更新日時 2013年09月23日

 京福電気鉄道越前本線は福井県で電源開発を行っていた京都電燈の手により、1914年に越前電気鉄道として新福井 - 市荒川(現在の越前竹原)間が開業したのが始まり。福井県下初の電気鉄道であった。 同年中に大野口まで開業し、福井と大野が結ばれた。配電統制令により、解散することになった京都電燈の鉄軌道事業を1942年に京福電気鉄道が継承。同社福井支社の越前本線となった。自家用車の普及などで1960年代以降になると不採算区間の合理化が行われ、国鉄越美北線とも競合する越前本線の勝山 - 京福大野間が1974年に廃止される。
京福電気鉄道越前本線(1974年廃止区間)
勝山駅 - 蓬生駅 - 大袋駅 - ウ崎信号所 - 下荒井六呂師口駅 - 新在家駅 - 中津川駅 - 大野口駅 - 京福大野駅
 @勝山駅(かつやまえき)は、福井県勝山市遅羽町比島34-2-7にあるえちぜん鉄道勝山永平寺線の駅で同線の終着駅である。駅構造は昔ながらの風情のある駅で、映画のロケーション撮影などにも使用されたことがある。小荷物の一時預かり所が機能する。駅舎は1914年(大正3年)開業以来のもので、2004年(平成16年)2月17日に登録有形文化財に登録された。駅舎に隣接する単式ホーム1線と島式ホーム1面2線の計2面3線を有する。以前はラッシュ時を除いて前者が使用されていたが、2005年(平成17年)のダイヤ改正で、1・2番線を交互に使用するようになった。3番線は営業列車の発着には使用されず、保線機械などが留置される。線路は駅を過ぎて100メートル先まで続いているが、これは京福大野駅まで伸びていたときの名残であり、当該区間の廃止後は留置線として使用されている。この留置線を使って夜間滞泊も設定されていて、停止位置目標が設置されている。
@勝山駅に展示されている、テキ6とト68。
@当時のテキ6とト68。
@勝山駅に展示されている、ヨ6509。
A京福電気鉄道越前本線の勝山駅 - 蓬生駅間の廃線跡。
B京福電気鉄道越前本線の勝山駅 - 蓬生駅間の廃線跡。
C京福電気鉄道越前本線の蓬生駅跡。
D京福電気鉄道越前本線の蓬生駅 - 大袋駅間の廃線跡。
E京福電気鉄道越前本線の大袋駅跡。
F京福電気鉄道越前本線の大袋駅 - ウ崎信号所間の廃線跡。
G京福電気鉄道越前本線の ウ崎信号所跡。
H京福電気鉄道越前本線のウ崎信号所 - 下荒井六呂師口駅間の廃線跡。
I京福電気鉄道越前本線のウ崎信号所 - 下荒井六呂師口駅間の廃線跡。
J京福電気鉄道越前本線のウ崎信号所 - 下荒井六呂師口駅間の廃線跡。
K京福電気鉄道越前本線のウ崎信号所 - 下荒井六呂師口駅間の廃線跡。
L京福電気鉄道越前本線のウ崎信号所 - 下荒井六呂師口駅間の廃線跡。
 M京福電気鉄道越前本線の下荒井六呂師口駅跡及び下荒井トンネル。廃線後は勝山側の下荒井六呂師口駅の駅舎は、そのまま個人の所有となり現在も使われている。 トンネル幅が狭いため、通過できる車両が限られており、251型等の比較的小型の車両しか使用されなかった。
M京福電気鉄道の紋章と扁額。 M旧京福電鉄下荒井トンネル案内の石碑。
N京福電気鉄道越前本線の下荒井トンネルの京福大野駅側の坑口。
O京福電気鉄道越前本線の下荒井六呂師口駅 - 新在家駅間の廃線跡。
P京福電気鉄道越前本線の下荒井六呂師口駅 - 新在家駅間の廃線跡。
Q京福電気鉄道越前本線の下荒井六呂師口駅 - 新在家駅間の廃線跡。
R京福電気鉄道越前本線の下荒井六呂師口駅 - 新在家駅間の廃線跡。
S京福電気鉄道越前本線の新在家駅跡。
@京福電気鉄道越前本線の新在家駅 - 中津川駅間の廃線跡。
A京福電気鉄道越前本線の新在家駅 - 中津川駅間の廃線跡。
B京福電気鉄道越前本線の中津川駅跡。
C京福電気鉄道越前本線の中津川駅 - 大野口駅間の廃線跡。
D京福電気鉄道越前本線の中津川駅 - 大野口駅間の廃線跡。
E京福電気鉄道越前本線の中津川駅 - 大野口駅間の廃線跡。
F京福電気鉄道越前本線の中津川駅 - 大野口駅間の廃線跡。
G京福電気鉄道越前本線の中津川駅 - 大野口駅間の廃線跡。
H京福電気鉄道越前本線の中津川駅 - 大野口駅間の廃線跡。
I京福電気鉄道越前本線の中津川駅 - 大野口駅間の廃線跡。越美北線とアンダークロスする。
J京福電気鉄道越前本線の中津川駅 - 大野口駅間の廃線跡。越美北線の高架下を潜る。
K京福電気鉄道越前本線の中津川駅 - 大野口駅間の廃線跡。
L京福電気鉄道越前本線の中津川駅 - 大野口駅間の廃線跡。
M京福電気鉄道越前本線の中津川駅 - 大野口駅間の廃線跡。
N京福電気鉄道越前本線の大野口駅跡。
 O京福電気鉄道越前本線の京福大野駅(けいふくおおのえき)は、かつて福井県大野市に存在した京福電気鉄道越前本線の駅である。大野三番という大野市の中心に位置し、大野市に唯一連絡する鉄道駅として長らく重要な役目を果たしてきたが、1960年(昭和35年)に国鉄越美北線の開業、そしてモータリゼーションの進展とともにみるみる業績が悪化し、1974年(昭和49年)に越前本線勝山 - 当駅間の廃止とともに廃駅となった。駅構造は3面3線の頭端式ホーム。1番線には2番線との間で付随車牽引時の電動車付け替えに使用するための機回し用渡り線があった。駅舎は昭和31(1956)年に鉄筋コンクリート造りに建て替えられ2階はスーパー京福マートであった。駅のあった場所は福井銀行三番通出張所となったが平成4年には現在のビルに建て替えられ元の駅ビルより若干勝山よりに後退した。
 O京福電気鉄道越前本線の駅前ロータリーのあった場所はその部分だけ道幅が広くなっている。その向かいにあるタクシー乗り場の建物には未だに駅があった時代の観光案内の看板が残存しており、1950年代後半(昭和30年代)の福井県下のすべての鉄道路線が記されている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
廃線探索 京福電気鉄道越前本線