更新日時 2009年12月31日
愛宕山鉄道鋼索線(あたごやまてつどうこうさくせん)は、清滝川駅から愛宕駅までのケーブルカー(鋼索鉄道)を戦前に運営していた鉄道事業者。京阪電気鉄道と京都電燈の共同出資会社であった。愛宕山の愛宕神社へ向かう参詣路線として建設され、あわせて同社の手により山麓の清滝に清滝遊園地が、また愛宕山にホテルや飛行塔のある愛宕山遊園地、スキー場、テント村などが設置されて賑わった。しかし、世界恐慌の影響で業績が下降したため、京阪電気鉄道と京都電燈の手で再建が試みられた。その後、戦時中に全線が不要不急線に指定されたことから廃線となり、戦後も復活することはなかった。廃線と同時に、ホテルなどの観光施設もすべて閉鎖され自然に還ることとなり、愛宕山地区のリゾート施設は幻と消えてしまった。鋼索線の遺構も清滝川駅跡地や線路跡、愛宕駅の駅舎建物などが残存しているが、愛宕駅舎は崩壊しかけており、また6つあるトンネルのうち2つは内部が崩壊していて、非常に危険な状態になっている。橋梁などその他のコンクリート製構造物も風化が進んでおり崩壊の危険がある。中には片側が完全に崩壊している(レールのセメントは現存)ものもある。 | |
鋼索線 路線距離:清滝川 - 愛宕間2.13km 軌間:1067mm(狭軌) 駅数:2 高低差:638.83m | |
@渡猿橋 | @旅館の廃屋だろうか? |
@清滝川。 | @愛宕山神社に向かう参道。 |
A愛宕山神社鳥居。 | A清滝川駅跡へ登る道。 |
Aケーブル清滝川駅跡。石段を登った先の空き地は、愛宕山鉄道鋼索線(愛宕ケーブル)清滝川駅が有った場所で、平屋建ての立派な駅舎が立っていた。昭和4年(1929年)、平坦線(嵐山〜清滝)と同時に敷設された鋼索線は全長約2qで、「延長東洋一のケーブル」と宣伝されていた。約11分の乗車時間で山頂近くまでいけるケーブルカーの定員は、2両編成で84人であった。同時期に作られたスキー場の影響もあって、乗車待ちの行列ができ、定員の倍以上の人数が乗り込んだため、当初はよく故障したという。昭和19年(1944年)愛宕山鉄道平坦線と同様に鉄供出のため撤去され、現在は軌道やトンネル、駅舎の跡が往時をしのばせる。 | |
A清滝川駅跡。左側に石段が見える。 | |
A清滝川駅跡。左に見えるのは一般の民家。 | |
A清滝川駅跡−愛宕山第一トンネル間の軌道跡。 | |
A清滝川駅跡−愛宕山第一トンネル間の軌道跡。 | |
B清滝川駅跡−愛宕山第一トンネル間の軌道跡。高架橋。 | |
B清滝川駅跡−愛宕山第一トンネル間の軌道跡。 | |
B愛宕山第一トンネル。清滝川駅側。 | |
B愛宕山第一トンネル。清滝川駅側。 | |
B愛宕山第一トンネル。愛宕駅側。 | |
愛宕山第二トンネル。清滝川駅側。 | |
愛宕山第二トンネル。清滝川駅側。 | |
愛宕山第二トンネル。愛宕駅側。 | |
高架橋。 | |
高架橋脇の支柱跡。 | |
愛宕山第三トンネル。清滝川駅側。 | |
愛宕山第三トンネル。清滝川駅側。内部は崩落している。 | |
愛宕山第三トンネル。清滝川駅側。トンネル内の側壁は亀裂が入り今にも崩落しそうだ。 | |
愛宕山第三トンネルの迂回路。 | |
愛宕山第三トンネル。愛宕駅側。内部は閉塞しているため、ミスト状の霧が立ちこめている。 | |
愛宕山第三トンネル。愛宕駅側。 | 第三トンネル−第四トンネル間。 |
愛宕山第三トンネル−第四トンネル間。 | |
愛宕山第三トンネル−第四トンネル間の高架橋。 | |
愛宕山第四トンネル。清滝川駅側。 | |
愛宕山第四トンネル。愛宕駅側。トンネル内の一部が交換用に複線化している。 | |
愛宕山第四トンネル−第五トンネル間の高架橋。交換用に複線化している。中間地点。 | |
愛宕山第四トンネル−第五トンネル間。 | 愛宕山第四トンネル−第五トンネル間から見える景色かなりの高度を登ってきている。 |
愛宕山第四トンネル−第五トンネル間。 | 愛宕山第五トンネル。清滝川駅側。 |
愛宕山第五トンネル。清滝川駅側。内部は閉塞している。 今回は時間の関係で一旦撤収。元来た軌道跡を帰る。 |
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