間の列車交換に使用されているが、一日の使用頻度が上信線にある3か所の信号所で最も少ない。一線スルー様式を採用していて片側は直線となっており、待ち合わせがない場合は上り列車も向かって右側の直線側を走行する。
 上信電鉄の西吉井駅 - 上州新屋駅間の三途川橋梁。三途川は、群馬県甘楽郡甘楽町を流れる利根川水系白倉川支流の小河川である。上信越自動車道甘楽パーキングエリアの南側付近に源を発し、北へ流れ白倉川に合流する。水源地から白倉川との合流地点までは約2.5kmである。上信越自動車道のほか、国道254号(中仙道の脇街道)や上信電鉄などの橋がかかっている。国道254号の橋は「三途橋」という。この三途橋のたもとには、奪衣婆を祭った姥子堂(近くにある宝勝寺の末寺・西光院の本地堂で、伝・行基作の奪衣婆像を安置)がある。『群馬県北甘楽郡史』記載の伝承によれば、この川は行基が名づけたもので、行基は彼の作になる老婆像を残していったといい、地元の人々がその老婆像を尊び堂を建て祀ったという。ただし行基作の像と堂は焼失しのちに再興されたとする。
上州新屋駅(じょうしゅうにいやえき)は、群馬県甘楽郡甘楽町金井にある上信電鉄上信線の駅。
 上州新屋駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅。かつては有人駅であったが、現在は無人駅である。便所は汲み取り式。
上信電鉄の上州新屋駅 - 上州福島駅間の踏切番号36より撮影。
上信電鉄の上州新屋駅 - 上州福島駅間の橋梁。
上信電鉄の上州新屋駅 - 上州福島駅間の踏切番号38より撮影。
上信電鉄の上州新屋駅 - 上州福島駅間の踏切番号39より撮影。
上信電鉄の上州新屋駅 - 上州福島駅間の踏切番号40より撮影。
上信電鉄の上州新屋駅 - 上州福島駅間の踏切番号41より撮影。
 上州福島駅(じょうしゅうふくしまえき)は、群馬県甘楽郡甘楽町福島にある上信電鉄上信線の駅。通学時間、昼間は駅員が配置されているが、早朝・夜間は、無人になることがある。自動券売機は無く発券される切符は全て硬券である。また駅員に頼めば所定の料金にて手荷物を預かってくれる。
 上州福島駅構造は1面2線の島式ホームを持つ地上駅。トイレは水洗式。線路を渡った高崎寄りには、大正年間に建設された上信電鉄福島変電所が存在する(今でも現役で稼動中)
上州福島駅1面2線の島式ホーム。
使われていない側線があり、下仁田側終端部には2両の貨車が放置されている。
上信電鉄の上州福島駅 - 東富岡駅間の踏切番号42より撮影。
上信電鉄の上州福島駅 - 東富岡駅間の踏切番号43より撮影。
上信電鉄の上州福島駅 - 東富岡駅間の踏切番号45より撮影。
上信電鉄の上州福島駅 - 東富岡駅間の鏑川を渡る橋梁。
上信電鉄の上州福島駅 - 東富岡駅間の踏切番号46より撮影。
上信電鉄の上州福島駅 - 東富岡駅間の跨線橋より撮影。
上信電鉄の上州福島駅 - 東富岡駅間の踏切番号47より撮影。
上信電鉄の上州福島駅 - 東富岡駅間の踏切番号48より撮影。
 東富岡駅(ひがしとみおかえき)は、群馬県富岡市富岡にある上信電鉄上信線の駅である。富岡製糸場をモチーフにした三角屋根の時計台を有する駅舎には、一部に赤レンガが使用されている。
東富岡駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅。 トイレは水洗式。
上信電鉄の東富岡駅 - 上州富岡駅間の踏切番号49より撮影。
上信電鉄の東富岡駅 - 上州富岡駅間の踏切番号52(君川踏切)より撮影。
 上州富岡駅(じょうしゅうとみおかえき)は、群馬県富岡市富岡にある上信電鉄上信線の駅。上信電鉄の中では高崎駅、吉井駅、下仁田駅とともに主要駅で、常時駅員が配置されている。現在は、この駅を始終点とするダイヤも組まれている。この場所はよく、地元中学生の職場体験を受け入れている。デキ1形をかたどったトイレが併設されている(パンタグラフは実物)。
銀河鉄道999の顔出しパネル。
 上州富岡駅構造は島式ホームおよび単式ホーム2面3線の地上駅。券売機は2台、現在も磁気券を発売中。トイレは水洗式。
上州富岡駅の島式ホームおよび単式ホーム2面3線。
上信電鉄の上州富岡駅 - 西富岡駅間の踏切番号54より撮影。
上信電鉄の上州富岡駅 - 西富岡駅間の踏切番号55より撮影。
上信電鉄の上州富岡駅 - 西富岡駅間の踏切番号56より撮影。
上信電鉄の上州富岡駅 - 西富岡駅間の踏切番号57より撮影。
上信電鉄の上州富岡駅 - 西富岡駅間の踏切番号58より撮影。
西富岡駅(にしとみおかえき)は、群馬県富岡市七日市にある上信電鉄上信線の駅である。
西富岡駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅。トイレは水洗式。
上信電鉄の西富岡駅 - 上州七日市駅間の踏切番号60より撮影。
上信電鉄の西富岡駅 - 上州七日市駅間の踏切番号62より撮影。
上信電鉄の西富岡駅 - 上州七日市駅間の踏切番号63より撮影。
 上州七日市駅(じょうしゅうなのかいちえき)は、群馬県富岡市七日市にある上信電鉄上信線の駅である。七日市の駅名は、前田利家の五男・前田利孝が立藩した旧七日市藩に由来する。
上州七日市駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅。トイレは水洗式。
上信電鉄の上州七日市駅 - 上州一ノ宮駅間の踏切番号64より撮影。
上信電鉄の上州七日市駅 - 上州一ノ宮駅間の踏切番号65より撮影。
上信電鉄の上州七日市駅 - 上州一ノ宮駅間。
上信電鉄の上州七日市駅 - 上州一ノ宮駅間。
 上州一ノ宮駅(じょうしゅういちのみやえき)は、群馬県富岡市一ノ宮にある上信電鉄上信線の駅。
旧上野国の一ノ宮である一之宮貫前神社の門前駅である。
 上州一ノ宮駅構造は島式ホーム1面2線の地上駅。駅舎は明治30年の開業当時のものである。便所は汲み取り式であったが、2010年に改修され水洗式となった。
光明院。
上信電鉄の上州一ノ宮駅 - 神農原駅間の踏切番号66(県道堂山踏切)より撮影。
上信電鉄の上州一ノ宮駅 - 神農原駅間の踏切番号67より撮影。
上信電鉄の上州一ノ宮駅 - 神農原駅間の田島踏切より撮影。
上信電鉄の上州一ノ宮駅 - 神農原駅間の踏切番号68(石田建機踏切)より撮影。
上信電鉄の上州一ノ宮駅 - 神農原駅間の踏切番号68(石田建機踏切)より撮影。
上信電鉄の上州一ノ宮駅 - 神農原駅間の踏切番号70より撮影。
上信電鉄の上州一ノ宮駅 - 神農原駅間の踏切番号71より撮影。
 神農原駅(かのはらえき)は、群馬県富岡市神農原にある上信電鉄上信線の駅である。 かつては有人駅であったが、現在は無人駅となっている。
神農原駅構造は単式ホーム1面1線の地上駅である。便所は汲み取り式。
上信電鉄の神農原駅 - 南蛇井駅間の踏切番号72より撮影。
上信電鉄の神農原駅 - 南蛇井駅間の踏切番号73より撮影。
上信電鉄の神農原駅 - 南蛇井駅間の踏切番号74より撮影。
上信電鉄の神農原駅 - 南蛇井駅間の踏切番号75より撮影。
上信電鉄の神農原駅 - 南蛇井駅間のガーター橋。
上信電鉄の神農原駅 - 南蛇井駅間の踏切番号76より撮影。
上信電鉄の神農原駅 - 南蛇井駅間の踏切番号77(番号明記が無かったが前後より類推)より撮影。
 南蛇井駅(なんじゃいえき)は、群馬県富岡市南蛇井にある上信電鉄上信線の駅である。休日および平日の閑散時間帯は駅員無配置となる。珍駅名とされる。
 角川文庫のCM(2007年)に当駅が登場した。南蛇井駅のホームで少女(蓮佛美沙子)が本を読んでいると、見知らぬおじいさんが「なんじゃい?」と尋ねかけてくるというユニークなCM。「幻の山野草」とされる日本翁草が駅構内に多数植えられている。
南蛇井駅構造は島式ホーム1面2線の地上駅。便所は汲み取り式。
上信電鉄の南蛇井駅 - 千平駅間の踏切番号78より撮影。
上信電鉄の南蛇井駅 - 千平駅間の踏切番号79より撮影。
上信電鉄の南蛇井駅 - 千平駅間の踏切番号80より撮影。
上信電鉄の南蛇井駅 - 千平駅間の踏切番号81より撮影。
上信電鉄の南蛇井駅 - 千平駅間の踏切番号82より撮影。
千平駅(せんだいらえき)は、群馬県富岡市南蛇井乙にある上信電鉄上信線の駅。
千平駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。無人駅となっている。
 上信電鉄250形電車(じょうしんでんてつ250がたでんしゃ)は、上信電鉄の通勤形電車。デハ252。2001年以降は1000系の2両編成化で余剰となったクハ1301と編成を組むことが多くなった。2003年に屋根上に分散式冷房装置が4基搭載された際に事実上固定編成化され、さらに2004年には登場時のようなストライプ塗装(ただしアイボリーの車体に青い帯1本。1000系のオリジナル塗装や500形と同じ)に変更された。この際、かつてバンパーのあった部分はダミーで黒く塗装された。2007年にはストライプ塗装を生かした形で下仁田町のコンニャク食品メーカー・ヨコオ食品工業のラッピング広告車「ヨコオ食品工業 ムーンラビット号」とされた。車内には過去の車両を撮影した写真が何枚か掲出されている。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間の踏切番号83より撮影。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間の鉄橋。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。
 上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。赤津信号所(あかつしんごうしょ)は、上信電鉄上信線にある信号所。千平駅と下仁田駅の間にある。構造は2線である。1984年12月21日この信号所付近で正面衝突事故が起きた(運転士が赤津信号所の信号を見落としたため)。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。コンクリート製の橋梁。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。旧隧道が残っている。千平駅側。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。旧隧道が残っている。入口から5mほどで閉塞している。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。旧隧道が残っている。下仁田側。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。旧隧道が残っている。入口から5mほどで閉塞している。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。上信電鉄唯一の隧道。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。上信電鉄唯一の隧道。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間の踏切番号84より撮影。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間の第4種踏切より撮影。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間の踏切番号85より撮影。
上信電鉄の千平駅 - 下仁田駅間。
下仁田駅(しもにたえき)は、群馬県甘楽郡下仁田町下仁田甲にある上信電鉄上信線の駅。
直営駅で終日駅員が配置されている。 関東の駅百選に認定されている。
 かつて当駅からJR小海線の羽黒下駅まで路線を延伸する計画があった。上信電鉄の名も上野と信濃を結ぶことから命名された。鉄製有蓋車(てつせいゆうがいしゃ)とは、有蓋貨車の一種である。日本国有鉄道における車両記号は「テ」。鉄製有蓋車は有蓋車から派生した種類の一つで、基本的には有蓋車と似ているが、車体全体が鉄でできており、普通の有蓋車のように内張りに木材は使っていないのが特徴である。主に生石灰(酸化カルシウム)を運ぶのに用いられる。これは、生石灰が水分を含むと発火する危険性があるからで、雨にぬれないように有蓋構造とし、さらに車体全体を鉄製とすることで万一発火した際の被害を抑えることができる。現在は上信電鉄に1両が残るのみだが、営業用としては使われていない。
 下仁田駅構造は頭端式ホーム1面2線の地上駅。貨物営業を行っていたころの名残で構内は比較的広く、側線が4本あり、夜間滞泊の場所として機能している。券売機は1台、現在も磁気券を発売中。トイレは水洗式。
 上信電鉄150形電車(じょうしんでんてつ150がたでんしゃ)は、上信電鉄の通勤形電車。1980年代より西武鉄道から購入した100形の置き換え用として、1994年から1996年にかけて同じ西武鉄道から購入した車両である。第3編成(クモハ155-クモハ156)1966年3月西武所沢工場製(冷房化は1982年)で、第2編成と同様に元西武モハ756(クハ1756の運転台を移植)+モハ755(クハ1755の運転台を移植)を2両化改造したもの。1996年8月に廃車され上信電鉄に移籍した。第2編成とは種車の違いから外観上では雨樋などに違いがある。マンナンライフの広告車である。
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