更新日時 2014年08月01日

ローカル線の旅 三岐鉄道三岐線
 三岐鉄道三岐線は、三重県四日市市の富田駅から三重県いなべ市の西藤原駅までを結ぶ三岐鉄道の鉄道路線である。このうち富田駅 - 三岐朝明信号場間は貨物列車専用であり、旅客列車は近鉄富田駅 - 三岐朝明信号場間の近鉄連絡線を通り、すべて近鉄富田駅発着となる。全線単線の電化路線である。旅客輸送を行っているほか、富田駅 - 東藤原駅間でセメントを中心とした貨物輸送を行っている。日本においてJR以外でセメント輸送を行う鉄道事業者は三岐鉄道のほかに西武鉄道、秩父鉄道、樽見鉄道などがあったが、西武鉄道が1996年、秩父鉄道・樽見鉄道が2006年にセメント輸送を廃止して以降は三岐鉄道の本路線のみとなっている。旅客列車には、西武鉄道の中古車両が黄色いカラーリングを施され使用されている。貨物輸送の割合が大きいが、通学・生活路線として、また鈴鹿山脈へのハイキングの足などとして旅客輸送の比率も高まっている。

三岐鉄道三岐線
近鉄富田駅 - 大矢知駅 - 平津駅 - 暁学園前駅 - 山城駅 - 保々駅 - 北勢中央公園口駅 - 梅戸井駅 - 大安駅 - 三里駅 - 丹生川駅 - 伊勢治田駅 - 東藤原駅 - 西野尻駅 - 西藤原駅

三岐鉄道三岐線と北勢線の駅写真を撮影する為に1日乗り放題パスを購入。
 近鉄富田駅(きんてつとみだえき)は、三重県四日市市富田一丁目にある、近畿日本鉄道(近鉄)・三岐鉄道の駅である。かつては本線の起点である国鉄(現・JR東海)関西本線の富田駅のほうに乗り入れていたが、近鉄線に比べて国鉄線は列車本数が極端に少なく、速度も遅かったため、多くの利用客が列車本数の多い当駅まで徒歩連絡していた。近鉄連絡線完成後も双方の駅に乗り入れていたが、1985年(昭和60年)に当駅発着に統一された。
 近鉄富田駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅である。近鉄線が1・2番線、三岐線が3番線を使用する。近鉄線には待避設備がなく、絶対信号機をもたない棒線駅となっている。ホーム長は6両編成に対応している。近鉄名古屋線内の急行停車・特急通過駅ではホーム全体に上屋がある数少ない駅である。近鉄線と三岐線は当駅の北側でJR富田駅を避ける形で関西本線と立体交差するため、構内からS字曲線・22.7‰の急勾配が連続する。交差部付近の急曲線(曲線半径は近鉄221m、三岐200m)の通過速度は近鉄線では45km/hに制限されており、全列車が速度制限を受けて走行する。
 富田駅(とみだえき)は、三重県四日市市富田三丁目にある、東海旅客鉄道(JR東海)・三岐鉄道の駅である。
 富田駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持つ地上駅である。駅東西に出入口がある。西駅舎は単式ホーム(1番線)に接続し、各ホームと両出入口が跨線橋により結ばれている。3番線の東側には、三岐鉄道の着発線と多数の側線が広がる。その中に、かつて三岐鉄道が使用した島式ホームがあり、ホーム上屋は撤去済だが現在も駅名板が残っている。跨線橋から、このホームへ通じる階段は塞がれているが、階段外壁には「藤原岳・宇賀渓へ三岐鉄道」という広告が描かれたままになっている。
三岐鉄道三岐線の近鉄富田駅 - 大矢知駅間の朝明6号踏切より撮影。
大矢知駅(おおやちえき)は、三重県四日市市大矢知町にある、三岐鉄道三岐線の駅である。
 大矢知駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅。北側に富田方面、南側に藤原方面の列車が入る。ホーム北側の改札から富田方面線路上の構内踏切を渡る。駅名標にはかつて存在した「三岐朝明」の文字が、隣駅の表記でかすかに見える。過去には荷物扱いを行っており、貨物ホームが存在した。簡易委託駅となっている。
三岐鉄道三岐線の大矢知駅 - 平津駅間の大矢知2-2号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の大矢知駅 - 平津駅間の大矢知5号踏切より撮影。
平津駅(へいづえき)は、三重県四日市市平津町にある、三岐鉄道三岐線の駅である。
平津駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅。
三岐鉄道三岐線の平津駅 - 暁学園前駅間の平津2号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の平津駅 - 暁学園前駅間の平津3号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の平津駅 - 暁学園前駅間の平津6号踏切より撮影。
暁学園前駅(あかつきがくえんまええき)は、三重県四日市市中村町にある、三岐鉄道三岐線の駅である。
暁学園前駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。駅舎は南側に配置されている。
三岐鉄道三岐線の暁学園前駅 - 山城駅間の萱生2号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の暁学園前駅 - 山城駅間の萱生4号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の暁学園前駅 - 山城駅間の萱生5号踏切より撮影。
山城駅(やまじょうえき)は、三重県四日市市山城町にある、三岐鉄道三岐線の駅である。
山城駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅。
三岐鉄道三岐線の山城駅 - 保々駅間の山城4号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の山城駅 - 保々駅間の山城5号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の車両。山城5号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の山城駅 - 保々駅間の山城6号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の山城駅 - 保々駅間の山城8号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の山城駅 - 保々駅間の山城10号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の山城駅 - 保々駅間の保々1号踏切より撮影。
 保々駅(ほぼえき)は、三重県四日市市小牧町にある、三岐鉄道三岐線の駅である。構内に車両区・施設区・コントロールセンターが置かれて、三岐線の運転上の中枢駅である。かつては当駅 - 近鉄富田駅間の区間列車が多く存在したが、2003年(平成15年)より終点の西藤原駅まで延長運転されている。区間列車は、現在では臨時列車を含み数本のみ運転される。
保々駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。
三岐鉄道三岐線の保々駅 - 北勢中央公園口駅間の保々1号踏切より撮影。
 ED5081形 2003年移籍。元東武鉄道ED5080形ED5081・ED5082(ED5082は2011年竣功)。東武ED5060形電気機関車は、かつて東武鉄道に在籍した電気機関車である。
三岐鉄道三岐線の保々駅 - 北勢中央公園口駅間の保々4号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の保々駅 - 北勢中央公園口駅間の保々7号踏切より撮影。
 北勢中央公園口駅(ほくせいちゅうおうこうえんぐちえき)は、三重県四日市市市場町にある、三岐鉄道三岐線の駅である。第4回中部の駅百選認定駅。駅名標には旧駅名である大長駅を考慮して、旧 大長と付記されている。
北勢中央公園口駅構造は単式ホーム1面1線を持つ地上駅。
三岐鉄道三岐線の北勢中央公園口駅 - 梅戸井駅間の大長6号踏切より撮影。
梅戸井駅(うめどいえき)は、三重県いなべ市大安町梅戸にある、三岐鉄道三岐線の駅である。
梅戸井駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅。
三岐鉄道三岐線の梅戸井駅 - 大安駅間の梅戸井2号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の梅戸井駅 - 大安駅間の梅戸井4号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の梅戸井駅 - 大安駅間の梅戸井6号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の梅戸井駅 - 大安駅間の梅戸井9号踏切より撮影。
 大安駅(だいあんえき)は、三重県いなべ市大安町大井田にある、三岐鉄道三岐線の駅である。 第1回中部の駅百選に選出されている。
 大安駅構造は単式ホーム1面1線を持つ地上駅。入って右側には三岐観光、左側には図書館がある。駅舎は駅移転時に旧大安町の資金負担で建設されたもので、図書館が併設されているが、鉄道駅に併設されていることもあって鉄道関係の書籍も多い。また、開業時から駅前広場・水洗トイレなどが整備されている。
三岐鉄道三岐線の大安駅 - 三里駅間の大井田3号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の大安駅 - 三里駅間の大井田4号踏切より撮影。
三里駅(みさとえき)は、三重県いなべ市大安町平塚にある、三岐鉄道三岐線の駅である。
三里駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅。駅舎は最近改築された。
三岐鉄道三岐線の三里駅 - 丹生川駅間の三里6号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の三里駅 - 丹生川駅間の三里7号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の三里駅 - 丹生川駅間の三里8号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の三里駅 - 丹生川駅間の三里10号踏切より撮影。
 丹生川駅(にゅうがわえき)は、三重県いなべ市大安町丹生川中にある、三岐鉄道三岐線の駅である。かつては貨物も取り扱い、近隣の鉱山から苦土石灰等が発送された。
 丹生川駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅である。
側線には、貨物鉄道博物館所属のタム8000形(ワム8000)とト1形(ト15)の2両の貨車が展示されている。
 貨物鉄道博物館は、三重県いなべ市の三岐鉄道三岐線丹生川駅に隣接する鉄道保存展示施設である。日本で唯一、鉄道貨物輸送を対象としている博物館である。貨車をはじめとして、機関車、コンテナが屋外展示されるほか、貨物関係の資料、貨車の部品等を収蔵している。各車両は静態保存によって博物館展示線と丹生川駅側線のほか、東藤原駅前でも展示されている。当博物館の建物の一部は、丹生川駅の旧貨物ホームが流用されている。運営は鉄道事業者や行政ではなくボランティアによって行われており、費用は寄付によって賄われている。基本的に三岐鉄道は博物館建設のための基盤を整備・提供したにすぎず、中心的作業の車両搬入・展示・運営などの実務はボランティアにゆだねている。日本で貨物鉄道が営業を開始した1873年(明治6年)9月15日にあわせ、2003年(平成15年)9月15日に開館した。
 日本鉄道が発注した英国製の蒸気機関車で、1906(明治39)年に国有化され、1922(大正11)年には東武鉄道B4形39号となって、貨物列車牽引に活躍しました。1966(昭和41)年に引退してからは、東京都の昭和鉄道高校で大切に保存されてきました。
名古屋鉄道ト200形無蓋車(ト246) - 1913年製 木製 10トン積。
西濃鉄道ワフ21000形ワフ21120。蒲原鉄道ワ11形ワ11。ワ1形ワ5490。
 国鉄タム500形貨車は、1931年(昭和6年)から製造された、15t積みガソリン専用の二軸タンク貨車(私有貨車)である。タンク体はドーム付き直円筒形で、荷役方式は上入れ下出し式。小型貨車では重ね板ばねによる軸箱支持の走り装置を持つ二軸車であるが、1955年(昭和30年)度以降の増備車では二段リンクとなり、一段リンクだった車両も一部の車両を除いて二段リンク化された。側ブレーキは片側のみ。ガソリン専用のタンク車としては初の15t積であり、1931年(昭和6年)から1961年(昭和36年)にかけて二軸タンク車としては最多の621両が汽車製造、三菱重工業、新潟鐵工所、東急車輛製造、鉄道車輛工業、飯野重工業、川崎車輛、日本鋼管、富士重工業、日立製作所、日本車輌製造、造機車輌、帝國車輛工業にて製造された。
 国鉄タ2000形貨車は、かつて鉄道省、日本国有鉄道(国鉄)及び1987年(昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍したタンク車である。タ2000形はアルコール専用の10t積私有貨車である。1941年(昭和16年)から1951年(昭和26年)にかけて3両(タ2000 - タ2002)が他形式からの改造により製作された。1941年(昭和16年)12月に2両(タ2000 - タ2001)がタム200形タム273 - タム274より新潟鐵工所にて専用種別変更(改造)され新形式として誕生した。種車となったタム273 - タム274は1939年(昭和14年)新潟鐵工所製であり、タム200形として落成したわずか2年後であった。
貨物鉄道博物館展示の貨物車及び機関車。
 本形式は1938(昭和13)年から1968(昭和43)年にかけて368輌(改造を含む)が製造された15トン積塩酸(及びアミノ酸)専用タンク車です。積荷の塩酸は腐食性が強いために、タンク車としては初めて内面にゴムライニングが施されました。
 浅野セメント(太平洋セメントの前身)が川崎の工場へ石灰石を輸送するために製造した23トン積ホッパ車です。1966(昭和41)年の廃車後に福井鉄道へ移籍しましたが、かつてデッキ部分にあった制動手室は撤去され、砕石散布用に改造されています。
 国鉄テラ1形鉄製有蓋車(テラ146) - 1964年から製造された 17トン積。本形式は、国鉄が1963年(昭和38年)から1966年(昭和41)年にかけて、協三工業および鉄道車輛工業において180両(テラ1 - テラ180)を製造した、国鉄初の17トン積み二軸鉄製有蓋車である。国鉄所有の鉄製有蓋車は、本形式が最後である。15トン積みであった前級テム300形を基本に、新しい拡大車両限界を採用して車体を大型化したものの、台枠等の軽量化を行って自重は同形式比0.6トン軽くなった。
 シキ160形 シキ160。国鉄シキ160形貨車(こくてつシキ160がたかしゃ)は、1955年(昭和30年)3月16日に日本車輌製造で製造された130トン積み大物車である。富士電機(後に日本AEパワーシステムズ)所有の私有貨車で、当初は日本国有鉄道、1987年(昭和62年)の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道に車籍編入されていた。本形式は、特大貨物である変圧器を輸送するために製造された貨車である。搭載方法は吊掛式(シュナーベル式)と称し、搭載する変圧器の容器自体が車体の一部を構成し、両側の梁で吊り下げて支えるものであった。このため、搭載する貨物によって全長が変化する。空車時の全長は、23,756mm(連結器間、改造前は23,526mm)に達する。
 静岡県の東海道本線用宗駅から分岐していた巴川製紙所の工場引き込み線で、原材料や製品を載せた貨車の入換えに活躍したディーゼル機関車です。1986(昭和61)年に引退し、その後名古屋市内で保存され、2004(平成16)年、当館に寄贈されました。
三岐鉄道三岐線の丹生川駅 - 伊勢治田駅間の橋梁。
三岐鉄道三岐線の丹生川駅 - 伊勢治田駅間の伊勢治田2号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の貨物列車のユーチューブ動画リンク
三岐鉄道三岐線の伊勢治田駅 - 東藤原駅間の伊勢治田3号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の伊勢治田駅 - 東藤原駅間の伊勢治田5号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の伊勢治田駅 - 東藤原駅間の伊勢治田6号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の伊勢治田駅 - 東藤原駅間の伊勢治田8号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の伊勢治田駅 - 東藤原駅間の東藤原2号踏切より撮影。
東藤原駅(ひがしふじわらえき)は、三重県いなべ市藤原町東禅寺にある、三岐鉄道三岐線の駅である。
 東藤原駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅。西側に数本の側線があり、駅北側には太平洋セメント藤原工場への専用線がある。使用されていない貨車は隣の伊勢治田駅に留置されていることが多い。当駅の太平洋セメント藤原工場より、旧・四日市港駅にある太平洋セメント藤原工場出荷センターへセメント輸送貨物列車が運行されている。また衣浦臨海鉄道碧南市駅との間に往路は炭酸カルシウム(中部電力碧南火力発電所で使用)を、復路はフライアッシュ(石炭灰・碧南火力発電所で発生)を輸送する貨物列車も運行されている。かつては、膳所駅にある太平洋セメント大津サービスステーションや、西浜松駅にあるセメントターミナル浜松営業所、坂祝駅にある太平洋セメント坂祝サービスステーションへのセメント輸送貨物列車も運行されていたが、前記1箇所は2005年(平成17年)3月に、後記2箇所は2007年(平成19年)3月に廃止されている。
東藤原駅前に、ホキ5700形貨車(ホキ25767号)が保存されている。
 ED457+ED452重連。三岐鉄道ED45形電気機関車は、三岐鉄道が所有する直流用電気機関車である。ED451 - 459の9両が在籍する。三岐鉄道特有の右運転台で、列車無線、2燈式シールドビームの他、ATSが装備されている。重連総括制御装置が取り付けられていて、重連で三岐線東藤原駅 - 富田駅間のセメント輸送用貨物列車を牽引している。
 国鉄タキ1900形貨車は、日本国有鉄道(国鉄)、現在は日本貨物鉄道(JR貨物)に車籍を有する、40t積みセメント専用の私有貨車(タンク車)である。本形式は、1964年(昭和39年)から1981年(昭和56年)にかけて、川崎車輛、日立製作所、日本車輌製造、三菱重工業で、78ロット1,729両が製造された。記号番号表記は特殊標記符号「コ」(全長 12 m 以下)を前置し「コタキ」と標記する。タキ1900形を所有する(または所有していた)企業は、セメントターミナル以外では小野田セメント、チチブセメント、日本セメント(いずれも現:太平洋セメント)、住友セメント、大阪セメント(共に現:住友大阪セメント)、日立セメント、三井鉱山、三菱鉱業セメント、東北開発(共に現:三菱マテリアル)、明星セメント、電気化学工業などが挙げられる。後年は各地でセメント専用列車の廃止が進んで本形式の余剰車が発生したことや老朽化により廃車が進み、2014年現在では太平洋セメント所有の車両が95両在籍するのみであり、太平洋セメント藤原工場を起点に三岐鉄道三岐線東藤原駅 - 関西本線四日市駅間で運用されるのみとなっている。
三岐鉄道三岐線の東藤原駅 - 西野尻駅間の東藤原4号踏切より撮影。
太平洋セメント藤原工場への専用線。東藤原4号踏切より撮影。
三岐鉄道三岐線の東藤原駅 - 西野尻駅間の東藤原5-2号踏切より撮影。
西野尻駅(にしのじりえき)は、三重県いなべ市藤原町西野尻にある、三岐鉄道三岐線の駅である。
西野尻駅構造は単式ホーム1面1線を有する地上駅。線内唯一の終日無人駅である。
 西藤原駅(にしふじわらえき)は、三重県いなべ市藤原町大貝戸にある、三岐鉄道三岐線の駅。同線の終着駅である。構内には2001年(平成13年)に三岐線の開業70周年を記念して「ウィステリア鉄道」なる鉄道公園が整備され、三岐鉄道創業時に新造された蒸気機関車E102号機、中部国際空港埋立土砂輸送のために大井川鉄道から借入れた電気機関車いぶき502号機、ディーゼル機関車DB25号機の車輛3輛が展示されている。
 西藤原駅構造は島式ホーム1面2線を持つ地上駅であるが、その内1線には車輛が保存されており使われていない。駅舎は蒸気機関車が客車を連ねている様子を模した新しい建物である。業務委託駅である。
三岐鉄道創業時に新造された蒸気機関車E102号機。
 大阪窯業セメントいぶき500形電気機関車は、かつて大阪窯業セメント(大阪セメントを経て現在の住友大阪セメント)が伊吹工場専用線で使用していた直流用電気機関車である。同専用線廃止後は大井川鉄道(現在の大井川鐵道)に譲渡され、同社でED500形電気機関車となっている。1956年に日立製作所で2両が製造された50t箱形機で、近江長岡駅から分岐していた伊吹工場専用線で使用されていた。形式名の「いぶき」は同専用線の名の由来になった伊吹山から取られたもので、車両中央に大阪セメントの「ライオン印」が掲げられていた。同線のセメント輸送が1999年6月末限りでトラックに切り替えられ廃線となったため、大井川鉄道に譲渡され、ED500形ED501・502となった。同社では2000年2月22日に竣工し、3月18日から運転を開始したが、2005年2月開港の中部国際空港埋立土砂輸送のため急遽三岐鉄道へ異動し、501は貸し出し、502は同社へ売却となり、2000年5月18日から三岐線での運用を開始した。三岐鉄道では、中部国際空港埋立土砂輸送が終了した2002年10月29日付けで廃車となり、2003年3月18日に501は大井川鐵道(2000年10月に再編・改称)に返却され、502は西藤原駅構内で静態保存された。501は返却の際に「ライオン印」と車体裾の白帯が省略されている。
ディーゼル機関車DB25号機。
三岐鉄道三岐線の西野尻駅からレールエンド間の西野尻3号踏切より撮影。
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出典: 貨物鉄道博物館