更新日時 2010年06月04日

 大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線。禁野火薬庫(きんやかやくこ)とは、現在の大阪府枚方市禁野本町にあった日本陸軍の火薬庫の通称である。大村益次郎が構想、1896年10月に完成し、綿火薬庫、弾薬庫等の建物が20数棟建てられた。1933年には43ヘクタールの規模となる。1938年、禁野火薬庫に隣接して陸軍造兵廠大阪工廠枚方製造所が開設、砲弾・火薬製造の一大拠点となる。2度の爆発事故により、1940年には新しく開設した大阪陸軍兵器補給廠祝園支処へ一部の施設が移転された。1956年跡地には中宮団地が造成された。現在は記念碑として火薬庫を囲んでいた土塁が残されている。軍用鉄道跡は枚方市の愛称道路「中宮平和ロード」と名付けられ、軍用電柱や陸軍用地の石柱が保存されている。1936年 「大阪陸軍兵器支廠禁野倉庫」に改称。片町線津田駅から専用線敷設。
 @津田駅(つだえき)は、大阪府枚方市津田駅前一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)片町線(学研都市線)の駅である。戦前には当駅から陸軍中宮演習場(通称・禁野火薬庫)との間に専用線が敷設されていた。跡地は国道307号のバイパスと遊歩道『中宮平和ロード』なっている。
 @津田駅構造は相対式2面2線のホームを持つ地上駅。しかしホーム両側に待避線設置用のスペースがあり、いつでも2面4線に改造できるようになっている(現在は保線車両の留置スペースとなっている)。傾斜面上にホームがあるため、駅舎のあるフロアからホームへは階段を登る必要がある。なお、当駅はジェイアール西日本交通サービスによる業務委託駅となっている。
A津田踏切より撮影。ここから分岐していた様だ。
A廃線跡は大阪マルヰガス株式会社の駐車場に転用されている。
B大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線廃線跡は一般道に転用されている。
C大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線廃線跡。
D大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線廃線跡。
E大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線廃線跡。
F大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線廃線跡(平和ロード)
Fなぜ、廃線跡にはセンスの無いモニュメントが多く有るのだろう(笑)
F大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線廃線跡(平和ロード)
G大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線廃線跡(平和ロード)
 H半鐘:昔この道に建てられていた火の見櫓が、現代によみがえりました。ゆっくりと流れる充実の時間を、半鐘が呼び戻してくれるようです。日々の暮らしの楽しいアクセントです。
 Iパーゴラ:青空にうかぶ不思議な船。京都伏見と大阪八軒屋(現在の京阪天満橋駅付近)をのどかに往復した三十石船の形です。乗客のざわめきや船頭の舟唄も聞こえてきそうなパーゴラが人々の思いを江戸時代へと運んで行きます。
J大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線廃線跡(平和ロード)
 K軍用電柱:戦火が激しくなった昭和19年、陸軍にとって非常に重要である禁野火薬庫に専用鉄道に沿って当時では稀な鉄筋コンクリート製の軍用電柱が埋設されました。平和ロードに移設されたこの一本は戦争の残骸として存在し、私たちに戦争が再び行われてはいけないよう戒めるものであります。
 Kトレリス:かつて陸軍造兵廠枚方製造所と香里製造所で造られた砲弾や火薬を運んだ蒸気機関車を、楽しく夢いっぱいのトンネルに変身させました。枚方の昔へ、平和な世界へ、私たちをいざなう機関車です。レールの向こうに見えて来るものは?豊かな未来。高い理想。懐かしい風景・・・・。さあ、どこまでも。
L大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線廃線跡(平和ロード)
M大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線廃線跡(平和ロード)
M大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線廃線跡(平和ロード)
Nこの先は小松製作所大阪工場へ続いている。
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廃線探索 大阪陸軍造兵廠枚方製造所専用線