更新日時 2022年05月23日

 興浜南線(こうひんなんせん)は、日本国有鉄道が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。興浜線の先行開業部分として、北海道紋別郡興部町の興部駅で名寄本線から分岐し、同郡雄武町の雄武駅まで開通していたが、1980年の国鉄再建法施行を受けて特定地方交通線に指定され、1985年に廃止された。終点の雄武駅の読みは「おむ」であるが、所在地の自治体名は「おうむ」である。改正鉄道敷設法別表第145号に規定する予定線の一部で、本来は興浜北線と結んで興部 - 浜頓別間のオホーツク海沿岸を縦貫する鉄道の一部(興浜線)となる計画であった。1935年に雄武までが開業したが、太平洋戦争末期の1944年には不要不急線として全線が休止、戦後すぐに復活した。北見枝幸と雄武間の未成区間(興浜線)の一部で建設工事も行なわれていたが、沿線の開拓計画の頓挫などから建設は進まず、結局接続する予定であった興浜北線ともども第1次特定地方交通線に指定され、両線とも1985年に廃止。一部で完成していた未成区間の路盤等も放棄された。また、両線が接続していた名寄本線、天北線も第2次特定地方交通線に指定され、廃止されている。廃止協議の過程で、未成区間を完成させ接続する天北線や名寄本線、湧網線などと一体化させた「オホーツク縦貫鉄道構想」も立案されたが、開業しても毎年数億円単位の赤字が発生することが判明し、結局断念されている。
興浜南線(廃線)
興部駅 - 沢木駅 - 元沢木駅(仮) - 栄丘駅 - 雄武共栄駅(仮) - 雄武駅
 @興部駅(おこっぺえき)は、北海道(網走支庁)紋別郡興部町字興部にあった北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅(廃駅)である。電報略号はオコ。名寄本線の廃線に伴い1989年(平成元年)5月1日に廃駅となった。1980年(昭和55年)まで運行されていた急行「天都」、及び1986年(昭和61年)まで運行されていた急行「紋別」の停車駅であった。
@無料の宿泊施設になっている。
 @興部駅構造は廃止時点で、単式ホーム・島式ホーム複合型2面3線を有する地上駅で、列車交換可能な交換駅であった。互いのホームは駅舎側ホーム中央部分と島式ホーム南側を結んだ構内踏切で連絡した。1983年(昭和58年)時点では、駅舎側(西側)が1番線、上屋が設置された島式ホーム駅舎側が2番線、外側が3番線となっており、何れも上下共用であった。3番線の外側に側線を3線有し、そこから給水線などの行き止まりの側線も数線有した。そのほか1番線の遠軽方から分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を2線有していた。職員配置駅となっており、駅舎は構内の北西側に位置し単式ホーム中央部分に接していた。ホームの有効長は120mあった。
@さよなら興浜南線のヘッドマーク。 @興部交通記念館の展示品。
 @興部駅跡はバスターミナルを兼ねた「道の駅おこっぺ」となっている。道の駅おこっぺの一角には1992年(平成4年)6月から興部町により「興部交通記念館」が開設されている。館内には当時使用していた備品、乗車券、レール、時刻表、駅舎モデル、写真パネルなどが保存・展示されている。駅舎モデルは宇津駅、当駅、沙留駅の3駅が展示されている。館外の敷地にはキハ22形気動車キハ22 202、キハ22 251の2両が連結された状態で静態保存・展示され、前者が休憩所、後者がライダーハウスとして使用されており、「トレインハウス」と名付けられている。また駅構内跡地は広いため公園にも転用されており、モニュメントとしてD51形蒸気機関車D51 365号機の動輪が保存・展示されている。
A興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。ここから名寄本線と分岐して行く。
B興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。サイクリングロードに転用されている。
C興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。サイクリングロードに転用されている。
D興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。サイクリングロードに転用されている。
E興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。サイクリングロードに転用されている。
F興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。サイクリングロードに転用されている。
G興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。廃線跡のサイクリングロード興部川手前で終わり。
H興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。この先は農道に転用されている。
I興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。農道に転用されている。
J興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。農道に転用されている。
K興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。農道に転用されている。
L興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。農道に転用されている。
M興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。ここから先は進めそうもないので迂回する。
N興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。この辺はハッキリとした廃線跡が解らない。
興浜南線の興部駅 - 沢木駅間のオニシ沼に架かる橋梁。(2022年05月03日撮影)
興浜南線の興部駅 - 沢木駅間のオニシ沼に架かる橋梁。(2020年08月12日撮影)
O興浜南線の興部駅 - 沢木駅間の廃線跡。雑草が生い茂っている所が廃線跡。
 P沢木駅(さわきえき)は、北海道紋別郡雄武町字沢木にあった日本国有鉄道興浜南線の駅(廃駅)である。電報略号はハキ。興浜南線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月15日に廃駅となった。
 P沢木駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北西側(雄武方面に向かって左手側)に存在した。このほか雄武方から駅舎側に分岐する側線を1本有していた。このホームは本来島式ホームで、興浜線全通の際には列車交換可能な配線とする計画があった事が指摘されている。無人駅となっていた。駅舎は線路の南西側に位置し、通路で連絡した。有人駅時代の駅舎は改築され、渚滑線下渚滑駅や興浜北線豊牛駅などと同型の駅舎となっている。改築の際に線路未敷設側のホーム上に位置変更している。
Q興浜南線の沢木駅 - 元沢木駅(仮)間の廃線跡。
R興浜南線の沢木駅 - 元沢木駅(仮)間の廃線跡。
 S元沢木仮乗降場(もとさわきかりじょうこうじょう)は、北海道紋別郡雄武町沢木にあった、日本国有鉄道興浜南線の仮乗降場(廃駅)である。興浜南線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月15日に廃駅となった。単式ホーム1面1線を有した。
@興浜南線の元沢木駅(仮) - 栄丘駅間の廃線跡。
 A栄丘駅(さかえおかえき)は、北海道紋別郡雄武町にあった、日本国有鉄道興浜南線の駅(廃駅)である。興浜南線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月15日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅。ホームは線路の北西側(雄武方面に向かって左手側)に存在した。無人駅となっている。駅舎は存在せず、ホーム中央部分に待合所を有していた。
B興浜南線の栄丘駅 - 雄武共栄駅(仮)間の廃線跡。
C興浜南線の栄丘駅 - 雄武共栄駅(仮)間の廃線跡。築堤が残る。
 D雄武共栄仮乗降場(おむきょうえいかりじょうこうじょう)は、北海道紋別郡雄武町字南雄武にあった日本国有鉄道興浜南線の仮乗降場(廃駅)である。興浜南線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月15日に廃駅となった。単式ホーム1面1線を有した。
E興浜南線の雄武共栄駅(仮) - 雄武駅間の廃線跡。
F興浜南線の雄武共栄駅(仮) - 雄武駅間の廃線跡。
G興浜南線の雄武共栄駅(仮) - 雄武駅間の廃線跡。
H興浜南線の雄武共栄駅(仮) - 雄武駅間の廃線跡。
I興浜南線の雄武共栄駅(仮) - 雄武駅間の廃線跡。
J興浜南線の雄武共栄駅(仮) - 雄武駅間の廃線跡。
K興浜南線の雄武共栄駅(仮) - 雄武駅間の廃線跡。
L興浜南線の雄武共栄駅(仮) - 雄武駅間の廃線跡。
 M雄武駅(おむえき)は、北海道紋別郡雄武町(おうむちょう)にあった日本国有鉄道興浜南線の駅(廃駅)である。興浜南線の廃線に伴い1985年(昭和60年)7月15日に廃駅となった。駅構造は廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅で、終端駅であった。ホームは線路の北東側(雄武方面に向かって右手側)に存在した。このほか貨物線、留置線、給水線など、旅客用の1番線の外側に4番線までと、興部方から駅舎側に分岐し駅舎南側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1本有していた。1番線の先には1975年(昭和50年)3月時点で専用線が続いており、3番線の先には蒸気機関車時代の転車台が残っていた。職員配置駅で、駅舎は線路の東側に位置しホーム中央部分に接していた。貨物列車は1980年(昭和55年)時点で隔日運転で、発送荷物はパルプ用丸太、到着貨物は石油、肥料、飼料が主であった。駅名の由来は当駅の所在する地名より。地名は、アイヌ語の「オ・ム」(川尻が塞がる)より。雄武川の河口が、風や潮流に運ばれた砂で塞がれることから付けられた地名である。駅名は「おむ」と読むが、所在する雄武町は「おうむ」と読み、駅名と地名では読み方に相違があった。
M道の駅おうむに展示されている。
 N線路の延長上に興浜北線北見枝幸駅までの未成線の路盤が10km以上先まで続き、雄武駅の北側には「雄武トンネル」も完成していた。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『興部町・雄武町』を掲載」
廃線探索 興浜南線