更新日時 2009年12月01日
手宮線(てみやせん)は、北海道小樽市の南小樽駅から同市内の手宮駅を結ぶ日本国有鉄道が運営した鉄道路線(貨物線)である。北海道で最初の鉄道開業区間の一部で、石炭や海産物の積み出しで賑わったが、1985年に廃止となった。北海道では最初の鉄道である官営幌内鉄道(手宮〜札幌〜幌内)の一部として1880年に開通した。官営幌内鉄道は1889年に北海道炭礦鉄道に譲渡された後、鉄道国有法によって1906年に買収、国有化された。1958年に旅客列車の気動車化を実施し、1959年9月22日のダイヤ改正時点では9往復が運行されていたが、利用客減少のため1961年10月1日改正で旅客列車は蒸気機関車牽引の客車列車2往復のみとなり、翌1962年5月14日を最後に旅客営業が廃止された。その後も貨物輸送は続けられたが、輸送量の減少により1985年8月下旬から貨物列車の運行がなくなり、同年11月3日・4日にさよなら運転として臨時列車「さよなら手宮線手宮号」が運行され、翌日付で廃止された。
現在、廃線跡のほとんどが保存されている。踏切も残っており、踏切での一時停止の不要を知らせる看板もある。手宮駅跡は「小樽市総合博物館(鉄道・科学・歴史館)」として活用されているほか、手宮線をLRTとして復活する提案が地元の「小樽まちづくり協議会」を中心になされている。
路線データ(廃止時) 管轄:日本国有鉄道 区間(営業キロ):南小樽〜手宮 2.8km 軌間:1067mm 駅数:2(色内仮乗降場(駅)は含まず) 複線区間:なし(全線単線。一時期は複線だった) 電化区間:なし(全線非電化) 閉塞方式:タブレット閉塞式 |
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@南小樽駅:駅名起源 ・明治13年11月開運停車場として開業 ・明治14年住吉停車場と改称 ・明治33年6月小樽駅と改称 ・大正9年7月南小樽駅と改称し現在に至る |
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@南小樽駅:この鐘は、明治13年から昭和40年まで使用された物です。列車が隣の手宮駅を発車すると、下り列車は6つ、上り列車は2つ、鐘を鳴らして駅長及びお客様に知らせて改札などを始めた開拓当時からの鐘です。 | |
@南小樽駅 プラットホームのような物が見える旧手宮線の駅か? | |
@南小樽駅 右側の線路が切れているのが手宮線 | @南小樽駅の旧駅舎か現在は使われていない様だ |
@切れている線路が手宮線跡 | A奥に見えるのが南小樽駅 |
A旧手宮線の線路の上に踏切が食い込んでいる | AJR函館本線の列車 小樽→南小樽 |
B左は引き込み線 | Bこの鉄橋は旧手宮線も兼用している |
C雑草が生えている線路が手宮線跡 | |
Dここから函館本線と別れて行く | |
D上がJR函館本線 | E左下が旧手宮線跡 |
Eはなぞの橋 | E1962年7月 日本国有鉄道建造 TL-14 支間25.2M 製作 日立造船株式会社神奈川工場 材質SS41 SV34 |
Eはなぞの橋 昭和37年12月竣工 | E右下が旧手宮線 この先右カーブしている |
F手宮線跡地 散策路看板 | F手宮線跡地 散策路看板 |
Fここに橋が架かっていたと思われる | |
F手宮線跡に居たにゃー かなり人なっこい | |
F旧手宮線:明治13年(1880)10月24日アメリカから輸入された蒸気機関車「弁慶号」が試運転を行い、人々に初めて公開された日です。 無事、試運転を終えて1ヶ月後の11月28日、北海道で最初、日本で新橋〜横浜、大阪〜神戸に次ぐ3番目の鉄道が手宮と札幌の間に開通しました。開通当時は1日1往復で、停車場は手宮・開運町(今の南小樽)・銭函 札幌の4カ所、料金は(手宮〜札幌)は上等1円 所要時間は3時間でした。 |
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F手宮線跡地は一部遊歩道化している | |
F旧手宮線跡地の遊歩道 | F踏切跡も残っている |
G旧手宮線跡地の遊歩道 | H踏切跡も残っている |
H線路も残されている | H手宮線跡地看板 |
H手宮線跡地 from1880 to 1985 | H色内駅跡地 |
H色内駅跡地:色内駅は大正元年(1912)8月11日に手宮線の最後に開設された旅客専用駅でした。 手宮線開通により石炭、穀物、木材などの交易の港湾都市として小樽を発展させ、色内駅周辺は日本銀行をはじめ、多くの金融機関が軒を連ね、「北海道のウオール街」と称されるほど賑わいがありました。アメリカの蒸気機関車「義経」「弁慶」で牽引する手宮線はハイカラ列車と呼ばれ、ハイカラ好みの達人の間で人気を誇った物です。昭和36年(1961)10月に駅が廃止され、手宮線として昭和60年(1985)11月5日に全ての運輸営業が廃止されました。 |
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H銀行跡? | H色内駅跡 |
Iセントラルタウン都通 | |
I | I |
I線路が傾斜している | J鉄道施設の倉庫と思われる |
J旧手宮線:旧手宮線は北海道の最初の鉄道です。明治政府は日本の近代化を図るため、石炭などの北海道の貴重な地下資源に注目し、その開発と輸送を目的に鉄道建設に着手しました。そして明治13(1880)年、北海道最初、日本で3番目の手宮線(手宮〜札幌、後に三笠まで延長)が開通しました。 北海道の鉄道工事は、アメリカの技術によって進められ、蒸気機関車もアメリカから輸入されました。 |
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J弁慶号? | J道路部が切り下げられている |
J1983年12月24日 企画 (社)小樽青年会議所 都市総合計画委員会 | |
Jその後も廃線跡が・・・ | Jこの傾斜は後から道路のために意図的に・・・ |
Kこれより先は未整備・・・ | K未整備のため立ち入り禁止・・・ |
Kそれでも廃線跡は続く・・・ | K・・・ |
L・・・ | L・・・ |
M道路を横断・・道路には線路は無かったが、一部陥没しているため線路ごと舗装をしたのか・・・ | |
N・・・ | N立ち入り禁止・・・ |
N・・・ | O立ち入り禁止・・・ |
O引き込み線のレールエンドが・・・ | O引き込み線跡・・・ |
P引き込み線跡・・・ | Pポイントの切り替えが・・・ |
Pポイント切り替えが残っている | P手宮駅手前の切り替え・・・ |
Pポイント切り替えが残っている | |
Pマックスバリューが見える | Q手宮駅の跡・・・小樽市総合博物館 |
北炭ローダーの台座。 | |
? | 手宮港 |
手宮港 | 廃線跡 |
小樽駅:この「むかい鐘」は明治から1965年頃まで列車到着の予報として打ち鳴らした上り列車には二打、下り列車には三打と決め鐘を鳴らした後十数分で列車が到着した人々はいっぱいの荷物を担いでホームへ急ぎ出迎えの人や行商人で活気に満ち旅の全ては、この鐘の音を聞くことから始まった。 この「むかい鐘」は鉄道が人と人の心をむすびつけることを願ってふたたび、よびもどされたものである。 |
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小樽駅 登録有形文化財 | 小樽駅 |
小樽駅 | 小樽駅 |
小樽市総合博物館へ続く | |
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