更新日時 2009年12月21日
戦前陸軍の立川飛行場へ立川駅から敷設された3.2kmの路線。資材運搬専用で、戦後米軍に接収された後も1968年までジェット燃料輸送に使われた。1972年立川基地は全面返還され、不要となった線路は廃止された。立川飛行機は陸軍機専用メーカーである。中島飛行機の「隼」「疾風」「呑龍」やロッキード 14L輸送機などのライセンス生産(転換生産)を大規模に行っていた。特に「隼」は半数が立川で製造された。陸軍の練習機・偵察機などの開発試作を得意としていた。1930年(昭和5年)に陸軍航空技術研究所のある立川に工場を移転した為、依頼される事が多かった。最初は初等練習機「赤とんぼ」などを開発・製造していたが、長距離輸送機のライセンス生産・開発を通じて技術を取得し、大戦末期には高高度機の開発にも挑戦した。 | |
@JR東日本 立川駅 | |
AJR東日本 立川総合事務所は左写真の延長線上に。 | |
B右写真は貨物の操車場跡かと思ったら旧多摩青果市場跡。 | |
CJR中央本線からここで分岐していた様だ。この辺は国立市。 | |
C公園内を抜けて廃線跡は続く。この辺は国立市。 | |
Dこの辺は廻りの住宅街より廃線跡は高くなっている。この辺は国立市。 | |
D道路を渡り、引き続き廃線跡が続く。遊歩道になっている。この辺は国立市。 | |
Eレールを使用したモニュメントが廃線跡を伺わせる。この辺は国分寺市。 | |
Eこの辺は廻りが緑に囲まれている。この辺は国分寺市。 | |
F道路を渡り遊歩道が続く。昔は踏切だったのか?面影はもう無い。 | |
G国分寺市と立川市の境界。 | |
H立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。 | |
I立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。左、子供の銅像。右、栄緑地案内図。 | |
J立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。右、歴史と文化の散歩コース看板。 | |
K立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。800m距離表示。 | |
L立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。右、子供の銅像。 | |
M立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。 | |
N立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。小さな公園の様になっている。 | |
O立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。 | |
P立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。右、子供の銅像。 | |
Q立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。右、200m距離表示。 | |
R立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。右、100m距離表示。 | |
S立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。 | |
S立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地。右、栄緑道距離表示1600m。 | |
S立川市内の立川飛行機専用線跡。栄緑地はここで終わっている。 | |
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