更新日時 2024年02月23日

 士幌線(しほろせん)は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)。北海道帯広市(十勝支庁管内)の帯広駅で根室本線から分岐し、十勝平野を北上して河東郡上士幌町の十勝三股駅に至る。国鉄再建法の制定に伴い、第2次特定地方交通線に指定され、国鉄民営化直前の1987年に廃止された。帯広 - 上士幌間は、軽便鉄道法により建設された区間で、1925年から翌年にかけて開通した。上士幌以北は、改正鉄道敷設法別表第141号に規定する「十勝國上士幌ヨリ石狩國「ルベシベ」ニ至ル鐡道」として建設され、1939年に十勝三股までが開通した。上士幌 - 十勝三股間の総工費は194万円かかった。なお、石狩国ルベシベ(留辺志部)とは、現在の石北本線上川駅のことであり、このルートは現在の国道273号に相当する。路線データ(廃止時) 管轄:日本国有鉄道。路線距離(営業キロ):帯広 - 十勝三股 78.3km(糠平 - 十勝三股はバス代行)  軌間:1067mm。駅・仮乗降場数:20(起終点駅含む。駅15、仮乗降場3、バス停2) 複線区間:全線単線。電化方式:全線非電化  閉塞方式:タブレット閉塞式  交換可能駅:5(木野、音更、士幌、上士幌、糠平)簡易委託駅:駒場、中士幌、萩ヶ岡、清水谷、幌加、十勝三股(幌加と末期の十勝三股では、乗車券の発売は代行バスの運転手が担当していたと思われる)
駅一覧
帯広駅- 木野駅 - 音更駅 - 駒場駅 - 武儀駅 - 中士幌駅 - 新士幌駅(仮) - 士幌駅 - 北平和駅 - 上士幌駅 - 萩ヶ岡駅 - 清水谷駅 - 黒石平駅 - 電力所前駅(仮) - 糠平ダム駅(仮) - 糠平駅 - 幌加駅 - 十勝三股駅
タウシュベツ橋梁
@JR帯広駅 AJR帯広駅から西へ旧士幌線は延びていた。
BJR帯広駅から高架の脇に沿って士幌線の線路が延びていた。
CJR帯広駅出て高架沿いにしばらく進むと遊歩道が出現する。この遊歩道が士幌線の廃線跡である。
D遊歩道(士幌線廃線跡)はウツベツ川を渡ると右に大きくカーブを描き、北進する。
D遊歩道には所々に車輪をモチーフにしたベンチが有る。ここが廃線跡を思わせる。
E遊歩道の士幌線廃線跡には鉄道施設が残っていた。帯広市内では貴重な存在だ。
F廃線跡の遊歩道が続く。 F廃線跡の遊歩道が続く。
G廃線跡は川を渡り・・・廃線跡の遊歩道が続く。
H廃線跡の遊歩道が続く。
I廃線跡の遊歩道が続く。
J廃線跡の遊歩道が続く。
K帯広市内の遊歩道はここまで。
L盛り土された士幌線廃線跡。
M盛り土された士幌線廃線跡。
N盛り土された士幌線廃線跡。 NJR貨物のコンテナが・・・
N盛り土された士幌線廃線跡。
O盛り土された士幌線廃線跡。 O川を渡る橋梁が残っていた。西9条北4丁目バス停。
Pここから川までは住宅街で廃線跡と解るのはここまで。
Q北親ふれあい公園(左写真は廃線跡と思われる場所、右写真は公園に有る車輪)
R川を渡り対岸に来ると、公園沿いに再び廃線跡と解る盛り土が出現する。
S盛り土された士幌線廃線跡。
 @帯広駅を出て最初の士幌線駅、旧木野駅周辺。 右写真上士幌鉄道資料館の展示写真
木野駅(きのえき)は、かつて北海道河東郡音更町木野大通西6丁目にあった日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅である。電報略号はキノ。1987年(昭和62年)に路線の廃線に伴い廃止された。
A士幌線旧野木駅を過ぎると、再び廃線跡の確認が困難になる。
B地図上ではこのあたりが廃線跡なのだが・・・
C公園の脇を過ぎても廃線跡の痕跡を探すのは困難な状態が続く。
D地図上ではこのあたりが廃線跡なのだが・・・
Eこの先が廃線跡の為、この道路が廃線跡と思われる。
Fここから再び廃線跡と解る続く。
G廃線跡と解る状態が続く。
Hここで廃線跡と解る状態が一旦切れる。
Iかろうじて廃線跡かと思われる場所。
J盛り土部分が廃線跡か・・・ K公民館の駐車場が廃線跡と思われる。
 L帯広駅を出て2つ目の士幌線駅、音更駅跡 。右写真上士幌鉄道資料館に展示されている写真。
音更駅(おとふけえき)は、かつて北海道河東郡音更町大通6丁目にあった日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅である。電報略号はオフ。営業キロは起点の帯広駅からちょうど10km地点となっており、当駅ホーム上に10キロポストがあった。1987年に路線の廃線に伴い廃止された。
 L日本国有鉄道「士幌線」が開通したのは、大正14年12月(1925年)でした。帯広・十勝三股間を結ぶこの路線は、唯一の交通機関として人を運び荷物を運び、長い間愛され親しまれ、この地方の発展に大きな力となって来ました。しかし、その後道路が整備されるなど自動車交通も盛んになり、利用が大幅に減少し国鉄合理化計画の中で廃止路線と決定し、遂に昭和62年3月22日(1987年)62年間の歴史を閉じました。国鉄はその後、昭和62年4月経営を全て民営化し「JR」となりました。
 この懐かしい「士幌線」をしのびここ、音更駅跡地に記念公園をつくり永く思い出を残そうとするものであります。
L形式 キ 700 704 釧路駅常備
L釧 ヨ 4730
 LSL48624 形式8620 明治末期にドイツから輸入したシュワルッコッフ8800形式を参考にして設計された大正時代の国鉄を代表する国産蒸気機関車。 製造:大正3年から昭和3年。 製造両数 687両。
M緑の有る部分が廃線跡と思われる。
N音更駅を過ぎると駒場駅まで廃線跡の確認が困難になる。
 O地元のおじさんに聞いたらここが駒場駅跡と言っていた。駒場駅(こまばえき)は、かつて北海道河東郡音更町にあった、日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅である。電報略号はコハ。1987年に路線の廃止に伴い廃駅となった。太平洋戦争前、付近に種馬を飼育する十勝種畜牧場があったことに由来する。
O音更町(駒場)の開郷の碑。 O上士幌町鉄道資料館の展示写真。
P駒場駅から川までは廃線跡らしき道路が続く。
Q駒場駅から川までは廃線跡らしき道路が続く。
 R川から武儀駅までは廃線跡の痕跡が見つからなかった。武儀駅(むぎえき)は、かつて北海道河東郡音更町字東音更幹線にあった、日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅である。1987年に路線の廃止に伴い廃駅となった。大正時代、この付近に岐阜県武儀郡から開拓者が入植したことにちなむ。
R武儀駅跡周辺。 R上士幌町鉄道資料館の展示写真。
S奧に見えるアパート周辺が中士幌駅跡。 S中士幌駅跡。
S士幌駅跡に有る中士幌の駅銘板。 S上士幌町鉄道資料館の展示写真。
 S国有鉄道中士幌駅跡:大正14年(1925年)12月10日 帯広−士幌間鉄道開通開駅、昭和30年10月気動車運行、昭和45年駅員無配置民間簡易委託駅となる。一日当乗客数最高昭和40年309人、昭和63年3月22日士幌線廃止。
 S地元のおじさんに聞いたらこの小屋は保線作業員用の詰め所らしい。中士幌駅(なかしほろえき)は、かつて北海道河東郡士幌町字中士幌にあった、日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅である。電報略号はナシ。1987年に路線の廃止に伴い廃駅となった。
 @新士幌駅(仮)跡:駅跡の痕跡は何も無い。新士幌仮乗降場(しんしほろかりじょうこうじょう)は、かつて北海道河東郡士幌町にあった、日本国有鉄道(国鉄)士幌線の仮乗降場(局設定)である。1987年に路線の廃線に伴い廃駅となった。当駅は、弘済出版社発行の道内時刻表にも掲載されていなかった。これに関連して、種村直樹『鈍行列車の旅』(日本交通公社・1984年改定4版)でも、「道内時刻表にもない駅」として乗降ルポが掲載されている。同書によれば、1979年8月時点では下り2本・上り1本のみ停車していたと記述されている。
A左側の緑地が廃線跡と思える。
 B士幌線旧士幌駅:士幌駅(しほろえき)は、北海道河東郡士幌町字士幌西2線にあった日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅である。電報略号はシロ。1987年に路線の廃止に伴い廃駅となった。
 B国有鉄道士幌駅跡:大正14年(1925年)12月10日 帯広−士幌間鉄道開通開駅、同15年7月士幌−上士幌間開通、昭和30年10月気動車運行、同32年12月33号に簡易乗降場北平和駅開駅、同41年10月19号に仮乗降場新士幌駅開駅、士幌駅乗客最高昭和40年一日平均533人、貨物取扱最高昭和45年83,000トン、昭和58年貨物取扱廃止、昭和63年3月22日士幌線廃止。
B士幌線旧士幌駅駅舎内。
B士幌線旧士幌駅駅舎内。
 B日本国有鉄道「士幌線」は、明治29年北海道鉄道敷設法の公布により、大正5年北海道第一期拓殖計画大正11年10月に着工し、大正14年12月10日(1925年)に開通しました。帯広・十勝三股間を結ぶこの鉄道は、唯一の交通機関として、長い間沿線の人々に愛され親しまれ、この地方の発展に大きな力となってきました。しかし、その後道路が整備されるなど自動車交通が盛んになり、利用が大幅に減少したため、国鉄合理化計画の中で廃止路線と決定し、遂に昭和62年3月22日(1987年)62年の歴史を閉じました。この懐かしい「士幌線」をしのび、この士幌駅跡地に記念公園をつくり永く思い出を残そうとするものであります。
Bポイントの切り替え器が・・・ B駅構内には貨物列車が係留されている。
B士幌線旧士幌駅駅舎。 B駅構内には貨物列車が係留されている。
C北平和駅跡。 C上士幌町鉄道資料館の展示写真。
 C北平和駅跡:北平和駅(きたへいわえき)は、かつて北海道河東郡士幌町字士幌にあった、日本国有鉄道士幌線の鉄道駅である。1987年に路線の廃止に伴い廃駅となった。
D北平和−上士幌間の廃線跡と思われる場所。 E北平和−上士幌間の廃線跡。
F上士幌駅跡。 F上士幌町鉄道資料館の展示写真。
 F上士幌駅跡に展示されている客車:上士幌駅(かみしほろえき)は、かつて北海道河東郡上士幌町字上士幌にあった、日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅である。電報略号はミシ。1987年に路線の廃止に伴い廃駅となった。
F日本国有鉄道の銘板と旭川工場にて鋼体化改造の銘板。
F上士幌町交通公園(上士幌駅跡) G上士幌駅と萩ヶ岡駅間の廃線跡。
G上士幌駅と萩ヶ岡駅間の廃線跡。 H上士幌駅と萩ヶ岡駅間の廃線跡。
I上士幌駅と萩ヶ岡駅間の廃線跡。
J上士幌駅と萩ヶ岡駅間の廃線跡。
K上士幌駅と萩ヶ岡駅間の廃線跡左国道273号線。 L上士幌駅と萩ヶ岡駅間の廃線跡左国道273号線。
M萩ヶ岡バス停(萩ヶ岡駅跡の国道) M上士幌町鉄道資料館の展示写真。
 M萩ヶ岡駅跡(地元のおばさんに聞いたら左写真奥に駅が有ったそうだ):萩ヶ岡駅(はぎがおかえき)は、かつて北海道河東郡上士幌町にあった、日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅である。電報略号はハカ。1987年に路線の廃止に伴い廃駅となった。
N清水谷旧集会所及びお稲荷さん。 N清水谷バス停(清水谷駅跡の国道)
N上士幌町鉄道資料館の展示写真。 N清水谷駅跡。
 N清水谷駅跡:清水谷駅(しみずだにえき)は、かつて北海道河東郡上士幌町にあった、日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅である。1987年に路線の廃止に伴い廃駅となった。駅跡は牧場となっている。駅前は一軒の民家の他は廃屋である。
O清水谷駅と黒石平駅間の廃線跡と思われる場所。
O元小屋ダム入口は通行止めになっている。
 P上士幌鉄道資料館に展示されている写真。黒石平駅から第三音更川橋梁へ続く道。黒石平駅(くろいしだいらえき)は、かつて北海道河東郡上士幌町字黒石平にあった、日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅である。1987年に路線の廃止に伴い廃駅となった。当駅は勾配上にホームがあったため、当時の列車の性能では上り勾配の駅に停車し発車させることは難しかった。そのため当駅では上り勾配となる上り列車では全て通過し、代わりに500m離れていて坂の下にあった電力所前仮乗降場に停車していた。逆に、電力所前仮乗降場は下り列車は全て通過していた。全国版の時刻表では、仮乗降場の記載は省略されており、上下列車とも黒石平駅に停車するように記載されていた。主に糠平ダムにおける電力所関係の家族が乗降客であったが、1978年に上士幌町への移転によって黒石平周辺は無人地帯となっていた。(1984年には糠平電力館が建設されたが、2000年9月に閉鎖されている。)
Q2010年3月の風景。葉っぱが無い分橋全体が見渡せます。
Q国道273号線の泉翠橋から見る第三音更川橋梁。
 Q第三音更川橋梁:国登録有形文化財 1936年竣工 全長71m(10m×2+32m+10m)旧国鉄士幌線の上士幌と十勝三股の間は、音更川の渓谷を進むために、多くのコンクリートアーチ橋が建設されました。鉄橋ではなく、コンクリートアーチ橋を採用した主な理由は、材料となる砂利などを現地調達することによる建設コストの低減と大雪国立公園にかかる橋梁のため、周辺の自然景観との調和を図るというものでした。第三音更川橋梁は現存する北海道内の鉄道用コンクリートアーチ橋としては最も古く、32mアーチスパン(径間)は最も大きなものです。この橋梁の成功により日本各地で大きなアーチ橋が沢山つくられるようになりました。また、設計計算や施工の状況が克明に記録された資料が残されており、学術的にも大変貴重な橋梁として評価されています。
Q第三音更川橋梁:道路と反対側からの風景(2020年08月11日撮影)
Q第三音更川橋梁:道路と反対側からの風景(2020年08月11日撮影)
Q第三音更川橋梁基礎部分が新たに歩行されたのが判る(2020年08月11日撮影)
 Q第三音更川橋梁:ひがし大雪鉄道アーチ橋群のひとつ。全長71mで、10mアーチ2連、32mアーチ1連、10mアーチ1連から成り、32mアーチはRC造とする。戦前期北海道における鉄道コンクリートアーチ橋としては最大径間をもつ橋梁として知られる。
Q第三音更川橋梁から見る国道273号線の泉翠橋。
Q第三音更川橋梁から見る音更川。
Q第三音更川橋梁と国道273号線の泉翠橋。
Q第三音更川橋梁 北海道河東郡上士幌町字黒石平51-1,52 昭和前(昭和11)
コンクリート造アーチ橋,全長71m 1 基 登録年月日:平成11年8月23日 登録有形文化財(建造物)
Q第三音更川橋梁(32m径間部分)
Q第三音更川橋梁のコンクリートアーチ橋(10m径間部分)
R第三音更川橋梁から電力所前駅(仮)へ続く廃線跡。
R夏場は木々で解りませんでしたが橋梁発見。
 S電力所前駅(仮)跡周辺?電力所前仮乗降場(でんりょくしょまえかりじょうこうじょう)は、かつて北海道河東郡上士幌町にあった、日本国有鉄道(国鉄)士幌線の仮乗降場。1987年に路線の廃止に伴い廃駅となった。黒石平駅は勾配上にホームがあったため、当時の列車の性能では上り勾配の駅に停車し発車させることは難しかった。そのため黒石平駅では上り勾配となる上り列車では全て通過し、代わりに500m離れていて坂の下にあった当仮乗降場に停車していた。逆に、当仮乗降場は下り列車は全て通過していた。全国版の時刻表では、仮乗降場の記載は省略されており、上下列車とも黒石平駅に停車するように記載されていた。糠 平ダム開発の電力所関係の家族が主な利用客であったが、1978年に上士幌町の移転によって周辺は無人地帯となっていた。
 @音更山道の碑。音更山道:国道糠平街道は明治25年釧路監獄の囚人の斧によって誕生する。囚人はユウンナイ(糠平湖底)の大樹海を伐採し十勝開拓の建設資材にあてたのである。当時の道といえば奇岩と断崖続く激流の縁に刈り分け道しかなく、囚人たちは背に食糧と作業具をかついで前進し冬は寒さをついて伐木にあたり、夏は音更川の水運を利用して中越波場(音更町木野市街)まで流送するのであった。大正7年十勝監獄はユウンナイまでの約16キロの道路開削工事にあたるのである。糠平街道は当時「音更山道」と呼ばれ、延6千人の囚人を酷使し3ヶ月の月日を費やして完成したのである。完成記念碑の碑文は看守長が書き、だれが彫ったのか、なかなかの達筆である。かれらが去ってから糠平温泉は発展した。糠平ダムの出現によって音更山道の一部は水没、また碑の足もとを流れる音更川も当時としては比較にならぬ”小川”となり見る影もない。だが、かれらも見上げたであろう見事な屏風岩だけは風雪にさらされながらそびえたっている。帯剣と銃の警備のもとに、黙々と汗を流したかれらの音更山道はいま脈々といきている。
A鱒見覆道脇にあるレールを利用した物。
A鱒見覆道脇の士幌線の新線及び旧線の廃線跡(2022年05月05日撮影)
A鱒見覆道脇の士幌線の橋梁と隧道発見。
A士幌線の橋梁と隧道発見。
Bダムの付け替え前の橋梁。夏場は見えづらかったが冬場はよく見えます。
B右写真は第四音更川橋梁。右上の写真と同じ場所。
B第四音更川橋梁。(2020年8月11日撮影)
B第四音更川橋梁の空撮(2020年8月11日撮影)
B第四音更川橋梁の空撮(2020年8月11日撮影)
B第四音更川橋梁の空撮(2020年8月11日撮影)
B第四音更川橋梁の空撮(2020年8月11日撮影)
 C糠平ダム建設で糠平温泉が移転:ダムの西側の台地に糠平温泉がある。糠平温泉は、大正8年に大雪山の原生林の中に温泉を発見、その後、道路が整備され、昭和9年には15件の宿が軒を並べる湯治場として賑ったという。ダムの真下あたりに元の糠平の街があったが、ダム建設により現在地に移転したもの。
C糠平ダムの冬場の風景。 D下の写真の橋。
D不二川橋(道路橋)廃道・廃橋。
D不二川橋(道路橋)から士幌線の橋梁が有った場所を見る。
D不二川橋(道路橋)から士幌線の橋梁が有った場所を見る。
D不二川橋(道路橋) D士幌線の橋梁の橋台跡が見える。
D不二川トンネル(道路トンネル廃トンネル)
E不二川トンネル(道路トンネル廃トンネル)
D不二川トンネルの廃線跡。
D不二川トンネルの廃線跡。 E不二川トンネルの廃線跡。
E不二川トンネルの廃線跡。
F不二川トンネルと旧糠平駅跡手前の廃線跡。
F旧糠平駅跡手前の廃線跡。
F旧糠平駅跡手前の廃線跡。
G旧糠平駅跡。 G上士幌鉄道資料館に展示されている写真。
 G旧糠平駅跡:糠平駅(ぬかびらえき)は、かつて北海道河東郡上士幌町にあった、日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅である。電報略号はヌヒ。1987年の路線廃止に伴い廃駅となった。上士幌町鉄道資料館となっている。 糠平以北では、路線廃止後の上士幌タクシーによる代替バスですら沿線の極端な過疎化(糠平地区以外はほぼ無人化)によって2003年9月いっぱいで廃止され、糠平〜幌加間ではその後都市間バスの「ノースライナーみくに号」(道北バス・北海道拓殖バス・十勝バス)が「五の沢」バス停で乗降扱いをして補っている。
G旧糠平駅跡。
G旧糠平駅跡。
G旧糠平駅跡。
G上士幌鉄道資料館。
G上士幌鉄道資料館。
G上士幌鉄道資料館。
 G士幌線を走った列車:帯広〜士幌間開設当時は2,700型タンク機関車が客車と連結して走っていました。上士幌〜糠平間が開業すると、上り勾配に強いC56型が主役となり、昭和30年代には、9600型が活躍しました。昭和30年からは客車と貨物列車が分離され、客車はディーゼル機関車が引くようになって、帯広〜上士幌間の所要時間が1時間となり、40分近くも短縮されました。その後昭和50年からは貨物車の牽引もディーゼル機関車になり、士幌線のSLは姿を消すこととなりました。
 G自然災害:昭和29年11月糠平〜幌加間で山崩れが発生し、約1ヶ月間不通になりました。当時の十勝三股には1,500人の住民と160頭の馬がいましたが、まだ道路はなく、その食糧輸送が深刻な問題になりました。昭和26年9月20日 幌加駅から木材を満載した2両の貨車が暴走し、上士幌駅で丸太や枕木を積み上げ、これに衝突させようやく止まるという事故が起こりました。昭和31年7月3日 原木を満載した貨車が、上士幌駅から暴走し、80人余りの乗った客車と衝突して、死者5名、重軽傷者63名を出すという大事故が起きました。昭和44年11月28日 士幌駅で貨車の入れ替え作業中に貨車7両が暴走し、中士幌駅で貨車12両に衝突させてとめました。
G上士幌鉄道資料館。
G旧糠平駅跡。
G第四糠平沢橋梁:コンクリートアーチ橋 長さ 3.0m 1955年完成。
H旧糠平駅跡から糠平川橋梁へ続く廃線跡。
H旧糠平駅跡から糠平川橋梁へ続く廃線跡。
H旧糠平駅跡から糠平川橋梁へ続く廃線跡。
I旧糠平駅跡から糠平川橋梁へ続く廃線跡。
I糠平川橋梁へ続く廃線跡。 J糠平川橋梁(通行可)
 J糠平川橋梁(通行可) 1955年建設 長さ63m:士幌線のアーチ橋たちは二つの生い立ちがあります。戦前に、清水谷から十勝三股にかけて建設されたアーチ橋とちと、糠平ダムの建設により付け替えられた黒石平からメトセップまでの新線に建設された戦後生まれのアーチ橋たちです。この糠平川橋梁とこの先の三の沢橋梁は戦後生まれのアーチ橋です。士幌線跡には、大小、60余りのアーチ橋が残っています。
J糠平川橋梁(通行可) J糠平川橋梁から見る糠平湖。
J糠平川橋梁(通行可)
J糠平川橋梁(通行可)
J糠平川橋梁(通行可)
J糠平川橋梁(通行可)
J第7糠平トンネル L=67M。
J第7糠平トンネル L=67M。
K三の沢橋。 K三の沢橋梁。
K三の沢橋梁への道。 K三の沢橋梁。
K三の沢橋梁。
K三の沢橋梁から見た糠平湖。 K三の沢橋梁看板。
K三の沢橋梁。 K三の沢橋梁からの道。
K三の沢橋梁の冬の風景。 K冬場でもトロッコやっていました。
 K森のトロッコ エコレール:この“足こぎトロッコ”は、廃線となった鉄道を木のぬくもりと手作りで復活させ森林浴と大自然の鼓動を体感できる木製軌道トロッコです。〜お陰様で7周年 冬も営業中〜
「 2009“春・夏・秋季”運行ご案内 」 <日中営業 往復900mコース>
運行期間・・2009年4月25日(土)〜10月20日(火)
定休日・・毎週水曜[4/29(水祝) 5/6(水祝) 9/23(水祝)と7月〜8月は毎日営業]
受付時間・・9:30〜最終受付16:30 予約不要  受付場所・・三の沢駐車場北側
北海道十勝管内上士幌町ぬかびら源泉郷から国道273号線を層雲峡方面へ4km
距  離・・往復900m(出発地点に戻って来ます)  所要時間・・約20分(説明2分+乗車18分)
料  金・・小学生〜大人同料金 乳幼児無料  1人の場合 1人900円 2人以上の場合 1人600円
L五の沢橋梁へ続く廃線跡。 L五の沢橋梁(通行可)
L五の沢橋梁(通行可)
L白樺橋。 L五の沢橋梁(通行可)
L五の沢橋梁の冬場の風景。
Mタウシュベツ川橋梁展望台目
Mタウシュベツ川橋梁の展望台に行く道の途中に士幌線の付け替え後の廃線跡が有る。
 Mタウシュベツ川橋梁・・・遠くに水没したタウシュベツ橋梁が見える。目ちょっと遠すぎだろ。むかっ1937年建設 全長130m 10m×11R タウシュベツ川橋梁は、旧国鉄士幌線の糠平−幌加間に建設されましたが、1955年、糠平ダムの完成にともない、糠平湖周辺が新しい線路に敷き替えられたことにより、使われなくなりました。それから、現在まで、糠平湖の水位の変動により、見え隠れする「幻の橋」となっています。例年、6月頃から沈みはじめ、10月頃には完全に水没し、再び現れるのは1月頃になります。 タウシュベツ橋梁探索へ
Mタウシュベツ川橋梁(2020年8月11日撮影)
Mタウシュベツ川橋梁(2020年8月11日撮影)
Mタウシュベツ川橋梁(2020年8月11日撮影)
Mタウシュベツ川橋梁(2020年8月11日撮影)
Mタウシュベツ川橋梁(2020年8月11日撮影)
Mタウシュベツ川橋梁(2020年8月11日撮影)
Mタウシュベツ川橋梁(2019年8月撮影)
N音更トンネル:長さ165m幌加駅跡から糠平方向に20分ほど歩くと音更トンネルがあります。
 N音更トンネル:海道河東郡上士幌町字幌加2-6 昭和前(昭和12) コンクリート造、延長165m 1 基
登録年月日:平成15年1月31日 登録有形文化財(建造物)
N音更トンネル。
 N音更トンネル:第六音更川橋梁の南方約20kmに位置する。大雪山山麓の凍土に建設された。曲線平面を有す延長165m,単線仕様のコンクリート造隧道で,山腹の傾斜面形状に合わせて坑門前面に三分の法勾配をつけ,線路に対して斜めに構える平面とした特異な形態をもつ。
N音更トンネル。
O音更トンネルから幌加駅へ続く道。
P幌加駅。 P上士幌鉄道資料館に展示されている写真。
 P幌加駅駅幌加駅(ほろかえき)は、かつて北海道河東郡上士幌町にあった、日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅。電報略号はホカ。1987年に路線の廃止に伴い廃駅となった。1978年(昭和53年)12月25日 - 糠平〜十勝三股間の列車運転休止。車扱貨物廃止。上士幌タクシーが受託するマイクロバスによる代行輸送となる。休止後も同区間は名目上は鉄道路線として、幌加駅も十勝三股駅も駅として存続しており、国鉄の時刻表にも引き続き掲載されていたが、列車が発着することはなく、事実上は廃駅となっていた。 1987年(昭和62年)3月23日 - 廃止。バス転換され、引き続き上士幌タクシーのマイクロバスが運行される。
P幌加駅。 P幌加駅の構内線路。
 P幌加駅の変遷:幌加駅は士幌線の起点・帯広駅から69q、終点・十勝三股駅まで7qの位置にあり昭和14年に開業しました。上士幌駅からは大半が上り勾配なので、SL時代は石炭をかまに連続投入するのに忙しく、機関士は大変な重労働を強いられた区間でした。昭和29年の洞爺丸台風により幌加周辺に大量の風倒木が発生、その処理に多くの造材人夫が入り、住宅・商店・飲食店・事務所などが建設されました。昭和37年頃の幌加は約80軒の建物があり、350人位の人が住んで賑やかな町を形成していました。しかし風倒木の処理が終わると、人々は次第に消えていきました。昭和53年、糠平駅〜十勝三股駅間、18.6qの列車運行が廃止され、バスによる代行輸送に変わり、幌加の駅としての役割は終わりました。
Q第五音更川橋梁へ続く道。
Q第五音更川橋梁:北海道河東郡上士幌町字幌加2-8,3-1 昭和前(昭和13) 
コンクリート造アーチ橋,全長109m 1 基 登録年月日:平成11年8月23日 登録有形文化財(建造物)
 Q第五音更川橋梁:ひがし大雪鉄道アーチ橋群のひとつ。音更線工事第四工区にあたる旧幌加駅・旧十勝三股間の音更川に架かる。全長109mと大規模で、10mアーチ6連、23mアーチ(河川横断部)1連、10mアーチ1連の8連から成る。
Q第五音更川橋梁から第六音更川橋梁へ続く道。 R第六音更川橋梁。
R第六音更川橋梁。
R第六音更川橋梁が崩壊しかけている(2019年08月04日)
R第六音更川橋梁から見る風景。
R第六音更川橋梁。 R第六音更川橋梁から十三の沢橋梁へ続く道。
S十三の沢橋梁への道。 S十三の沢橋梁。
 S十三の沢橋梁:北海道河東郡上士幌町字幌加4-4 昭和前(昭和13) コンクリート造アーチ橋,全長58m 1 基登録年月日:平成11年8月23日 登録有形文化財(建造物)
 S十三の沢橋梁:ひがし大雪鉄道アーチ橋群のひとつ。音更線終点の十勝三股駅近くの、十三の沢が音更川に合流する地点の手前に架かる。全長58mで、沢を渡るため長スパンはなく、標準仕様の10mスパン無筋コンクリートアーチ5連から成る。
S十三の沢橋梁からの道。  S道の途中に三脚が・・・熊にでも襲われて置いて逃げたか?
@十三の沢橋梁からの道。 @十勝三股駅へ続く道
A十勝三股バス停。 A上士幌鉄道資料館に展示されている写真。
 A十勝三股駅:十勝三股駅(とかちみつまたえき)は、かつて北海道河東郡上士幌町にあった、日本国有鉄道(国鉄)士幌線の駅(廃駅)である。北海道内の駅としては最高地点(海抜約661m)に位置し、同線の終着駅であった。駅周辺の人口流出が進んだため、1978年12月25日、ダイヤ改正により士幌線糠平駅〜十勝三股駅間は列車の運転を休止し、上士幌タクシーが受託するマイクロバスによる代行輸送となった。これは路線廃止ではなく、あくまでも「代行」という扱いであり、1987年の廃止まで名目上同区間は鉄道路線として、また当駅も駅として存続していた。そのため隣の幌加駅とともに国鉄の時刻表にも引き続き掲載されていたが、廃止されるまでの間、両駅とも再び列車が発着することはなく、事実上は廃駅となっていた。
A十勝三股駅跡。 A十勝三股駅跡に置かれているノート。
A十勝三股駅近くの工場跡?
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廃線探索 士幌線