更新日時 2016年03月10日

廃線探索 中舞鶴線
 中舞鶴線は、日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線の通称。線路名称上は舞鶴線の支線であった。京都府舞鶴市にある舞鶴線東舞鶴駅からスイッチバックして入線し、同市の中舞鶴駅までを結ぶ路線であった。中舞鶴線の建設目的は、舞鶴鎮守府の兵員ならびに軍需資材の輸送を主な使命とし、舞鶴港線とともに国策として建設され、1919年(大正8年)に国鉄線として営業を開始した。戦後も特殊貨物輸送で賑わいを見せたが、その後に国道27号線が整備され、輸送量は減少、国鉄も鉄道の使命は終わったものとし、1972年(昭和47年)に廃止された。廃止当時の営業係数は934だった。旅客列車では福知山機関区(現・福知山運転所)所属のキハ17形気動車2両編成が使用され、宮津線と共通運用が組まれていた。貨物列車では西舞鶴機関区(現・北近畿タンゴ鉄道西舞鶴運転区)所属のC12形蒸気機関車が貨物列車を牽引していた。
中舞鶴線(1972年廃止)
東舞鶴駅 (0.0km) - 北吸駅 (1.6km) - 中舞鶴駅 (3.4km)
 @東舞鶴駅(ひがしまいづるえき)は、京都府舞鶴市浜町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅である。1901年(明治34年)に日本海側唯一の軍事拠点として開府した舞鶴鎮守府を中心にして軍都として急速に発展した街であり、第二次世界大戦までは度々皇族が訪れたことから貴賓室が設置される程の大きな駅舎を有していたほか、戦後は大陸から舞鶴港への引揚者が当駅より各地へと帰還した。現在は京都府北部における行政の中心都市として官公庁が集中することから、出張利用が多い。なお1972年(昭和47年)までは中舞鶴線などの支線や多くの留置線を有しており構内は広かったが、支線は高架化に伴い撤去され、現在は跡地に高層マンションなどが建設されている。
 @東舞鶴駅構造は現在の駅舎は1996年(平成8年)の高架化に伴う立替で新築されたもので、島式ホーム1面2線を有する高架駅。駅構造は途中駅(交換可能駅)の面持ちである。7両編成に対応。基本的にホームの西舞鶴寄りに福知山方面行きが、小浜寄りに敦賀方面行きが停車する。なお、同一線路に2つの列車が縦列停車することがある。ホーム内では駅弁の販売は行われていないが、改札を出て1階にはキヨスクの他に喫茶店や駅弁販売所、舞鶴市観光案内所がある。また、1階の改札口からはエスカレーターの他にエレベーターも設置されており、バリアフリー化されている。始発から終電まで終日駅業務が行われている。直営駅(西舞鶴駅の被管理駅)で、みどりの窓口設置駅。
A中舞鶴線の東舞鶴駅 - 北吸駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用されている。
B中舞鶴線の東舞鶴駅 - 北吸駅間の廃線跡。廃線跡は道路に転用されている。
C中舞鶴線の東舞鶴駅 - 北吸駅間の廃線跡。廃線跡はこの先遊歩道になっている。
D中舞鶴線の東舞鶴駅 - 北吸駅間の廃線跡。廃線跡は遊歩道に転用されている。
E中舞鶴線の東舞鶴駅 - 北吸駅間の廃線跡。北吸トンネルの東舞鶴側。
F中舞鶴線の東舞鶴駅 - 北吸駅間の廃線跡。北吸トンネルの北吸駅側。
G中舞鶴線の東舞鶴駅 - 北吸駅間の廃線跡。
H中舞鶴線の東舞鶴駅 - 北吸駅間の廃線跡。
I中舞鶴線の東舞鶴駅 - 北吸駅間の廃線跡。
 J北吸駅(きたすいえき)は、かつて京都府舞鶴市北吸に存在した日本国有鉄道(国鉄)舞鶴線支線(通称中舞鶴線)の駅である。駅構造は1面1線の簡素なホームのみをもつ地上駅。当時から舞鶴市役所への最寄駅であった。
K中舞鶴線の北吸駅 - 中舞鶴駅間の廃線跡。
L中舞鶴線の北吸駅 - 中舞鶴駅間の廃線跡。
M赤レンガ倉庫の各倉庫にはトロッコレールが敷かれている。
M赤煉瓦倉庫五号棟。 M赤煉瓦倉庫二号棟。
M赤煉瓦倉庫参号棟。 M赤煉瓦倉庫四号棟。
M赤煉瓦倉庫五号棟内部にトロッコレールが敷かれている。
N赤煉瓦倉庫六号棟。六号棟内部は立入禁止になっている。
N赤煉瓦倉庫六号棟にもトロッコレールが敷かれている。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
出典: 「国土地理院の電子国土Web(地図画像)『舞鶴市』を掲載」