更新日時 2023年10月11日
探索日時 | 写真 | コメント |
2023年09月吉日 | ![]() |
鳥越高原大日スキー場:石川県白山市にあったスキー場である。もとは鳥越高原大日スキー場の名称で営業していたが2007年に改称した。スキー場は初級者向けで金沢市からも近いので日帰りの家族連れがよく見られる。2007-2008シーズンおよび2008-2009シーズンは改装中であったが、2010年1月4日にオープンした。しかし、2012年2月26日をもって廃止された。夏季は広大な駐車場を利用したジムカーナが行われていたが2023年2月17日をもって閉鎖された。 |
2023年07月吉日 | ![]() |
山本園大谷グランドセンター:栃木県宇都宮市大谷町にあり、1956年の平和観音の建立に伴う観光客の増加を背景として、1960年代半ば頃に開業したホテル&ヘルスセンター跡で1980年代末頃に廃業(1988年1月31日の伝票が確認されている)となった。観光客数は1980年代まで100万人〜110万人台後半を推移していたが、1989年の大谷石採掘場の陥没事故で急減した。その影響もあって閉鎖に追い込まれた可能性もある。建物外部は全体が蔦に覆われ廃墟感を醸し出している。内部は天然の大谷石をそのままの状態で凹凸のある壁として使用しているデザインが特徴。 |
2023年07月吉日 | ![]() |
岩風呂水明館の太鼓橋:岩風呂水明館という旅館は2000年頃休館し無人の浴槽に休館後も温泉が流れ込んでいた。2006年に岩風呂水明館が取り壊されたが太鼓橋だけ残こっている。2002年時点で22本の源泉のうち温泉街に湧出する源泉は12本。町が1本、第三セクタが12本、残り9本はホテルなどの企業が持っていが、その内9本は休止又は枯れている。 |
2023年06月吉日 | ![]() |
火山の噴火で廃墟になったスキー場:2018年目立った前兆もなく約3000年振りとなる噴火が突如として発生。山頂部ゲレンデ脇わずか数百m程度の場所が水蒸気爆発により噴火した。ゲレンデやロープウェイのゴンドラは、平均20cmの大きさの噴石による砲撃を受けているような状況に置かれ、スキー客や、スキー場において訓練中であった陸上自衛隊の自衛隊員らが被害を被った。ロープウェイは噴石の直撃により山頂駅の屋根に穴が開いたほか、ゴンドラの窓ガラスが割れるなどの被害を受け噴火後から運休。 |
2023年06月吉日 | ![]() |
群馬県某廃スキー場:某山の南斜面を滑り下りるスキー場で、視界を遮る山が遠く離れているため眺望に優れる。標高が高いため雪質は比較的良い。斜度は緩く下部ではカラ松の林間コースとなる。小学生(12歳)以下はリフト料金が無料であった。1984年開業。2011年 - 2011年9月、経済情勢の悪化を理由に2011年シーズンの営業を休止する旨が告知。以後2012年、2013年シーズン前にも引き続き公式サイトで休業の案内が告知・更新されていたが2014年以降は更新されなくなった。 |
2023年04月吉日 | ![]() |
某廃墟スキー場跡:1990年(平成2年)12月第3セクターで開業。総工費65億円。2期計画でゴンドラを架け某スキー場と連結するなどの拡張を構想。売り上げが年3〜5億円程度にとどまっている一方で某スキーリゾートの負債は約81億円に達し問題となる。目標入り込み数5万人達成の見通しも厳しく、累積赤字も96億円に達していたためこれ以上の営業は困難と判断。2004年(平成16年) 2004-2005シーズンからの営業再開を目指していたという旨のアナウンスがあったものの、このシーズンも営業できず以後閉鎖状態。 |
2023年05月吉日 | ![]() |
某石灰廃鉱山:福岡県某所にある石灰廃鉱山。2015年10月05日に法人登記し、2022年08月08日登記記録の閉鎖を行っている。登記記録閉鎖等の事由は清算の結了等。石灰石を採掘・石灰関連製品を販売していた会社。ネットで調べてもそれ以上の情報は得られなかった。 |
2022年12月吉日 | ![]() |
譲原小学校:1874年(明治7年)4月に譲原村、保美濃山村、坂原村と連合して譲原学校設立。1875年(明治8年)5月に分離して譲原小学校を満福寺に開校。現存する旧譲原小学校の木造校舎は1934年(昭和9年)建設。1975年(昭和50年)に閉校し鬼石小学校に統合したが、鬼石小学校まで距離があったため、閉校後も2年間は3年生以下の学年に限りこちらの学校に通っていた。隣接して石器時代の住居跡がある。 |
2022年12月吉日 | ![]() |
某小・中学校分校:本校は1873年(明治6年)に開校。某小・中学校分校は1952年(昭和27年)開校。1973年(昭和48年)廃校。後年は内部の状況を見るとバイク関係の施設に成っていたと思われる。 |
2022年12月吉日 | ![]() |
某小学校跡:1875年(明治8年)に分校として開校。分校から独立したのは1900年(明治33年)、1902年(明治35年)に大洪水があり校舎は流失し、その時の校長が書類を守ろうとして殉職された。翌年別の場所に校舎を建てたが、またもや大水で浸水に遭い1909年(明治42年)に移転した。1911年(明治44年)には児童数76名を数えた。1958年(昭和33年)に現在地に新築するも1961年(昭和36年)の54名から徐々に減り、ついに卒業生580名の足跡と地域の再開校の夢を残して、1984年(昭和59年)3月23日児童4名にて休校式を迎えた。 |
2022年11月吉日 | ![]() |
某石灰廃鉱山:ネットで調べても出てこない小規模の石灰廃鉱山。偶然に見つけた廃鉱山で法人登録は2015年10月15日と比較的新しいが鉱山の廃れ具合からもう少し前から稼働していたのでは無いかと推測している。この廃鉱山の近くに会社名と同じ民家があるのでその家がこの鉱山の持ち主と思われる。この石灰廃鉱山には2018年に市指定の天然記念物に指定されている鍾乳洞が有りヘリクタイトが他の鍾乳洞に見られない発達のしかたである。 |
2022年05月吉日 | ![]() |
旭浜のトーチカ群:トーチカとは、ロシア語で「点・地点」の意味で、軍事的には重要な地点を守るためコンクリートなどを固めて造った小型の防衛用陣地である。大樹町・広尾町・浦幌町など太平洋沿岸にあるトーチカは太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)5月、第7師団(通称熊部隊)の「沿岸築城整備要領」に基づき第31警備隊及び第32警備隊が、米軍の本土上陸に備えて構築に着手し、同年12月までに多くのトーチカを造った物である。資材は現地調達で施工は困難を極めたが使用されること無く、昭和20年8月の終戦となった。 |
2022年05月吉日 | ![]() |
北の細道ガイドツアー水力発電所跡:北海道の炭鉱や廃墟探索で有名な北の細道ガイドツアー水力発電所跡に参加してきました。主催者のスケキヨさんの意向で場所等は特定できないように考慮しています。 |
2022年05月吉日 | ![]() |
江見太夫崎海岸生け簀小屋:千葉県鴨川市の江見太夫崎海岸の先に昔使われていた生け簀小屋の廃墟が有る。1971年の航空写真では確認できないが、1975年の航空写真で確認できる。廃墟小屋に続くコンクリートの道があるが潮位の変化や大波などで危険なため海岸に降りる手前には立入禁止の看板が掲げられている。なので、ドローンによる撮影を行った。 |
2012年12月吉日 | ![]() |
行川アイランドは、かつて千葉県勝浦市浜行川にあった、動・植物園を中心にしたレジャー施設、およびそれの運営会社(日本冶金の孫会社にあたる)。房総半島で海と山に阻まれた環境のもと、南国系の動物・鳥類や熱帯植物・プール・ホテル・野外ステージが整備された一大リゾート地として開発・運営されていた。2001年8月に閉園した。施設最寄り駅として行川アイランド駅が開設され、閉園後も無人駅として残された。行川アイランドは山を削ったような、巨大な御椀型の窪んだ土地にあった。 |
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