更新日時 2016年01月10日

廃線探索 雄別鉄道
 雄別鉄道(ゆうべつてつどう)は、北海道釧路支庁管内釧路市の根室本線釧路駅から、同管内阿寒郡阿寒町(現・釧路市阿寒町)の雄別炭山駅までを結んでいた鉄道路線などを運営していた炭鉱鉄道会社。東証一部上場企業であった雄別炭礦の子会社にあたり、三菱グループに属していた。親会社の雄別炭礦は、当時の炭鉱会社の中では多角経営の進んだ会社という評価がなされていたが、1969年、茂尻鉱にて人身事故を起こしたことで茂尻鉱が廃坑に追い込まれた。これが引き金となり翌年の(1970年)1月には、2月以降の社員への給与支払いの見通しもたたなくなるほど資金繰りが急速に悪化した。これが原因で親会社の雄別炭礦が閉山し、同年4月に住人の移転作業が終了し鉄道業務も停止した。
雄別本線
釧路駅 - 新釧路駅 - 中園駅 - 雄鉄昭和駅(旧・鳥取信号所)- 北園駅 - 鶴野駅 - 北斗駅 - 山花駅 - 桜田駅 - 阿寒駅 - 古潭駅 - 新雄別駅- 真澄町駅 - 雄別炭山駅( - 選炭場 - 大曲選炭場 大詳内線)
釧路駅:根室本線 鶴野駅:鶴野線
新釧路構外側線 新釧路駅 - 水面貯木場駅  新釧路駅:雄別本線
鶴野線 鶴野駅 - 新富士駅  鶴野駅:雄別本線 新富士駅:根室本線
 @釧路駅(くしろえき)は、北海道釧路市北大通14丁目5にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の駅。駅番号はK53。釧路市の代表駅で北海道旅客鉄道釧路支社が置かれている。道内で現存する最後の民衆駅であり、駅舎はかつての札幌駅旧駅舎(4代目)に似た作りをしている(建設当初の外壁カラーは札幌駅と同じブルーであった)。
  @釧路駅構造は単式ホーム1面1線と島式ホーム2面4線で3面5線を持つ地上駅。単式ホーム側に駅舎がある。特急「スーパーおおぞら」は1番のりば発着となっている。1〜3番のりばにはエスカレータが設置されている。かつては雄別鉄道が発着する6番線も存在したが現在はホームは撤去され、ホームへの地下道も閉鎖されている。
@釧路駅の狸。 @太平洋炭礦の海底炭。
A釧路駅 - 新富士駅間の新釧路川橋。
A釧路駅 - 新富士駅間の新釧路川橋。
 B新富士駅(しんふじえき)は、北海道釧路市新富士町3丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)根室本線の駅。JR北海道の駅番号はK52。
 B新富士駅構造は島式ホーム1面2線を有する地上駅。ホームの南北には貨物列車用の線路があり、構内北側にある出入口からホームへ向かうには跨線橋を使用する必要がある。列車接近ランプとブザーがある。ホームは北側から2番線・3番線となっている。旅客列車は通常、一線スルーとなっている2番線に発着し、交換する場合のみ3番線を使用する。JR貨物の駅員が配置されているが、旅客窓口業務は行わないため実質無人駅となっている。自動券売機などは設置されていない。
C雄別鉄道の新線の道路を横断する橋梁の橋台が残る。
 @株式会社釧路製作所に展示されている8722号:この機関車と同型の8700型機は一般になじみの薄い機関車でありますが、明治44年我が国で初めて大型旅客用SLとして輸入された4種(8700,8800,8850,8900型)のひとつで、ノースブリティッシュ(英)で製造されたものであります。8722号は輸入の8700型他をベースにして明治45年汽車会社で製造された18両のうち1両で、その性能は旧来のものに比べ格段に優れたもので主要国内幹線の花形機関車として活躍しました。その後、新しい機関車の開発に伴い活躍の場は狭まれ、昭和6年には他7両と共に北海道に移ってきました。北海道内ではあまり華やかな活躍をすることなく、昭和26年には8700型はほとんど廃車になりました。この8722型は北海道拓殖鉄道に払い下げられ、昭和32年に雄別鉄道に移り8721号と共に、雄別−釧路間の本線の石炭列車を牽引していましたが、昭和45年雄別鉄道の廃業後、釧路製作所が引き取り保存することとなりました。我が国初めての大型国産車として、C型シリーズの原型となった非常に貴重で珍しいものであります。
A新釧路駅 - 中園駅間の廃線跡。 B新釧路駅 - 中園駅間の廃線跡。
C 中園駅の廃線跡。 D中園駅 - 雄鉄昭和駅間の廃線跡。
E新釧路川を渡る鶴見橋の脇に雄別鉄道の橋梁が架かっていた。
D雄別鉄道の新富士駅- 雄鉄昭和駅(旧・鳥取信号所)間の旧線の廃線跡。
D雄別鉄道の新富士駅- 雄鉄昭和駅(旧・鳥取信号所)間の旧線の廃線跡。
E雄別鉄道の新富士駅- 雄鉄昭和駅(旧・鳥取信号所)間の旧線の廃線跡。仁々志別川の昭和歩道。
E雄別鉄道の新富士駅- 雄鉄昭和駅(旧・鳥取信号所)間の旧線の廃線跡。仁々志別川の昭和歩道。
F雄別鉄道の新富士駅- 雄鉄昭和駅(旧・鳥取信号所)間の旧線の廃線跡。
F雄別鉄道の新富士駅- 雄鉄昭和駅(旧・鳥取信号所)間の旧線の廃線跡。
F雄別鉄道の中園駅 - 雄鉄昭和駅間の民家にSLの車輪が展示されている。
F雄鉄昭和駅(旧・鳥取信号所)付近。
 F湿原の夢ロード:釧路市阿寒町舌辛原野終点まで、約25q。自転車道の由来:この自転車道は、かって釧路駅から雄別炭鉱を経由して雄別炭山駅を結び、石炭や貨物を輸送していた雄別鉄道の跡地を利用してつくられています。雄別炭鉱は、昭和39年には最大73万トンの出炭を記録していた。しかし、石炭産業の斜陽化により出炭量は徐々に減少し、昭和45年2月に雄別三山(雄別炭鉱、尺別炭鉱、上茶路炭鉱)は閉山に追い込まれた。昭和45年4月にはこの影響で雄別鉄道は廃線となった。その後、昭和49年から廃線跡をりようした自転車道の整備が進められ、昭和53年に現在の自転車道が完成した。
G雄別鉄道の 雄鉄昭和駅(旧・鳥取信号所)- 北園駅間の廃線跡。
H雄別鉄道の北園駅周辺。
I雄別鉄道の北園駅 - 鶴野駅間の廃線跡。
I雄別鉄道の北園駅 - 鶴野駅間の廃線跡。
J雄別鉄道の鶴野駅廃線跡。
J雄別鉄道の鶴野駅廃線跡。
K雄別鉄道の鶴野駅 - 北斗駅間の廃線跡。鶴居村営軌道と交差する部分に橋台跡が残る。
L雄別鉄道の鶴野駅 - 北斗駅間の廃線跡。
M雄別鉄道の鶴野駅 - 北斗駅間の廃線跡。
M雄別鉄道の鶴野駅 - 北斗駅間の廃線跡。
N雄別鉄道の鶴野駅 - 北斗駅間の廃線跡。
O雄別鉄道の北斗駅の廃線跡。
O雄別鉄道の北斗駅の廃線跡。
P雄別鉄道の北斗駅 - 山花駅間の廃線跡。仁々志別川の手穏橋近く。
Q雄別鉄道の北斗駅 - 山花駅間の廃線跡。
R雄別鉄道の北斗駅 - 山花駅間の廃線跡。
S雄別鉄道の北斗駅 - 山花駅間の廃線跡。
@雄別鉄道の北斗駅 - 山花駅間の廃線跡。
@雄別鉄道の北斗駅 - 山花駅間の廃線跡。
@雄別鉄道の北斗駅 - 山花駅間の廃線跡。
A雄別鉄道の山花駅の廃線跡。
A雄別鉄道の山花駅の廃線跡。
A雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
A雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
B雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。山花橋。
B雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
C雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
C雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
D雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
D雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
E雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
F雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
G雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
H雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
I雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
J雄別鉄道の山花駅 - 桜田駅間の廃線跡。
K雄別鉄道の桜田駅の廃線跡。
L雄別鉄道の桜田駅 - 阿寒駅間の廃線跡。
M雄別鉄道の桜田駅 - 阿寒駅間の廃線跡。
N雄別鉄道の桜田駅 - 阿寒駅間の廃線跡。
O雄別鉄道の桜田駅 - 阿寒駅間の廃線跡。
P雄別鉄道の桜田駅 - 阿寒駅間の廃線跡。パークゴルフの敷地内を通る。
Q雄別鉄道の桜田駅 - 阿寒駅間の廃線跡。
R雄別鉄道の桜田駅 - 阿寒駅間の廃線跡。
R雄別鉄道の桜田駅 - 阿寒駅間の廃線跡。丹頂橋。
R雄別鉄道の桜田駅 - 阿寒駅間の廃線跡。丹頂橋から見る阿寒川。
R雄別鉄道の桜田駅 - 阿寒駅間の廃線跡。丹頂橋。
R雄別鉄道の桜田駅 - 阿寒駅間の廃線跡。
S雄別鉄道の阿寒駅の廃線跡。
S雄別鉄道の阿寒駅の廃線跡。
S雄別鉄道の阿寒駅 - 古潭駅間の廃線跡。
@雄別鉄道の阿寒駅 - 古潭駅間の廃線跡。
A雄別鉄道の阿寒駅 - 古潭駅間の廃線跡。
B雄別鉄道の阿寒駅 - 古潭駅間の廃線跡。
C雄別鉄道の阿寒駅 - 古潭駅間の廃線跡。
D雄別鉄道の阿寒駅 - 古潭駅間の廃線跡。
E雄別鉄道の阿寒駅 - 古潭駅間の廃線跡。
F雄別鉄道の阿寒駅 - 古潭駅間の廃線跡。
G雄別鉄道の阿寒駅 - 古潭駅間の廃線跡。
H雄別鉄道の阿寒駅 - 古潭駅間の廃線跡。
I雄別鉄道の古潭駅の廃線跡。
I雄別鉄道の古潭駅前。
J雄別鉄道の古潭駅 - 新雄別駅間の廃線跡。
K雄別鉄道の古潭駅 - 新雄別駅間の廃線跡。
L雄別鉄道の古潭駅 - 新雄別駅間の廃線跡。
M雄別鉄道の新雄別駅跡。
M雄別鉄道の新雄別駅- 真澄町駅間の廃線跡。
N雄別鉄道の新雄別駅- 真澄町駅間の廃線跡。
O雄別鉄道の真澄町駅跡。
P雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。
Q雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。
 R雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。ここで轍が深く車がスタックし亀になってしまった。携帯電話も繋がらない山の中で、夕暮れも近づき、この先の鉄橋を求めて車を捨てて歩き出したが、藪も深くなってきて、急に帰れないかもしれないと不安になり、この先の探索を断念し、スタックした車をなんとかしようと車に戻ったが・・・続く
R雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。前回探索で諦めた鉄橋を発見。
R雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。
R雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡の鉄橋から見る舌辛川。
S雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。
S雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。第2号橋。
S雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。第2号橋脇の雄別鉄道の鉄橋。
@雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。ガソリンスタンド跡にここの住人?のキタキツネが。
A雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。
B雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。
B雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。雄別炭鉱記念碑。
C雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。
D雄別鉄道の真澄町駅 - 雄別炭山駅間の廃線跡。
E雄別鉄道の雄別炭山駅跡。
E雄別鉄道の雄別炭山駅跡。
E雄別鉄道の雄別炭山駅跡。
E雄別鉄道の雄別炭山駅跡。
E雄別鉄道の雄別炭山駅跡。大煙突が残る。
E雄別鉄道の雄別炭山駅跡。鋼索線跡か?
E舌辛川に石炭が露出している。
F鉄道炭鉱資料館。
F鉄道炭鉱資料館。なんかの台車(笑)
F鉄道炭鉱資料館。
F鉄道炭鉱資料館。
F鉄道炭鉱資料館。
F鉄道炭鉱資料館。
F鉄道炭鉱資料館。
F鉄道炭鉱資料館。
F鉄道炭鉱資料館。
F鉄道炭鉱資料館。阿寒駅に着いたさよなら列車(昭和45年4月15日)
F鉄道炭鉱資料館。
F鉄道炭鉱資料館。
F鉄道炭鉱資料館。阿寒町の地図。
 写真の原画は絵ハガキ。題名は「雄別駅」となっています。雄別鉄道は大正12年1月17日の開業で営業キロは44.1キロメートル。建設費の予算額は355万円ほど。雄別駅は雄別鉄道の本拠地で、乗客用の最終駅。石炭の積み込みには専用の大祥内駅がありました。 (北海道立図書館所蔵)  大祥内に設けられた事務所・購買にたいして、大曲(おおまがり)は選炭場のあった場所。大曲ものちに雄別の地に含まれています。選炭を終えて製品となった石炭を輸送する雄別炭礦鉄道。釧路市新釧路町にあった新釧路駅まで輸送されます。
(北海道立図書館所蔵)
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