更新日時 2009年12月21日
南総鉄道(なんそうてつどう)は、かつて千葉県に存在した鉄道路線およびその運営会社である。房総線(現在の外房線)茂原駅と小湊鉄道鶴舞町駅(現在の上総鶴舞)を結ぶ房総半島横断路線として計画されたが、途中の市原郡内田村(現在の市原市)の奥野まで開業したのみで、経営の不振により部分開業から8年半後の1939年に廃止された。千葉県茂原町(現・茂原市)から庁南町(現・長南町)にかけては1909年(明治42年)から庁南茂原間人車軌道が走っていたが、徐々に時代遅れのものになってきており、1923年(大正12年)になると地元ではこれに見切りをつけて蒸気鉄道の建設を計画する。こうして、1926年(大正15年)に南総鉄道株式会社が資本金438,750円で設立された。社長は豊栄村の開業医で長生郡議会議員でもあった糸井玄。本社は当初茂原町内に置かれたが、後に笠森寺駅構内に移転した。同年、第一期工事として茂原-笠森寺間が着工。しかし資金的な困難にぶつかり、最終的に鉄道連隊の助力を得ることで1930年(昭和5年)8月1日に同区間を開通させた。開業当初は旅客輸送のみを気動車(ガソリンカー)で行なったが、すでにバス輸送が浸透していたことなどもあって経営は苦しいものであった。1933年(昭和8年)には笠森寺-奥野間を延長開業させるが、乗客が増えるどころか建設費が負担になって赤字が増加してしまう。その後も、蒸気機関車を導入しての貨物輸送、路線バス事業への進出、笠森寺付近での小遊園地建設などさまざまな経営改善策が取られたが状況は好転せず、給料が払えないことから従業員が社長宅に押しかけたり、石炭が買えないので薪をたいて蒸気機関車を走らせるといった事態が起こるほどになった。こうして、1939年(昭和14年)3月1日、茂原 - 奥野間の全線が廃止された。廃線後の路盤は農道などに転用されたほか、上総蔵持-深沢間のトンネルは拡幅されて現国道409号のトンネルとなった。なお、バス部門は鉄道廃線後も笠森自動車として営業を続けたが、1944年(昭和19年)に戦時統合によって小湊鉄道バスに統合された。茂原-奥野間に11往復、笠森寺-奥野間に2往復の旅客列車が運行されていた。全線の所要時間は33分で、運賃は31銭であった。旅客輸送は通常全てガソリンカーが行なったが、笠森寺御開帳の日には房総線からの直通客車が入ることもあった。貨物輸送に関しては、取扱は行なっていたものの実際にはあまり運行されることはなかった。 | |
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駅一覧 茂原(もばら、開業当時は「もはら」)駅 - 上総高師(かずさたかし)駅 - 本茂原(ほんもはら)駅 - 昌平町(しょうへいちょう)駅 - 藻原寺(そうげんじ)駅 - 箕輪学校前(みのわがっこうまえ)駅 - 上茂原(かみもはら)駅 - 須田(すだ)駅 - 米満(よねみつ)駅 - 豊栄(とよさか)駅 - 千田(せんだ)駅 - 長南元宿(ちょうなんもとじゅく)駅 - 長南(ちょうなん)駅 - 上総蔵持(かずさくらもち)駅 - 深沢(ふかさわ)駅 - 笠森寺(かさもりじ)駅 - 稚児関(ちごせき)駅 - 奥野(おくの)駅 |
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@JR茂原駅 | @茂原駅の高架の下が南総鉄道の廃線跡? |
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@高架下を・・・ | A右の柵がJRとの境界杭・・目の前の敷地が廃線跡? |
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A柵の部分にJRの境界杭 | Aこの側道部分が廃線跡? |
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A緑の柵の部分がJRとの境界・・・明らかに余分なスペースがある。 | |
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Aニャーが・・・ | |
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Aニャーがこちらを向いている・・・ | Aここから余分なスペースが無くなる為、左の家の部分が廃線跡か・・・ |
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Bこの辺からJRと離れて行く・・・(添付地図参照) | |
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C左の高い建物が市役所 | C豊田川この何処かに橋が架かっていたのだろうが、橋台跡等は見つからなかった。 |
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D茂原市立西小学校を過ぎた辺りから廃線跡が続く・・・約1.7kmの直線が続く・・・ | |
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Eこの道を歩いていたご老人に聞いたら、間違いなくここが廃線跡と聞いた。 昔は離れた場所から手を挙げると列車が止まってくれたそうだ。 |
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Fこの先のルートが不明・・・箕輪学校前(みのわがっこうまえ)駅はこの辺? | |
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Fこのカーブは廃線跡か・・・ | Gこの左側の微妙なカーブが廃線跡か・・・ |
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G左に入るルートがありその先が川になっている | H川の対岸・・・橋台らしき物は見つけられなかった。 |
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Hこの道が廃線跡か? | |
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Hこの道が廃線跡か? | I409号線を渡る・・・須田駅近く |
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J未舗装のこの道路が廃線跡? | |
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K農道が廃線跡らしい・・・約1Kmの直線道路が続く | |
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K農道が廃線跡らしい・・・米満(よねみつ)駅がこの辺に? | |
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L廃線跡が家の敷地になっている | |
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L廃線跡が畑になっているが、他の部分より高い | L盛り土部分が廃線跡・・・ |
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L明らかに盛り土になったいるところが廃線跡 | L廃線跡は畑とガソリンスタンドに・・・ |
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Lこの敷地スペースが廃線跡・・・豊栄(とよさか)駅はこの辺か? | |
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M右の盛り土が廃線跡 | M盛り土が切れたところに橋台が・・・ |
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M盛り土部分が廃線跡・・・住宅が建っている | M南総鉄道最大の遺構 |
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M橋台 | M対岸の橋台 |
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M盛り土部分が廃線跡 | M橋台 |
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M国道409号線の橋から撮影 | M対岸から橋台を撮影 |
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M竹林が橋台の有るところ | M奥の竹林が橋台の有るところ |
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N道路と境界杭の間が廃線跡の様だ・・・ | N境界杭が・・・ |
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N右のスペースが廃線跡か? | N左のスペースが廃線跡か? |
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N左のスペースが廃線跡か? | N枕木が使われている・・・ |
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O左の旧道へ・・・こちらが廃線跡か? | O右 旧道・・・こちらが廃線跡か? |
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P右の牛久方面へ | P旧南総鉄道の車輌か? |
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Qかつてのトンネルは拡張され、国道409号線のトンネルになっています。 笠森第一隧道。 | |
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Q笠森第二隧道。 | |
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R奥に笠森寺が見える | R笠森バス停:この変に笠森寺駅が・・・ |
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S笠森第三隧道。 | |
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