更新日時 2016年01月04日
夕張鉄道は、北海道炭礦汽船(北炭。以前の北海道炭礦鉄道)が同社の事業用資材や石炭を輸送する目的で大正10年(1921年)に設立された。北海道石狩支庁管内江別市の函館本線野幌駅から、空知支庁管内夕張郡栗山町の室蘭本線栗山駅、同支庁管内夕張市の夕張線(現・石勝線)鹿ノ谷駅を経て同市の夕張本町駅までを結んでいた。1975年に全線が廃止された。大正15年(1926年)に開業した夕張鉄道線では旅客サービスにも力を入れ、昭和27年(1952年)に気動車を導入、さらに翌年には北海道初の液体式気動車を導入した。昭和36年(1961年)には国鉄の準急「夕張」に対抗して急行列車を運行した。気動車による札幌駅までの直通運転を計画し、当時の国鉄に気動車の寄付を前提に札幌への乗り入れを要請するも、国鉄に断られた逸話も残されている。また、錦沢駅に開設した錦沢遊園地は、夕張随一の行楽地として賑わった。昭和37年(1962年)頃より、石炭産業の衰退により沿線の炭礦で合理化や閉山が進み、貨物輸送が減り始めた。加えてバス路線の整備やマイカーの普及、閉山による人口の減少に伴い旅客輸送も激減し、昭和46年(1971年)11月には鹿ノ谷 - 夕張本町間の鉄道営業と鹿ノ谷 - 栗山間の旅客営業を廃止した。残された野幌 - 栗山間も昭和49年(1974年)3月末をもって旅客営業を休止し、親会社の北海道炭礦汽船に譲渡した。夕張鉄道線は昭和50年(1975年)3月末、沿線で最後まで操業していた北炭平和炭鉱の閉山に伴い、全線が廃止された。 | |
駅一覧 野幌駅 - 北海鋼機前駅 - 上江別駅 - 下の月駅 -晩翠駅 - 南幌駅 - 双葉駅 - 北長沼駅 - 中央農試前駅 - 栗山駅 - 角田駅 - 継立駅 - 新二岐駅 - 錦沢駅- 平和駅 - 礦業所前駅 - 夕製前駅 - 若菜駅 - 営林署前駅 - 鹿ノ谷駅 - 末広駅 - 夕張本町駅 |
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@夕張本町駅(ゆうばりほんちょうえき)は、北海道夕張市本町にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の旅客部門合理化に伴い1971年に廃止された。単式ホーム1面1線を有する地上駅。終日駅員が配置されていた。 | |
A末広駅(すえひろえき)は、北海道夕張市末広にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の合理化に伴い1971年に廃止された。単式ホーム1面線の地上駅であり、無人駅だった。(コンビニ辺りが駅) | |
A道路に線路跡の痕跡が・・・ | B夕張駅の駅舎は喫茶店になっている。 |
B夕張駅(ゆうばりえき)は、北海道夕張市末広2丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線の駅である。駅番号はY25。電報略号はユウ。石勝線夕張支線の終着駅。単式ホーム1面1線の地上駅。 無人駅(駅舎外に発売を委託する簡易委託駅)。新夕張駅管理。 乗車券はホテルマウントレースイフロントで発売。 トイレ3基。 駅舎とトイレは夕張市が管理。 | |
B夕張駅 | C鹿ノ谷駅 - 末広駅間 |
C鹿ノ谷駅 - 末広駅間の踏切から撮影。線路は石勝線。 | |
C鹿ノ谷駅 - 末広駅間。線路は石勝線。 | |
C鹿ノ谷駅 - 末広駅間の踏切から撮影。線路は石勝線。 | |
D鹿ノ谷駅 - 末広駅間の橋梁。片側は廃線に成っている。 | |
D鹿ノ谷駅 - 末広駅間の橋梁。片側は廃線に成っている。 | |
E鹿ノ谷駅 - 末広駅間。線路は石勝線。 | |
E鹿ノ谷駅(しかのたにえき)は、北海道夕張市鹿の谷三丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)石勝線の駅である。駅番号はY24。電報略号はタニ。 | |
E鹿ノ谷駅は北海道炭礦汽船の全盛期は、駅周辺の鹿の谷地区は幹部用住居が存在する高級住宅地であり、旧夕張北高校・夕張工業高校に通学する学生で賑わった。単式ホーム1面1線の地上駅。無人駅である。 | |
F営林署前駅(えいりんしょまええき)は、北海道夕張市常盤にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の合理化に伴い1971年に廃止された。単式ホーム1面線の地上駅であり、夕鉄共栄社の売店が併設されていた。 | |
F若菜駅 - 営林署前駅間踏切から撮影。線路は石勝線。 | |
G若菜駅 - 営林署前駅間の夕張線廃線跡。 | |
G若菜駅 - 営林署前駅間の夕張線廃線跡。 | |
H若菜駅(わかなえき)は、北海道夕張市若菜にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の廃止に伴い1975年に廃止された。付近の若菜市街には同社のバスターミナルがあり、市内各所へのバスが発着し、列車とバスの市内交通の結節点でもあった。また北炭化成工業所専用鉄道の接続駅でもあり、コークス製造時の副産物輸送の為、北炭所有のタンク車・タム3250形2両が常備駅として配置されていた。単式ホーム1面1線の地上駅だった。 小野炭鉱の石炭積み込み設備があった。 終日駅員が配置されていた。 駅のプラットホームが残っている。 | |
I夕製前駅 - 若菜駅間の夕張線廃線跡。 | |
I夕製前駅(ゆうせいまええき)は、北海道夕張市日吉にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の合理化に伴い1971年に廃止された。単式ホーム1面線の地上駅で、無人駅だった。駅周辺に夕張製作所があり、現在も工場棟が残っている。映画のロケセットを再現した幸福の黄色いハンカチ思い出広場が近い。(北海道炭礦汽船(株)化成工業所専用鉄道が分岐していた) | |
J礦業所前駅 - 夕製前駅間の夕張線廃線跡。 | |
J礦業所前駅 - 夕製前駅間の夕張線廃線跡。 | |
K虹ヶ丘跨線橋。夕張線の廃線跡。 | |
K虹ヶ丘跨線橋から石勝線線路を見る。 | |
L礦業所前駅(こうぎょうしょまええき)は、北海道夕張市平和にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の合理化に伴い1971年に廃止された。単式ホーム1面線の地上駅であり、無人駅だった。 | |
L礦業所前駅周辺に北炭平和炭鉱があったが、跡地は運動公園として整備されている。 | |
L平和駅 - 礦業所前駅間の橋梁。 | |
L橋が見えるが、道路橋かそれとも鉄道橋か? | L平和駅 - 礦業所前駅間廃線跡。 |
M平和駅(へいわえき)は、北海道夕張市平和にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の廃止に伴い1975年に廃止された。北炭平和炭鉱の石炭積み出し駅でもあり、同鉄道の貨物輸送の拠点駅でもあった。単式ホーム1面1線の地上駅だった。 北炭平和砿専用鉄道が分岐し、入れ換えや補機業務の蒸気機関車が待機していた。 終日駅員が配置されていた。 | |
Nサイクリングロードがトンネルの老朽化のため平成12年5月より通行止めになっている。 夕張市は財政再建団体のため整備が出来ないのであろう。 |
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N電柱は残っているが電線は撤去されている。 | Nここまで来たが、これ以上の探索は無理と判断し迂回する。 |
O迂回路の夕張トンネル。2003年9月竣工。延長421.50m 施工 伊藤・田中・東急特定建設工事共同企業体。 | |
P大蛇の沢川。蛇が出そうで怖い | P北海道道3号線の新線(付け替え道路)から錦沢駅の三段式スイッチバックを目指してここから探索を開始。 |
Pサイクリング道路は舗装されている。 | Qにわかに道路事情が怪しくなってきた。 |
Q相変わらず、革靴で探索(笑) | R夕張市サイクリングロードの看板が虚しい。 |
R完全に廃道化されている。 | S右の勾配がスイッチバックの様だ。 |
S錦沢駅(にしきざわえき)は、北海道夕張市にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の廃止に伴い1975年に廃止された。相対式ホーム2面2線の地上駅だった。また駅の前後が、20パーミルの勾配が連続する山越え区間に位置した本格的三段式スイッチバックで、更に二段目の途中(6.7パーミルの勾配上)に駅施設がありスイッチバック式停車場としても珍しい構造だった。終日駅員が配置されていたが、末期はポイント操作は自動化され無人駅となっていた。 | |
Sかつては遊園地、寺院などがあった。鉄道廃止後、廃線跡はサイクリングロードとして整備されたが、現在はトンネルの老朽化により夕張市高松から平和間のみが利用可能で、錦沢周辺は訪れる人も少ない。また新二岐駅側の第三隧道付近では一部区間が、現在改良中の札幌夕張線の道路用地となっている。1926年に信号場として開業、1927年に一般営業を開始した。大蛇ノ澤にあることから、当初は大蛇ノ澤信号所として建設されたが建設中に名称が変更されている。1926年8月26日付けの停留場及信号所名変更届(夕本外第263号)では何故か二岐→新二岐、大ノ澤→錦沢となっている。旅客営業をしている頃には、炭鉱町の数少ない行楽地として駅周辺に釣堀や小動物園・遊園施設が設置され、市民の憩いの場として春は桜、秋は紅葉の名所として賑わい、時には花火大会も開催され夕張からだけでなく栗山・南幌方面からも臨時列車が運行された。 | |
@左の築堤部分が廃線跡と思われる。 | @サイクリングロードはここから再び? |
@道路付け替え時に整備された様だ。 | @この先怪しげな藪が・・・ |
@完全に廃道化している。 | @第3トンネル閉鎖・・・また迂回が必要だ |
A迂回路の北海道道3号線錦沢バス停。 | B迂回路の北海道道3号線一線の沢バス停。 |
C栗山まで17q。 | C迂回路の北海道道3号線富野バス停。 |
D第3トンネルはこの道へ続いている。 | D夕張線廃線跡は栗山方面へ続く。 |
E築堤部分が夕張線の廃線跡。 | |
F栗山炭鉱入口。 | F日出小学校跡。校歌:山幸うけて日の出なる美ましの里に生い立ちし我等良き子よ日と共に真理の道をすすむべし。 |
G新二岐駅(しんふたまたえき)は、北海道夕張郡栗山町日出にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の廃止に伴い1975年に廃止された。角田炭鉱専用鉄道が分岐していた。島式ホーム1面2線を有する地上駅。終日駅員が配置されていた。駅舎は現存している。(写真が新二岐駅舎) | |
H継立駅 - 新二岐駅間の夕張線廃線跡。 | |
I継立駅 - 新二岐駅間の夕張線廃線跡。 | |
J継立駅(つぎたてえき)は、北海道夕張郡栗山町継立にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の廃止に伴い1975年に廃止された。開業当初は付近の火山灰採取地に専用線が延びていた。島式ホーム1面2線を有する地上駅。終日駅員が配置されていた。 | |
J角田駅 - 継立駅間の夕張鉄道の廃線跡。築堤が見える。 | |
K北海道八十八カ所霊場 第八十三番札所。 | K坂本九 想い出記念館。 |
L角田駅 - 継立駅間の夕張鉄道の廃線跡。 | |
M角田駅 - 継立駅間の夕張鉄道の廃線跡。 | |
N角田駅 - 継立駅間の夕張鉄道の廃線跡。 | |
O角田駅 - 継立駅間の夕張鉄道の廃線跡。北海道道3号線の跨線橋。 | |
P角田駅 - 継立駅間の夕張鉄道の廃線跡。 | |
Q角田駅 - 継立駅間の夕張鉄道の廃線跡。 | Q昔の木製の貨車が・・・ |
R角田駅(かくたえき)は、北海道夕張郡栗山町角田にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の合理化に伴い1971年に廃止された。島式ホーム1面2線を有する地上駅。終日駅員が配置されていた。 | |
S栗山駅 - 角田駅間の夕張線廃線跡。 | |
S橋梁も残っている。 | S角田跨線橋。 |
S国道234号線角田跨線橋。 | |
S角田跨線橋から角田駅方向を見る。 | S角田跨線橋から栗山駅方向を見る。 |
@ここまでは何とか廃線跡が解るがこの先は畑で廃線跡の痕跡が解らない。 | |
A用水路脇の廃線跡と解る場所に出た。 | |
B夕張線の廃線跡。橋台が残っていた。 | |
C位置的にはこの辺が廃線跡なのだが、廃線跡の痕跡は見受けられない。 | |
Dここから再び廃線跡と解る部分が出現。左写真はその延長だが廃線跡の痕跡は見受けられない。 | |
E栗山駅 - 角田駅間の夕張線の廃線跡。 | |
E栗山駅 - 角田駅間の夕張線の廃線跡。室蘭本線を跨ぐ橋梁の橋台が残っている。 | |
F栗山駅(くりやまえき)は、北海道(空知支庁)夕張郡栗山町錦4丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)室蘭本線の駅である。かつては急行「夕張」の停車駅だった。電報略号はクリ。かつては室蘭本線と夕張鉄道線が交叉する駅として賑わいを見せていた。現在も交通の要衝としての立場は健在で駅前のバスターミナルは大規模である。由仁駅からここまで複線だがここから岩見沢駅まで単線となっている。 | |
F相対式ホーム2面2線をもつ地上駅。かつて夕張鉄道線と接続していた頃は4面5線をもち4番線と5番線を夕張鉄道線が使用していた。夕張鉄道線廃止後も規模の大きい配線構造の駅だったが、現在は必要最小限の設備を残し、撤去されている。1番線と2番線の間に中線があるが、使用されていない。駅舎は2000年に建て替えられ「くりやまカルチャープラザEki」という名前がつけられている。旧来からの跨線橋は撤去され反対側のホームへは駅舎からそのまま階段がのびている。駅舎内にはコインロッカーが設置されているため、駅周辺の散策には便利である。簡易委託駅となっている(栗山観光協会が受託、管理駅は追分駅)。JR線の乗車券とともにバス乗車券も扱っている。窓口営業時間は8時00分から18時00分まで(土日は16時00分まで)。 | |
F栗山駅の駅名標。 | F一番左の線路が夕張線の線路? |
G中央農試前駅(ちゅうおうのうしまええき)は、北海道夕張郡長沼町にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の合理化に伴い1974年に廃止された。単式ホーム1面1線の地上駅で、無人駅だった。 | |
H北長沼駅(きたながぬまえき)は、北海道夕張郡長沼町にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の廃止に伴い1975年に廃止された。周辺は農業地帯であり駅周辺には倉庫が並び、農産物の集散地として賑わった。島式ホーム1面2線を有する地上駅。終日駅員が配置されていた。 | |
I双葉駅 - 北長沼駅間の夕張鉄道の廃線跡。 | |
K旧夕張川。長南橋。 | Lきらら街道。南幌まで2q。 |
M南幌駅(なんぽろえき)は、北海道空知郡南幌町にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の廃止に伴い1975年に廃止された。周辺は農業地帯であり駅周辺には倉庫が並び、農産物の集散地として賑わった。島式ホーム1面2線を有する地上駅。終日駅員が配置されていた。左写真の建物間が廃線跡。 | |
N夕張鉄道廃線跡。 | |
O夕張鉄道廃線跡。 | |
P夕張鉄道廃線跡。 | |
Q晩翠駅(ばんすいえき)は、北海道空知郡南幌町にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の廃止に伴い1975年に廃止された。単式ホーム1面1線の地上駅だった。ホームや建屋は高床式の構造に似ていて、全て木造で建築されていた。 単式ホーム1面1線の地上駅だった。ホームや建屋は高床式の構造に似ていて、全て木造で建築されていた。 | |
R千歳川の江南橋。 | |
S下の月駅(しものつきえき)とは、かつて北海道江別市にあった夕張鉄道の駅(廃駅)。単式ホーム1面1線の地上駅で、無人駅だった。 | |
@夕張鉄道廃線跡。左写真は高速道路を潜る。 | |
A上江別駅(かみえべつえき)は、北海道江別市上江別にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。夕張鉄道線の合理化に伴い1974年に廃止された。野幌バス停留所駅開設前には暫定的に札幌連絡バスの発着駅となった。また、車扱貨物の取扱いがあった当時は、付近の製紙工場への原木も取扱われた事もあった。単式ホーム1面1線の地上駅だった。 ホーム上から連絡バスが発着した。 | |
B北海綱機前駅(ほっかいこうきまええき)は、北海道江別市東野幌町にあった夕張鉄道の駅(廃駅)である。自社による札幌への連絡バス発着の為に野幌バス停留所前駅として1956年12月に開設され、夕張鉄道線の廃止に伴い1975年に廃止された。単式ホーム1面1線の地上駅だった。 ホーム上から連絡バスが発着し、バス車庫も設置されていた。 | |
C野幌駅(のっぽろえき)は、北海道江別市野幌町94にある北海道旅客鉄道(JR北海道)函館本線の駅。北海道旅客鉄道の駅番号はA07。電報略号はノツ。かつては、急行「かむい」が停車していた。かつては2面4線で、その後中線を廃止したため、1番線と2番線の間が大きく開いている相対式ホームだった。現在は高架化工事に伴い、既存のホームは使用中止となり、新たに作られた仮ホームが使用されている。夕張鉄道当駅〜栗山間開業。ホームは現在の2番線の反対側にあった。 | |
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