更新日時 2023年06月02日

廃墟写真集
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2023年04月吉日 某廃墟スキー場跡:1990年(平成2年)12月第3セクターで開業。総工費65億円。2期計画でゴンドラを架け某スキー場と連結するなどの拡張を構想。売り上げが年3〜5億円程度にとどまっている一方で某スキーリゾートの負債は約81億円に達し問題となる。目標入り込み数5万人達成の見通しも厳しく、累積赤字も96億円に達していたためこれ以上の営業は困難と判断。2004年(平成16年) 2004-2005シーズンからの営業再開を目指していたという旨のアナウンスがあったものの、このシーズンも営業できず以後閉鎖状態。
2023年05月吉日 某石灰廃鉱山:福岡県某所にある石灰廃鉱山。2015年10月05日に法人登記し、2022年08月08日登記記録の閉鎖を行っている。登記記録閉鎖等の事由は清算の結了等。石灰石を採掘・石灰関連製品を販売していた会社。ネットで調べてもそれ以上の情報は得られなかった。
2022年12月吉日 譲原小学校:1874年(明治7年)4月に譲原村、保美濃山村、坂原村と連合して譲原学校設立。1875年(明治8年)5月に分離して譲原小学校を満福寺に開校。現存する旧譲原小学校の木造校舎は1934年(昭和9年)建設。1975年(昭和50年)に閉校し鬼石小学校に統合したが、鬼石小学校まで距離があったため、閉校後も2年間は3年生以下の学年に限りこちらの学校に通っていた。隣接して石器時代の住居跡がある。
2022年12月吉日 某小・中学校分校:本校は1873年(明治6年)に開校。某小・中学校分校は1952年(昭和27年)開校。1973年(昭和48年)廃校。後年は内部の状況を見るとバイク関係の施設に成っていたと思われる。
2022年12月吉日 某小学校跡:1875年(明治8年)に分校として開校。分校から独立したのは1900年(明治33年)、1902年(明治35年)に大洪水があり校舎は流失し、その時の校長が書類を守ろうとして殉職された。翌年別の場所に校舎を建てたが、またもや大水で浸水に遭い1909年(明治42年)に移転した。1911年(明治44年)には児童数76名を数えた。1958年(昭和33年)に現在地に新築するも1961年(昭和36年)の54名から徐々に減り、ついに卒業生580名の足跡と地域の再開校の夢を残して、1984年(昭和59年)3月23日児童4名にて休校式を迎えた。
2022年11月吉日 某石灰廃鉱山:ネットで調べても出てこない小規模の石灰廃鉱山。偶然に見つけた廃鉱山で法人登録は2015年10月15日と比較的新しいが鉱山の廃れ具合からもう少し前から稼働していたのでは無いかと推測している。この廃鉱山の近くに会社名と同じ民家があるのでその家がこの鉱山の持ち主と思われる。この石灰廃鉱山には2018年に市指定の天然記念物に指定されている鍾乳洞が有りヘリクタイトが他の鍾乳洞に見られない発達のしかたである。
2022年05月吉日 旭浜のトーチカ群:トーチカとは、ロシア語で「点・地点」の意味で、軍事的には重要な地点を守るためコンクリートなどを固めて造った小型の防衛用陣地である。大樹町・広尾町・浦幌町など太平洋沿岸にあるトーチカは太平洋戦争末期の昭和19年(1944年)5月、第7師団(通称熊部隊)の「沿岸築城整備要領」に基づき第31警備隊及び第32警備隊が、米軍の本土上陸に備えて構築に着手し、同年12月までに多くのトーチカを造った物である。資材は現地調達で施工は困難を極めたが使用されること無く、昭和20年8月の終戦となった。
2022年05月吉日 北の細道ガイドツアー水力発電所跡:北海道の炭鉱や廃墟探索で有名な北の細道ガイドツアー水力発電所跡に参加してきました。主催者のスケキヨさんの意向で場所等は特定できないように考慮しています。
2022年05月吉日 江見太夫崎海岸生け簀小屋:千葉県鴨川市の江見太夫崎海岸の先に昔使われていた生け簀小屋の廃墟が有る。1971年の航空写真では確認できないが、1975年の航空写真で確認できる。廃墟小屋に続くコンクリートの道があるが潮位の変化や大波などで危険なため海岸に降りる手前には立入禁止の看板が掲げられている。なので、ドローンによる撮影を行った。
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