更新日時 2015年08月11日

 上田丸子電鉄西丸子線は長野県上田市の旧塩田町東部地区(東塩田村、富士山村)と丸子町の旧依田村地区 - 旧丸子町西部を結んでいた、上田電鉄の前身、上田丸子電鉄の鉄道路線。1963年(昭和38年)に廃止された。現在の上田電鉄別所線の下之郷駅を起点に南東へ進み、境界の二ッ木峠のトンネルと依田川の鉄橋を渡って丸子町の中心地の西、西丸子駅まで結んでいた。西丸子線は上田丸子電鉄の前身、上田温泉電軌(温電)によって開通した路線である。温電はもうひとつの前身、丸子鉄道(丸鉄)と違って経営が苦しかった。丸鉄との競合上、上田市の中心部から丸子町の中心部を結ぶ路線を計画。同じく上田市の中心部から丸子町の中心部を結ぶ路線を計画していた丸鉄より先に軌道敷設申請をし認可を受け工事を開始したが、トンネル工事や鉄橋工事が続く難工事のため丸鉄に開業は先を越された。開業当時から赤字が続き、「四十雀(しじゅうから)電車」と馬鹿にされていたという。近代化も一番遅れ、軌道の依田窪線から地方鉄道に変更となり西丸子線と名称が変わってからも、青木線で使われていた木造四輪単車=チンチン電車が使われ、パンタグラフ化・全線ボギー車化が遅れ、廃止直前にはまだ木造車体の電車が主流という有様だった。補修予算も組むことすらままならず、大雨が降れば運休になったという。1961年(昭和36年)6月25日の梅雨前線豪雨によって二ツ木トンネルと依田川鉄橋が破損するなど、全線で被害が出たのをきっかけに休止。2年後の1963年(昭和38年)11月1日に全線廃止、バスに転換された。
上田丸子電鉄西丸子線(廃線)
下之郷駅 - 宮前駅 - 石神駅 - 東塩田駅 - 富士山駅 - 馬場駅 - 依田駅 - 御岳堂駅 - 上組駅 - 川端駅 - 寿町駅 - 河原町駅 - 西丸子駅
 @下之郷駅(しものごうえき)は、長野県上田市下之郷にある上田電鉄別所線の駅である。1963年(昭和38年)まで上田丸子電鉄西丸子線が発着していた。現在でも当時のプラットホームが残っている。
 @下之郷駅構造は島式1面2線のホームを持つ地上駅。当駅構内が上田電鉄の本社所在地となっているほか、車両基地・留置線・変電所があり、当駅を発着の列車が始発・最終を中心に設定されている。上田電鉄唯一の夜間滞泊設定駅である。ホーム上の駅舎は駅事務室と待合室からなっており、上田丸子電鉄時代からのものである。生島足島神社の最寄り駅であることから、上田交通時代に外壁に朱塗りの柱と漆喰の壁を模した装飾塗装が施され、建設当初の外観とは変わっている。中間駅では唯一の駅員配置駅であるが西丸子線廃止後合理化で一旦は無人駅となっていた。しかし西丸子線を引き継いだバスの起点という事情から再び駅員が配置されたという珍しい経歴を持つ。車両基地が当駅に移転した後は駅員の他車両整備担当社員等も常駐している。当駅から別所温泉方向には交換施設がないため、当駅から先は1列車のみ入れる(八木沢駅で交換施設が設置される予定であるが、現時点では着工されていない)。
A上田丸子電鉄西丸子線の下之郷駅 - 宮前駅間の廃線跡。田圃の中に廃線跡が残る。
 B宮前駅(みやまええき)は、かつて長野県小県郡塩田町(現在の上田市下之郷)にあった上田丸子電鉄西丸子線の駅(廃駅)である。駅構造は下之郷駅と石神駅の間は、現在の長野県道82号別所丸子線に沿って走っていたのにもかかわらず、下之郷駅から出てまもなくの所に設置されていた。駅は、待合室とホーム一面があるだけの無人駅であった。営業キロは、下之郷駅起点0.4km。路線の廃止後バス路線となったが、後にバス路線も廃止された。現在の駅跡地は道路となっており、駅の痕跡は全く見られない。
C上田丸子電鉄西丸子線の宮前駅 - 石神駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用。
 D石神駅(いしがみえき)は、かつて長野県小県郡塩田町(現在の上田市)にあった上田丸子電鉄西丸子線の駅(廃駅)である。現在の下之郷地籍の南部、石神地区の脇に駅が設置されていた。駅は東塩田村役場(後に塩田町役場の東塩田支所となるが廃止)・村立(別所・中西両塩田村と合併後は塩田町立、現在は上田市立)東塩田尋常高等小学校・国民学校・小中学校・小学校に近かったが、駅は一面ホーム、待合室のみの無人駅であった。営業キロは、下之郷駅起点1.4km。
E上田丸子電鉄西丸子線の石神駅 - 東塩田駅間の廃線跡。道路転用はここまで。
 F東塩田駅(ひがししおだえき)は、かつて長野県小県郡塩田町(現在の上田市)にあった上田丸子電鉄西丸子線の駅(廃駅)である。当駅は旧小県郡東塩田村・富士山村→東塩田村→塩田町唯一の駅舎設置・駅員配置・交換駅であった。上田丸子電鉄西丸子線が上田温泉電気軌道依田窪線として開業した当時は中間駅で、駅舎を持ちつつ駅員を配置し、交換設備を持った駅は御岳堂駅と当駅の2つだけで廃止まで一貫していた。駅は変則的な構造で駅舎の隣に西丸子駅方面=下りのホームをもち、真正面に下之郷駅方面=上りのホームを持つという仕組みであった。すなわち変則2面式ホームであった。営業キロは、下之郷駅起点1.9km。廃止後、駅跡地及び路線跡は農地改良事業により整理され、田圃ならびに住宅地となって跡形もなくなっている。路線の廃止後、東塩田と鈴子の2つのバス停留所が設置された。結果的には、当駅は2つの停留所として分割・継承されたことになる。
G上田丸子電鉄西丸子線の東塩田駅 - 富士山駅間の廃線跡。小川に橋台が残る。
 H富士山駅(ふじやまえき)は、かつて長野県小県郡塩田町(現在の上田市富士山)にあった上田丸子電鉄西丸子線の駅(廃駅)である。当駅は一面ホーム、待合室のある有人駅。下之郷駅起点2.6km。上田市立塩田中学校の最寄り駅でであった。駅舎に住居が併設されており、駅員が在住していた。路線の廃止後はバス停留所となっている。また、駅跡は老朽化は進んでいるが完全な形で残っており、現在も民家の物置として使用されている。
I上田丸子電鉄西丸子線の富士山駅 - 馬場駅間の廃線跡。
 J馬場駅(ばっぱえき)は、かつて長野県小県郡塩田町(現在の上田市)にあった上田丸子電鉄西丸子線の駅(廃駅)である。小県郡富士山村→東塩田村・塩田町富士山地区の東部集落である馬場(ばっぱ)地区にあった。駅は一面ホーム、待合室があるだけの無人駅であった。営業キロは、下之郷駅起点3.0km。駅跡はホームが残り、待合室は近隣農家が倉庫として活用しているが朽ち果てている。なお、駅廃止後は同名のバス停留所が設置された。路線が存在していた時代は無集落地帯であった依田駅との区間だが、廃止から20年後に開発が進み、現在は観光農園・工業団地が配置され無集落地帯ではなくなっている。
K上田丸子電鉄西丸子線の馬場駅 - 依田駅間の廃線跡。
L上田丸子電鉄西丸子線の馬場駅 - 依田駅間の廃線跡。
 当線最大の難工事が二ツ木トンネルである。馬場駅と依田駅との間にそびえる二ツ木峠を貫くトンネルは、上田温泉電気軌道が手掛けた最初のトンネル工事であるが、トンネル工事技術の発達していなかった時代の工事であり、その事が上田市と丸子町を結ぶ路線としての工事を先に進めたために開通が遅れ、結果意味をなさなくなった遠因になっている。二ツ木トンネルを抜けると上り方面からは塩田平の田園風景が目前にせまり沿線の名物に数えられていた。ちなみにトンネルは完成時手掘りで掘った所を石で組んだ形であったが四十雀=始終から電車と揶揄されるほどの赤字路線であったためコンクリートを吹き付けて補強する予算が組めず1961年6月25日の梅雨前線豪雨による崩落を招いた。結果1961年6月29日の運行休止(事実上の廃止)に至っている。二ツ木トンネルは廃止後、道路トンネルに改修されることなく放置され前駅跡側が工業団地として造成されることとなったため、埋められてしまい跡形もない。現在あった事を示すものとして「二ツ木隧道の碑」がある。
M上田丸子電鉄西丸子線の馬場駅 - 依田駅間の廃線跡。(モハ525形)
M上田電鉄別所線の主力電車(丸窓電車)として昭和3年から昭和61年まで走っていた。
M上田電鉄別所線の主力電車(丸窓電車)の展示品。
M上田電鉄別所線の主力電車(丸窓電車)の展示品。舞田駅の駅名標。
M上田電鉄別所線の主力電車(丸窓電車)の展示品。舞田駅他。
 N依田駅(よだえき)は、かつて長野県小県郡丸子町(現在の上田市)にあった上田丸子電鉄西丸子線の駅(廃駅)である。小県郡依田村(→丸子町)大字依田の北西地域原地籍の南部、南原集落にあった。駅は一面ホームがあるだけの無人駅であった。営業キロは下之郷駅起点5.7km。駅の廃止後バス停留所となっているが継承したバスは集落名を取り「南原停留所」と改称している。
 O御岳堂駅(みたけどうえき)は、長野県小県郡丸子町(現在の上田市御岳堂)にあった上田丸子電鉄西丸子線の駅(廃駅)である。当駅は、小県郡依田村(後の丸子町依田)の最大集落、御岳堂にあった。駅舎設置・駅員配置の交換駅で、相対式ホーム2面2線を有した。営業キロは、下之郷駅起点6.4km。駅の廃止後は、バス停留所となっている。上田丸子電鉄西丸子線が名実共に廃止されたのは、1963年11月1日の事だが、路線の廃止後、丸子町は稲作農業を容易にするために田圃を四角く整理する農地改良事業を行い、西丸子線の路線跡が一部を除き跡形もなくなった。農地改良事業が路線があったことすらも忘れさせる要因となったといえよう。
 P川端駅(かわばたえき)は、かつて長野県小県郡丸子町(現在の上田市)にあった上田丸子電鉄西丸子線の駅(廃駅)である。当駅はホーム一面と待合室があるだけの無人駅であった。営業キロは下之郷駅起点7.1km。西丸子線は、上田温泉電気軌道によって同社の依田窪線として開業しているが、同社では小県郡依田村川端に駅を設置した際、駅を設置した証として石碑を建てたという。廃止後、駅は解体されたが石碑だけは撤去されず、駅があった事を示す遺構として知られている。
Q上田丸子電鉄西丸子線の川端駅 - 寿町駅間の廃線跡。
 R寿町駅(ことぶきちょうえき)は、かつて長野県小県郡丸子町(現在の上田市)にあった上田丸子電鉄西丸子線の駅(廃駅)である。当駅は、ホームが一面、待合室があるだけの無人駅であった。営業キロは、下之郷駅起点7.5km。上田丸子電鉄西丸子線の駅は廃止後消滅しているか完全な形で残っていないケースがほとんどだが当該駅は駅跡が完全な形で残っている唯一の駅である。それは廃止後線路付近を道路として整備したためで、廃駅後待合室をバスの待合所に活用。上電バスと千曲バスの寿町停留場として現存する形で現在に至っているからである。
 S河原町駅(かわらまちえき)は、かつて長野県小県郡丸子町(現在の上田市)にあった上田丸子電鉄西丸子線の駅(廃駅)である。当駅は一面ホームと待合室があるだけの無人駅であった。営業キロは、下之郷駅起点7.9km。駅の廃止後はバス停留所となっているが、西丸子線の駅からそのまま停留所となっているのは当該駅が最後である。
@上田丸子電鉄西丸子線の河原町駅 - 西丸子間の廃線跡。
 A西丸子駅(にしまるこえき)は、かつて長野県小県郡丸子町(現在の上田市)にあった上田丸子電鉄西丸子線の駅(廃駅)で、同線の終点駅である。当駅は駅舎と一本のホーム、そしてホームの手前には留置線があった。終点駅で有人駅、かつ丸子町市街地にありながら非常に簡素な駅で、いつも閑散としていた。しかし常楽寺北向観音の二年参りには丸子線の丸子町駅から応援部隊がやってくるほどの賑わいを見せていた。営業キロは、下之郷駅起点8.6km。
 A路線廃止後、バス路線となっているがバス路線となって以降は前駅河原町駅の後身である河原町停留所から直接丸子町駅へ行くルートに変更されたため西丸子停留所は設置されなかった。駅跡地は現在、上田市丸子消防署の駐車場となり、駅の痕跡は全く見当たらない。
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出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『上田市』を掲載」
廃線探索 上田丸子電鉄西丸子線