更新日時 2009年12月01日
函館本線(はこだてほんせん)は、北海道函館市から途中小樽市、札幌市、岩見沢市、滝川市等を経由して旭川市の旭川駅を結ぶ北海道旅客鉄道(JR北海道)の鉄道路線(幹線)である。支線(別線)を含めた総営業キロは458.4kmで、これはJR北海道で最長である(支線を含めない場合は根室本線の443.8kmが最長)。 1969年(昭和44年)10月1日 - 納内駅 - 近文駅間線路付け替え(神居古潭駅廃止)。 |
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@青春18切符を使い札幌駅06:02発の各駅停車で納内駅08:46着。納内駅(おさむないえき)は、北海道深川市納内にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅である。駅番号はA25。電報略号はオサ。かつては急行「かむい」が停車していたが、現在では無人駅となっている。 | |
@納内駅から旭川方向を見る。 | @納内駅駅舎。 |
A納内6丁目踏切から左写真納内駅方向。右写真旭川方向。 | |
B旭川サイクリングロード 起点から19.37q(納内駅から3.7q) | |
B用水路沿いに旭川サイクリングロードは続く。 | B起点から19q地点。 |
Cポンプ場とポンプ設備が屋外に展示されている。 | |
D函館本線の脇を廃線跡が続く。 | E1つ目の橋梁発見。 |
F起点から18q地点。 | |
Gこの辺から函館本線と別れて行く。 | H2つ目の橋梁発見。 |
I起点から17q地点。 | |
J旧線の最初のトンネル発見。 | J石狩川の橋が見える。 |
J納内駅 - 神居古潭駅(廃止)間の最初のトンネル(トンネル名不明) | |
J納内駅側のトンネル内からの風景。 | Jトンネル内はコンクリートで補強されている。 |
K神居古潭駅側のトンネル内からの風景。 | K神居古潭駅入口に速度表示看板が・・・ |
K神居古潭駅側のトンネル入口。 | |
K神居古潭駅跡。 | |
KD51 6蒸気機関車:1936年(昭和11年)から1945年(昭和20年)にかけて1115輌と日本で最も多く造られた機関車で「デコイチ」の愛称で親しまれました。D50型機関車を改良近代化したもので、それまでの経験をすべて投入して出来た物です。 | |
KC57 201蒸気機関車 C55型機関車を改良近代化したもので、そのスマートな形態が人気をよびました。1937年(昭和12年)から1947年(昭和22年)に201輌製造され、主に急行旅客列車用機関車として活躍しました。ナンバープレート「C57201」が示すようにC57型として最後に製造されたのが、この機関車です。 | |
K29638蒸気機関車「キュウロク」の愛称で親しまれたこの機関車は1913年(大正2年)から13年間にわたって造られたもので、この時代を代表する貨物用標準機関車として、四国を除く全国で広く活躍しました。784輌造られうち270輌は中国や樺太などに送られました。 | |
K神居古潭駅跡に残る橋梁跡。 | |
K神居古潭駅跡に残る橋梁跡。 | KSLの動輪が展示されている。 |
K神居古潭駅(かむいこたんえき)は、北海道旭川市神居古潭にあった日本国有鉄道函館本線の駅。1969年10月1日に廃駅となった。 | |
K明治23年、北海道の内陸開発の拠点として旭川村が設置され、明治31年7月16日には空知太(現在の滝川)から旭川まで鉄道が開通した。 神居古潭駅は、明治34年12月3日に神居古潭簡易停車場として設置、明治36年5月15日に神居古潭駅となった。 この駅舎及び便所は、明治43年に建設された。その後大正末期から昭和初期にかけて一ないし二度の増改築が行われたと推定されるが、建設当初の遺構はよく残されている。 昭和44年9月30日、函館本線の納内〜伊納駅間がトンネル化されたことにより、神居古潭駅は廃駅となったが、明治期の数少ない駅舎建築として貴重であることから、平成元年に廃駅時の姿形をもとに復元を行った。 建物は、典型的な小規模駅舎建築であると同時に、明治期における西洋建築意匠導入時の特徴を残す数少ない現存例であり、道央・道北の鉄道発展史を考える上でも貴重な例である。 |
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K旧神居古潭駅、駅舎内。 | K旧神居古潭駅の当時の写真 |
K神居古潭(KAMUI-KOTAN)は、アイヌ語で「魔神が住む所」という意味です。両側から山が迫り、石狩川の川幅が急速に狭まるこの地では、川は渦を巻く激流となり、最深部の水深は76m以上になります。古く、人々の交通手段が川を下る船であった頃、ここでは多くの船が激流にのまれ、このため、魔神が住んでいると怖れられていました。旭川地方に伝わるアイヌの伝説では、この魔神はニチエネカムイといい、様々な災いを起こして人々を苦しめたため、英雄神サマイクルによって滅ぼされたということであう。また、神居古潭を中心に南北にのびる「神居古潭変成岩帯」は、大昔、北海道が形成されたとき、北海道の西半分と東半分がここで衝突し、つながったことを示すものとして、地質学上、世界的に貴重なものとされています。 | |
K地上駅で、相対式ホーム2面2線を有していた。駅舎は1989年に復元が行われ、1991年には旭川市の指定文化財となっている。 | |
K国道12号線の神居古潭交差点をすぎてしばらくするとトンネルがあるので、その左側の旧道へ左折。商店付近にある釣り橋を渡った石狩川の対岸にある。 | |
K旧神居古潭駅から廃線跡は続く。 | K旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) |
K旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート)鉄骨の基礎が残っている。 | |
L起点から16q地点。 | |
Mレールを使った防護柵。 | M旧神居古潭駅−伊納間の廃線跡。 |
N旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | N石狩川の激流。 |
Oレールが刺さっている。 | O旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) |
P旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | P旧神居古潭駅−伊納間の廃線跡。 |
Q起点から15q地点。 | |
R旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(江丹別第八線川) | |
Sオサムシ? | S前日の大雨でパトロール車が・・・ |
S旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | S旭川サイクリングロード。 |
@石狩川の激流。 | @カタツムリの親子?子カタツムリを乗せている(笑) |
A石狩川の激流。 | A旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) |
B起点から14q地点。 | |
C旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | C旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) |
D神竜頭首工。 | |
E風力発電はここでは効果が無いでしょう(笑) | E道路状況の調査でパトロールが・・・ |
E起点から13q地点。 | |
E神居古潭駅側のトンネル入口。 | |
F春志内信号場側のトンネル入口。 | |
F旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | G旧神居古潭駅−伊納間の廃線跡。 |
G獣の骨?ひぐまに襲われたら・・・ | G廃線跡を渡るカタツムリかな・・・ |
H春志内信号場の小屋の跡か? | |
H春志内信号場。 | H橋の基礎及び基礎ベースが残っている。 |
H春志内信号場。 | H春志内信号場にあるトイレ。 |
H春志内信号場にある休憩所。 | |
H春志内信号場にある休憩所内部。 | |
H春志内信号場(サイクリングロードの休憩所) | |
H春志内信号場を過ぎるとまた、橋の基礎及び基礎ベースが残っている。 | |
Hここにも橋の基礎及び基礎ベースが残っている。(この辺まで複線) | |
I起点から12q地点。 | |
J旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | K旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) |
L旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | L支流名不明。 |
L旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | L支流名不明。 |
M起点から11q地点。 | |
Mカエルも廃線跡を横断している(笑) | Mこの花は何の花? |
N旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | N旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) |
O旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | O旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) |
P旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | P旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) |
Q起点から10q地点。 | |
Q旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | R鱒取川を渡る橋梁。 |
R鱒取川。 | R鱒取川を渡る橋梁。 |
S春志内信号場側のトンネル入口。 | |
S伊納側のトンネル入口。 | |
S石狩川から靄が出ている。 | @旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) |
A二重の笠のキノコ(名前不明) | Aこの花の名前も不明(笑) |
B起点から9q地点。 | |
C旧神居古潭駅−伊納間の廃線跡。 | |
D旧神居古潭駅−伊納間の橋梁(カルバート) | D旧神居古潭駅−伊納間の廃線跡。 |
E起点から8q地点。 | |
F伊納駅は無人駅で、車掌車駅舎が2棟並ぶ。 無人駅でストーブ付きだ管理はどうするの?(笑) | |
F伊納駅(いのうえき)は、北海道旭川市江丹別町春日にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅。駅番号はA26。電報略号はイノ。 | |
F1番のりばの南側には本線と全くつながっていない側線がある。側線には架線が張られており、訓練等に使用されている模様。 | |
F列車の来ない踏切(笑) | F本線につながっていなくてどの様な訓練を? |
F駅舎の南を通っているサイクリングロードは函館本線の旧線跡を利用した物で、旧駅舎はその南側にあった(旧ホームの一部はまだ残っている)。 | |
F右、伊納駅と左、旧伊納駅。 | F旧国鉄の境界杭。 |
Gピンクのリボンが有るところは橋梁(カルバート) | G春日青少年の家は左へ。 |
H伊納駅−近文駅間の廃線跡? | |
I伊納第3トンネル。 | |
I伊納駅−近文駅間の廃線跡? | |
J伊納駅−近文駅間の橋梁(カルバート) | J伊納駅−近文駅間の橋梁(カルバート) |
K伊納駅−近文駅間の廃線跡? | |
L伊納駅−近文駅間の廃線跡? | |
M起点から6q地点。 | |
M国鉄711系電車(こくてつ711けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1967年(昭和42年)に設計・開発した、日本初の量産交流近郊形電車。 | M785系電車(785けいでんしゃ)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)が1990年(平成2年)から運用している交流特急形車両である。 |
N江丹別川に架かる落葉橋。 | |
N江丹別川銘板。 | N江丹別川に架かる落葉橋銘板。 |
N江丹別川に架かる落葉橋。 | N落葉橋から引き続き廃線跡が続く。 |
O落葉橋の先の名称不明の橋。 | |
P江神橋の下を廃線跡が通る。 | |
Q起点から5q地点。 | |
Qスーパーカムイは、北海道旅客鉄道(JR北海道)が札幌 - 旭川間を函館本線経由で運転する特別急行列車(エル特急)である。 | R伊納駅−近文駅間の廃線跡? |
RJR函館本線嵐山トンネル。 | |
S伊納駅−近文駅間の廃線跡? | |
@起点から4q地点。 | |
A伊納駅−近文駅間の橋梁(カルバート) | B伊納駅−近文駅間の橋梁(カルバート) |
C伊納駅−近文駅間の廃線跡? | D伊納駅−近文駅間の橋梁(カルバート) |
E真直ぐが草笛橋。 | Eオサラッペ川と草笛橋。 |
Eオサラッペ川を渡る草笛橋。 | |
Eオサラッペ川と石狩川が合流する。 | |
Eオサラッペ川を渡る函館本線の橋梁。 | Eオサラッペ川を渡る草笛橋。 |
F起点から3q地点。 | |
G近文大橋の下を潜ると廃線跡とサイクリングロードは別れてしまう。 | |
H函館本線の旧線はここを本線沿いに延びていたようだ。 | Hウッペツ川を渡る再会橋。 |
Iサイクリングロードは廃線跡から別れて、石狩川の土手の上を行く。 | |
J旭川サイクリングロード(石狩川の土手) | |
K近文駅(ちかぶみえき)は、北海道旭川市近文町20丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)函館本線の駅。JR北海道の駅番号はA27。 | |
K1面2線の島式ホームを有する地上駅。ホーム上には明治後期に建てられたとされる古い木造の待合室がある。駅舎は構内北側にあり、ホームとの間に側線があるため跨線橋が設置されている。跨線橋は駅舎反対側の構内南側にもつながっている。駅舎内には自動券売機や男女共用の水洗式便所がある。元々は信号扱いがあったため駅長や駅員が終日配置されていたが、簡易委託駅を経て、現在は旭川駅管理の無人駅となっている。 | |
KDD511073ディーゼル機関車。 | Kプラットホームが低い(笑) |
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