更新日時 2010年02月10日
神永喜八、片寄平蔵らにより発見された明治時代初頭から、福島・茨城両県の海岸線に面する丘陵地帯にかけて大規模な炭鉱開発が行われた。これは、首都圏に最も近い炭鉱として注目されたためである。しかし硫黄分を多く含有し、純度の低い炭質(低品位炭)という不利な条件があり、さらに地層が激しい褶曲を受けているため、石炭層を求めて地下へとひたすら掘り下げる、高い掘削技術を要する炭鉱であった。昭和40年代以降ともなると、慢性的なコスト増で産出資源の競争力が失われ、更にマッチ用の燐、化学工業原料や火薬などの用途があった副産物の硫黄資源も、技術革新により石油の脱硫処理から硫黄がより容易に生産されるようになり、市場から駆逐された。各鉱は採算が次第に悪化。最後まで残った常磐炭礦(1970年より常磐興産)の所有する鉱山も1976年に閉山し、常磐興産は炭鉱業自体も1985年に撤退している。 | |
常磐炭礦専用鉄道神ノ山鉱線 開設 昭和21年(1946年)01月25日 廃止 昭和47年(1972年)11月20日 大津港(関本)駅〜北茨城市関本八反 全長 4.22q(大津港駅から)1.58q(分岐点から) |
関本炭礦専用線 開設 昭和21年(1946年)04月01日 廃止 昭和47年(1972年)11月20日 大津港(関本)駅〜北茨城市関本上林崎 全長 3.34q(大津港駅から) |
@大津港駅(おおつこうえき)は、茨城県北茨城市大津町北町にある東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。駅構造は2面3線のホームを有する地上駅。みどりの窓口(営業時間 6:00 - 20:00)、簡易Suica改札機設置駅。茨城県最北端の駅であり、取手から当駅までの各駅が茨城県に属する。当駅より北、勿来駅から新地駅までの各駅は福島県に属している。1897年(明治30年)2月25日 - 関本駅(せきもとえき)として開業。 1950年(昭和25年)5月10日 - 大津港駅に改称。 | |
@大津港駅(旧関本駅)構内には石炭の積み卸しに使われた専用線跡と思われるスペースが有る。 | |
A大津港駅(旧関本駅)から西北へ分岐した専用線はグランドの方向へ続いていた。 | |
B専用線はグランドを斜めに横切るとマルハ産業北茨城工場脇を通る。 | |
C常磐炭礦専用鉄道神ノ山礦線・関本炭礦専用線の廃線跡。 | |
D常磐炭礦専用鉄道神ノ山礦線・関本炭礦専用線の廃線跡。 | |
E常磐炭礦専用鉄道神ノ山礦線・関本炭礦専用線の廃線跡。 | |
F常磐炭礦専用鉄道神ノ山礦線・関本炭礦専用線の廃線跡。 | |
G常磐炭礦専用鉄道神ノ山礦線・関本炭礦専用線の廃線跡。 | |
H常磐炭礦専用鉄道神ノ山礦線・関本炭礦専用線の橋梁跡が残る。 | |
H常磐炭礦専用鉄道神ノ山礦線・関本炭礦専用線の橋梁跡が残る。 | |
H常磐炭礦専用鉄道神ノ山礦線・関本炭礦専用線の廃線跡。 | |
I常磐炭礦専用鉄道神ノ山礦線・関本炭礦専用線の廃線跡。 | |
J常磐炭礦専用鉄道神ノ山礦線・関本炭礦専用線の廃線跡。 | |
K神ノ山礦線と関本炭礦専用線分岐部。 | @関本礦専用線。 |
A関本炭礦専用線。 | B関本炭礦専用線。 |
L常磐炭礦専用鉄道神ノ山鉱線の廃線跡。 | |
M常磐炭礦専用鉄道神ノ山鉱線の廃線跡。 | |
N常磐炭礦専用鉄道神ノ山鉱線の橋梁跡が残る。 | |
N常磐炭礦専用鉄道神ノ山鉱線の橋梁跡が残る。 | |
N常磐炭礦専用鉄道神ノ山鉱線の橋梁跡が残る。 | |
N常磐炭礦専用鉄道神ノ山鉱線の廃線跡。 | |
O常磐炭礦専用鉄道神ノ山鉱線の廃線跡。 | |
P常磐炭礦専用鉄道神ノ山鉱線の廃線跡。 | |
Q常磐炭礦専用鉄道神ノ山鉱線の廃線跡。 | |
R常磐炭礦専用鉄道神ノ山鉱線の廃線跡。 | |
S橋梁の幅は複線の幅の様だ。 | |
S橋梁の先は竹藪が待っていた。 | Sお化けの顔のようで怖いです(笑) |
S常磐炭礦神ノ山礦石炭積込場。 | |
S常磐炭礦神ノ山礦の石炭積込場を航空写真で見た状況。ブロックを並べた様だ。 | |
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