更新日時 2010年02月12日
山口炭鉱専用軌道 開設 昭和21年(1946年)02月 廃止 昭和33年(1958年)02月 全長 常磐線磯原駅〜北茨城市磯原町大塚(山口炭鉱)4.28q 所在地 茨城県北茨城市磯原町大塚494 年間生産量 51,582t 労務者数 48人 |
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@磯原駅(いそはらえき)は、茨城県北茨城市磯原町磯原にある東日本旅客鉄道(JR東日本)常磐線の駅である。北茨城市の代表駅である。駅構造は相対式ホーム2面2線を有する地上駅。橋上駅舎を持つ。指定席券売機、みどりの窓口(営業時間 6:00 - 20:00)、Suica対応自動改札機設置駅。 | |
@磯原駅前のモニュメント。 | |
@磯原駅の山口炭鉱の側線が有った場所。 | |
A山口炭鉱専用軌道はここから分岐していた。 | |
B磯原保育園の脇が山口炭鉱専用軌道跡だ。 | B吟龍院円福寺境内に穴が沢山開いている。砂岩の様だ。隧道も掘りやすいだろう。 |
B杉の子幼稚園の脇が山口炭鉱専用軌道跡だ。 | B隧道発見しかし閉塞している。 |
B隧道の下半分は埋まっている様だ。 | B穴の中を見ましたが見えません(笑) 誰かファイバースコープを持っていませんか? |
C隧道の反対側も閉塞されている。隧道の大きさはそのままの様だ。 | |
C隧道の角度から右写真の民家あたりを通っていた様だ。隧道は左資材置き場奥。 | |
D山口炭鉱専用軌道跡は市街地では全く解らない。 | |
Eこの先の軌道位置から、この辺を通過していたと思われる。 | |
E大北川支流の花園川を山口炭鉱専用軌道渡っていたが橋梁の跡は解らない。 | |
F大北川支流の花園川を山口炭鉱専用軌道が渡った辺り。 | |
G山口炭鉱専用軌道は市道に転用されている。 | |
H山口炭鉱専用軌道の測道側と重内炭鉱専用軌道(県道22号線)が近接し平行して走る区間。 | |
I山口炭鉱専用軌道の測道側と重内炭鉱専用軌道(県道22号線)が再び離れて行くところ。 | |
J山口炭鉱専用軌道の痕跡がはっきり解るところ。 | |
Kここから一方通行の道が山口炭鉱専用軌道の廃線跡になる。 | |
K相田川を渡る。 | L常磐自動車道を越える。 |
M山口炭鉱専用軌道跡は一直線の一方通行の道路として転用されている。 | |
N一方通行の道路が終わると、再び砂利道の廃線跡になる。 | |
O山口炭鉱専用軌道跡は切り通しの砂利道の廃線跡になっている。 | |
O用水路に橋梁のH型鋼を切断した跡が残る。 | |
O用水路を過ぎると再び砂利道の廃線跡が続く。 | |
I重内炭鉱専用軌道と山口炭鉱専用軌道の平面クロス地点。(重内炭鉱専用軌道側) | |
I重内炭鉱専用軌道と山口炭鉱専用軌道の平面クロス地点。(山口炭鉱専用軌道側) | |
P木皿歩道橋この橋も旧山口炭鉱専用線の橋梁跡か? | |
P木皿歩道橋脇に山口炭鉱専用線の橋台跡が残る。 | |
Q山口炭鉱専用線の廃線跡。 | |
R山口炭鉱専用線の廃線跡。 | |
S山口炭鉱の石碑が残る。 | |
Q雁ノ倉操車場への分岐部。 | @山口炭鉱専用線の廃線跡。 |
P山口炭鉱専用線の三角地帯。 | |
A橋台の形から、線路は3車線有ったと思われる。 | |
A山口炭鉱専用線の三角地帯合流部。雁ノ倉操車場側。 | |
B雁ノ倉操車場が有った場所にレールが残る。地元のおじさんに聞いたら以前、三角地帯のレールを撤去したそうだ。 | |
B雁ノ倉操車場跡にはレールが残る。 | |
Cレールは駐車場の境界線代わりになっている。 | |
C雁ノ倉操車場跡。右写真の建物は解体中であった。 | |
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