更新日時 2010年06月12日
水浜線(すいひんせん)は、かつて茨城県の水戸市と那珂湊市(現在のひたちなか市)を結んでいた、茨城交通の路面電車である。1966年に全線が廃止された。 併用軌道と専用軌道が混在していて、水戸駅前と上水戸が接続駅となっていた。 路線距離:上水戸〜湊間 20.5km 軌間:1,067mm 駅数:36駅(起終点駅含む) 複線区間:なし(全線単線) 電化区間:全線電化(直流600V) 併用軌道区間:公園口〜水戸駅前、東柵町〜浜田間 上水戸−谷中−馬口労町入口−一中前−砂久保町−公園口−大工町−泉町三丁目−泉町一丁目−泉町広小路(廃止時は南町四丁目)−南町三丁目−局前−水戸駅前−本社前(廃止時は柵町)−三高下−一高下−東柵町−本一丁目−本三丁目−本五丁目−浜田−谷田−六反田−栗崎−東前−大串−稲荷小下−塩ヶ崎−平戸−磯浜−大貫−曲松−仲町(廃線前に廃駅)−東光台−大洗−祝町−願入寺入口−海門橋−湊 |
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@現在の海門橋 湊側から撮影 | A海門橋の歴史を語る看板 ↓その内容 |
那珂川の河口に明治28年(1895年)11月、初めて橋が架けられ海門橋と名付けられました。明治31年(1898年)3月に2代目が、大正7年(1918年)12月に3代目が再架橋されましたが、大正15年(1926年)9月、突如大音響とともに橋の大部分が墜落してしまいました。直ちに修理をしましたが、木造故に漁船が触れれば橋脚がたちまち折れるような状態のため架け替えることになり、昭和5年11月に4代目の海門橋が完成しました。 この再架橋された橋は長さ約200m、幅11mの鉄筋コンクリートアーチ型で、中央に水浜電車が通り、川面に雄大優美な姿が映え、当寺に人々からは「虹のかけ橋」として絶賛され県下一の美橋となりました。 しかし、この橋も残念なことに昭和13年6月の大暴風雨で那珂川が増水し墜落崩壊してしまいました。それから何度かの架橋計画がありましたが、洪水や戦争のため長く実現できず、昔のような不便な渡し船時代が続きました。 地元の猛烈な請願運動により昭和30年に再架橋が決定し、当寺の橋梁技術を結集し昭和34年(1959年)7月に総延長670m、幅員7.5m、水面からの高さが15mもある現在の海門橋(5代目)が完成しました。 風光明媚な那珂川や太平洋と相まって多くの文人に親しまれた海門橋は、与謝野晶子が3代目を短歌で詠み、小山いと子は小説「関門橋」において4代目の姿を描写しています。 |
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A初代海門橋 | A2代目海門橋 |
A手前3代目、奥4代目海門橋 | B現在の海門橋 5代目 |
B下に4代目の海門橋の橋脚と思われるコンクリートが見える | B4代目の海門橋の橋脚と思われるコンクリート |
B4代目の海門橋の橋脚と思われるコンクリート | C水浜線廃線跡と思われる |
D財団法人常陽明治記念会敷地 | D水浜線廃線跡と思われる |
D関係ないと思うが電車が展示されていた | D郵便差出箱(郵便ポスト)昭和26年製 |
E水浜線廃線跡と思われる | F水浜線廃線跡と思われる |
F水浜線廃線跡と思われる | Fここに橋が架かっていたと思われる |
G対岸側 | G水浜線廃線跡と思われる |
H水浜線廃線跡と思われる | I水浜線廃線跡と思われる |
J水浜線廃線跡と思われる | K枕木が使われていた |
L水浜線廃線跡と思われる | L高速道路の下を潜る |
M水浜線廃線跡と思われる | N水浜線廃線跡と思われる |
O香取神社 六反田町 | P水浜線廃線跡と思われる |
P水浜線廃線跡と思われる | P境界杭 水浜と書いてある |
P水浜線廃線跡と思われる | P水浜線廃線跡と思われる |
P水浜線廃線跡と思われる | P水浜線廃線跡と思われる |
Q水浜線廃線跡 小さな橋が架かっていたと思われる | Q水浜線廃線跡と思われる |
R国道6号線の下を潜る | S現在人道橋になっている |
S水浜線のガーター橋が残っている、橋脚もしっかりしている | |
S水浜線廃線跡と思われる | @桜川を渡る水門橋への道が水浜線の廃線跡。 |
@桜川を渡る水門橋は昭和38年11月竣工。 | |
@桜川を渡る水門橋に水浜線の軌道敷跡が残る。 | |
@桜川を渡る水門橋脇に水浜電車軌道敷跡の記念碑が建っている。水浜電車は、大正11年(1922年)浜田−磯浜間の8.7qで営業を開始し、昭和5年(1930年)には袴塚−湊間に路線を延長した。大正〜昭和期の40数年にわたり、市民や海水浴客に利用され親しまれた水浜電車であったが、自動車交通の発達により、昭和41年にその姿を消した。現在ここに、軌道敷の一部が残されている。この水門橋は昭和38年11月竣工なので、竣工後3年あまりで廃止になった。 | |
@水浜線はこの道路を真っ直ぐ進み、常磐線の線路沿いに水戸方向へ進んでいた。 | |
A五本松踏切から国道51号線の常磐線を渡る橋へ築堤で登って行ったと地元のお婆さんが言っていました。 | |
A国道51号線の常磐線を渡る橋へ築堤で登って行った。 | |
A国道51号線の常磐線を渡る橋。 | |
B国道51号線の一高下。水浜線の廃線跡。 | |
B国道51号線の下を水郡線が潜る。水浜線と立体交差していたのであろう。 | |
B国道51号線の三高下。水浜線の廃線跡。 | |
B国道51号線の水浜線の廃線跡。 | |
B国道51号線の水浜線の廃線跡。 | |
B国道51号線の水戸駅へ向かう道。 | |
B水戸駅前。 | |
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