更新日時 2009年11月30日
根北線(こんぽくせん)とは、北海道斜里郡斜里町の斜里駅(現・知床斜里駅)と同町の越川駅を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線である。1970年に廃止された。根北線は釧網本線の斜里駅(現・知床斜里駅)と標津線の根室標津駅を結ぶことを目的に建設された路線で、線名の「根北」は根室国・北見国の意味である。大正時代より斜里村では森林開発や入植地の拡大、農産物の輸送を目的に根北線での経路の鉄道建設を国、北海道に求めてきた。1922年(大正11年)に、改正鉄道敷設法別表149号に「根室國厚床付近ヨリ標津ヲ經テ北見國斜里ニ至ル鐡道」として盛り込まれた(標津線厚床 - 中標津 - 根室標津間を含む)が、1937年(昭和12年)にようやく帝国議会で建設費が認められた。これは1931年(昭和6年)の満州事変以来の緊張を受けソビエト連邦との戦争の可能性もあったことから、国防の観点から建設が認められたものである。工事は1938年(昭和13年)に着工され、斜里から越川までの第一工区が完成し、1939年(昭和14年)には第二工区の越川橋梁(第一幾品川橋梁)が完成するなどしていたが、太平洋戦争の開戦により物資が欠乏し1940年(昭和15年)に建設が中断され、敷設されていた線路も取り外された。終戦後、国防の用途は薄れるものの建設が再開され、1957年(昭和32年)11月10日に斜里駅 - 越川駅が開通した。当時は沿線の道路事情が悪く、木材輸送が期待されたが、国道244号の整備が進んだことなどから貨物輸送は振るわず、1960年(昭和35年)には貨物の取り扱いを廃止、越川以遠の建設も進まなかった。1959年(昭和34年)6月からは斜里バスが根北線に並行する国道244号で斜里 - 越川 - 根室標津間の路線バス運行を開始したため、旅客も奪われて最末期には1日2往復の超閑散路線となった。のち赤字83線に指定され、沿線も鉄道用地の安価な払い下げ、並行国道の整備などを条件に廃止に理解を示し、1970年(昭和45年)12月1日に廃止された。わずか13年の短命路線であった。1969年(昭和44年)度の営業係数は2368。廃止時には、斜里バスが斜里 - 越川(平田宅前)間を増便して対応したが、沿線人口の大幅な減少により、路線は越川小学校までに短縮され、最終的には1日1往復が平日に残るのみとなり、2004年(平成16年)4月27日に廃止された。 | |
駅一覧 斜里駅(現・知床斜里駅) - 以久科駅 - 西二線仮乗降場 - 下越川駅 - 十四号仮乗降場 - 十六号仮乗降場 - 越川駅 未成区間 越川駅 - 上越川駅 - 瑠辺斯駅 - 糸櫛別駅 - 古多糠駅 - 浜古多糠駅 - 忠類駅 - 根室標津駅 |
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@知床斜里駅(しれとこしゃりえき)は、北海道斜里郡斜里町港町17にある北海道旅客鉄道(JR北海道)釧網本線の駅である。駅番号はB72。電報略号はシヤ。世界遺産・知床の玄関口で、知床方面へ向かうバスが接続している。 | |
@町の鳥・オジロワシの像とアザラシ。 | |
@北海道旅客鉄道釧路支社によると、改称前の駅名である斜里は、アイヌ語の「シヤリ(ヨシの生えている湿地)」によるもの。また、「サルン、ペッ」の意訳である「芦川」や、「サライ」が変化した「広々とした野原」という説もある。 | |
@知床斜里駅と2面3線の島式ホームと単式ホームのある地上駅。2・3番のりばへは跨線橋で連絡する。 | |
@知床斜里駅。 | |
A知床斜里駅から以久科駅方向へ釧網本線と線路を共用していたか、別かは定かではない。 | |
Aこの辺までは平行して走っていたようだ。 | |
A釧網本線の鉄橋だがこの手前で分かれていたようだ。 | |
Bこの辺は国道244号線沿いに根北線は走っていた。 | |
Bこの辺は国道244号線沿いに根北線は走っていた。 | |
Cこの辺は国道244号線沿いに根北線は走っていた。右写真の看板部分から国道とは離れて行く。 | |
D旧以久科駅周辺。左写真とこのプラントの間ぐらいに駅が有ったようだ。(現在畑になっている) | |
E旧下越川駅周辺。現在の農場周辺に駅が有ったようだ。 | |
Fこの辺で国道244号線(斜里国道)と交差していたようだ。 | |
G旧越川駅周辺。 | |
G旧越川駅跡。越川駅逓所記念碑。 | |
H第一幾品川橋梁(越川橋梁)登録有形文化財。 | |
H第一幾品川橋梁(越川橋梁)この橋は旧国鉄根北線のために昭和14年に着工完成した10連アーチ橋で、全長147m、高さ20mあり、当時のコンクリート建築技術を伝える建造物として、また戦時下の過酷な労働を伝える歴史遺産として貴重な物です。根北線は昭和32年に斜里〜越川間が開通しましたが、越川橋梁までは線路が延びず、昭和45年廃線となっています。その後昭和48年の国道244号線の拡幅工事のため橋脚が2本撤去され現在の姿になりました。 | |
H第一幾品川橋梁(越川橋梁)登録有形文化財。 | |
H第一幾品川橋梁(越川橋梁)登録有形文化財。 | |
I第一幾品川橋梁(越川橋梁)からこの先のそば畑の方向へ続いていたようだ。この先は未成線。 | |
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