軽井沢-横川間 旧信越本線廃線(上り)

更新日時 2009年12月21日

 横川駅 - 軽井沢駅間は一部の区間が遊歩道として整備されている。また、安中市松井田町の財団法人碓氷峠交流記念財団により、同駅間の廃線跡で、同財団の運営する「碓氷峠鉄道文化むら」の園内遊具として、「ぶんかむら駅 - まるやま駅 - とうげのゆ駅」においてトロッコ列車を運行している。現在、同財団と安中市は国土交通省と協議を行い、同財団を鉄道事業法における特定目的鉄道の正規鉄道事業者に昇格させ、同駅間の廃線を復活させる計画がある。2006年10月に鉄道事業法の認可を目指し、早ければ2007年10月の開業とJR横川駅への乗り入れを目標としていたが、計画は凍結状態にあり認可・開業時期とも未定となっている。
廃止区間
横川駅 - 丸山信号場 - 熊ノ平信号場 - 矢ヶ崎信号場 - 軽井沢駅
丸山信号場と矢ヶ崎信号場はこの区間の廃止以前に廃止。
過去の探索履歴リンク
2008年05月吉日探索の旧信越線軽井沢駅−横川駅間新線下り線-1
2008年05月吉日探索の旧信越線旧線 めがね橋−熊ノ平間(遊歩道整備前)
2008年06月吉日探索の旧信越線軽井沢駅−横川駅間新線上り線
2009年04月吉日探索の旧信越線軽井沢駅−横川駅間新線下り線-2
2009年04月吉日探索の駅からハイキング 横川駅−めがね橋間(アプトの道)
2009年12月吉日探索の旧信越線旧線 横川駅−めがね橋間(アプトの道)
2011年04月吉日探索の旧信越線旧線 めがね橋−熊ノ平間(アプトの道)(遊歩道整備中)
2012年08月吉日探索の旧信越線旧線 横川駅−熊ノ平間(アプトの道)
2015年07月吉日探索の旧信越線旧線 坂城駅 - 戸倉駅間
大宮駅にてEF64 37 あけぼの 大宮駅から新幹線にて軽井沢へ
@旧軽井沢駅舎  @軽井沢旧駅舎記念館の前で保存されているデキ12型電気機関車。13号機
 @デキ12形(12・13・15 - 24) 1920年米国ジェフリー社製の電気機関車。東京電燈が発電所建設工事用として使用したものを電化の際に譲り受けた。譲受後、運転室および従輪を設置してL字形に改造し、集電装置をトロリーポールから独特の形状のパンタグラフに交換した。1959年に老朽化により廃車となった14を除き廃線時まで使用された。
@旧軽井沢駅 @駅のホームの土管からねこやなぎが・・・
A使われていない踏切跡 Bここから、廃線跡に降りる
B旧信越本線上り線側(廃線)
C碓氷第18隧道(下り線)軽井沢側
碓氷第18隧道(下り線)
D碓氷第18隧道(下り線)横川駅側
D碓氷第17隧道(下り線)軽井沢駅側 L=37.5m 右:航空写真
E碓氷第17隧道(下り線)横川駅側 L=37.5m
E碓氷第16隧道(下り線)軽井沢駅側 L=106m
F碓氷第16隧道(下り線)横川駅側 L=106m
F碓氷第15隧道(下り線)軽井沢駅側 L=91.0m 竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
G碓氷第15隧道(下り線)横川駅側 L=91.0m 竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
G碓氷第14隧道(下り線)軽井沢駅側 L=59.7m 竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
H碓氷第14隧道(下り線)横川駅側 L=59.7m 竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
H碓氷第13隧道(下り線)軽井沢駅側 L=293.5m 竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
I碓氷第13隧道(下り線)横川駅側 L=293.5m 竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
I碓氷第12隧道(下り線)軽井沢駅側 L=183.5m 竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
J碓氷第12隧道(下り線)横川駅側 L=183.5m 竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
J碓氷第11隧道(下り線)軽井沢駅側 L=291.1m 当初はL=226.1m隧道を付け足した
竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
J継ぎ足しの部分
K碓氷第11隧道(下り線)横川駅側 L=L=291.1m 当初はL=226.1m隧道を付け足した
竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
K碓氷第10隧道(下り線)軽井沢駅側 L=71.4m 竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
L碓氷第10隧道(下り線)横川駅側 L=71.4m 竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
L旧国道の橋の欄干が見える川に埋もれている
L旧線跡(第13号橋梁) L旧線跡(第13号橋梁)
L旧線跡(第13号橋梁) L旧線トンネル
L碓氷第9隧道(下り線)軽井沢駅側 L=568.0m 竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
M碓氷第9隧道(下り線)横川駅側 L=568.0m 竣工 昭和40年8月31日 鹿島建設株式会社
M碓氷第8隧道(下り線)軽井沢駅側 L=173.2m 竣工 昭和40年8月31日 大成建設株式会社
N碓氷第8隧道(下り線)横川駅側 L=173.2m 竣工 昭和40年8月31日 大成建設株式会社
N碓氷第7隧道(下り線)軽井沢駅側 L=242.5m 竣工 昭和40年8月31日 大成建設株式会社
O碓氷第7隧道(下り線)横川駅側 L=242.5m 竣工 昭和40年8月31日 大成建設株式会社
O碓氷第6隧道(下り線)軽井沢駅側 L=235.3m 竣工 昭和40年8月31日 大成建設株式会社
P碓氷第6隧道(下り線)横川駅側 L=235.3m 竣工 昭和40年8月31日 大成建設株式会社
P碓氷第5隧道(下り線)軽井沢駅側 L=112.6m 竣工 昭和40年8月31日 大成建設株式会社
Q碓氷第5隧道(下り線)横川駅側 L=112.6m 竣工 昭和40年8月31日 大成建設株式会社
Q碓氷第4隧道(下り線)軽井沢駅側 L=117.9m 竣工 昭和40年8月31日 大成建設株式会社
R碓氷第4隧道(下り線)横川駅側 L=117.9m 竣工 昭和40年8月31日 大成建設株式会社
R熊ノ平駅 軽井沢方面を見る R工事中の様だ・・・
R工事中の様だ・・・
R旧熊ノ平駅は横川〜軽井沢間の中間停車場として誕生し、主な目的は給水、給炭と上下列車の行き違いであった。
 当初は、客車4往復、貨物5往復の運転であったが、明治33年(1,900年)7月に、横川−丸山間の複線工事が完成すると同時に、重油補機を用いて1日18往復に増加した。
 その後も、輸送量は増加し、合わせてトンネル内の煤煙からの解放のため、我が国初の電気機関車が運行された。また、線路の複線化が急務となり、昭和38年7月には碓氷新線が開通し、9月から全列車が粘着運転方式となり、アプト式運転が廃止された。
 これにより、旧熊ノ平駅もその使命を終え、昭和41年2月1日に廃止された。
 しかし、明治39年10月より、昭和41年2月までの60年間、関東と信州を結ぶ大動脈として活躍したこの駅は、旅人の旅愁をさそい、児童唱歌「紅葉」の歌誌が詠まれたのも、この駅周辺である。
(松井田町の熊ノ平駅の看板より)
R旧線トンネル。前回来たときは、トンネルが半分ぐらい埋まっていた。
めがね橋より遊歩道を延長するらしい。その為の工事を現在行っている。
R碓氷第2隧道(上り線)軽井沢駅側 L=896.0m 竣工 昭和37年12月31日 大成建設株式会社
ここから上り線へ碓氷第2隧道(上り線) 66.7‰の勾配
S碓氷第2隧道(上り線)横川駅側 L=896.0m 竣工 昭和37年12月31日 大成建設株式会社
新碓氷川橋梁 延長の形式 100.8m
鉄筋コンクリートアーチ橋 鉄筋コンクリートラーメン橋
施工 大成建設株式会社 竣工 昭和38年3月31日
旧新設線の下り線の橋とその奥にめがね橋が見える
S新碓氷第1隧道(上り線)軽井沢駅側 L=1.218.0m 竣工 昭和37年10月20日 前田建設工業株式会社
事故の傷跡 新碓氷第1隧道(上り線)L=1.218.0m
昭和50年10月28日午前6時7分頃起きた事故
の説明看板(鉄道愛好家が設置)
新碓氷第1隧道(上り線)横川駅側 L=1.218.0m 竣工 昭和37年10月20日 前田建設工業株式会社
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