更新日時 2022年04月04日

廃線探索 佐賀線
 佐賀線(さがせん)は、佐賀県佐賀市の佐賀駅と福岡県みやま市(廃線時:山門郡瀬高町)の瀬高駅を結んでいた日本国有鉄道(国鉄)が運営していた鉄道路線(地方交通線)である。国鉄再建法に基づき第2次特定地方交通線に指定され、国鉄分割民営化直前の1987年に廃止された。矢部川は現在の瀬高、隈府は菊池市であり、さらに豊肥本線の肥後大津へ、隈府からは分岐線が久大本線の豊後森に至るという壮大な計画であった。矢部川からは東肥鉄道(後に九州肥筑鉄道と改称)が熊本県南関までを開業、分岐線も1937年に国鉄宮原線として豊後森 - 肥後小国間が一部開業したが、いずれも廃止されている。また、佐賀線の開業前に矢部川 - 柳河間で1911年より軽便鉄道の柳河軌道が営業を行っていたが、佐賀線の開業に際して廃止補償を受ける形で、矢部川 - 筑後柳河間開業後の1932年2月21日に廃線となった。当線は諸富 - 筑後若津間で筑後川を、筑後若津 - 筑後大川間で花宗川を渡ることになったが、通常の橋では大型船舶の航行に支障をきたすおそれがあるため、筑後川に架かる筑後若津橋梁(通称筑後川昇開橋・全長506m)は、列車通過時以外は橋桁中央部を23m上昇させることができる可動橋(昇開橋)とし、花宗川に架かる花宗川橋梁(全長64m)は橋桁を両側に75度跳ね上げることのできる跳開橋(跳ね橋)とした。佐賀線廃止後、花宗川橋梁は撤去されたが、筑後川橋梁は保存され、国の重要文化財に指定されている。
駅一覧
佐賀駅 - 東佐賀駅 - 南佐賀駅 - 光法駅 - 諸富駅 - (筑後川信号場) - 筑後若津駅 - 筑後大川駅 - 東大川駅 - 筑後柳河駅 - 百町駅 - 三橋駅 - 瀬高駅
 @佐賀駅(さがえき)は、佐賀県佐賀市駅前中央1丁目11番10号に所在する九州旅客鉄道(JR九州)長崎本線の駅である。佐賀県の県庁所在地の代表駅で1日に発着する列車は長崎本線・佐世保線・唐津線合計190本。以前は佐賀線という路線が存在した。
 @島式ホーム2面5線を有する(1番線の外側に機回し線がある)複線高架駅で高架下に駅舎・コンコースがある。1番線の鳥栖方には切り込み線があるが、これはかつて佐賀線(1987年廃止)の列車が発着していた名残である。
 @1番線の鳥栖方には切り込み線があるが、これはかつて佐賀線(1987年廃止)の列車が発着していた名残である。一部であるが佐賀線の高架も残っている。運転扱い上は、1番が機回し線、2番が1番のりば、4番が2番のりば(下り本線)、5番が3番のりば、6番が4番のりば(上り本線)となっており、3番はかつての佐賀線用切り欠きホーム(線路は撤去済)で欠番となっている。なお、旧国鉄の高架新駅誕生当初の番号が現在も使用されている。
A長崎本線と佐賀線の分岐部。佐賀線は廃線時は高架だったようだ。
A佐賀線の分岐後は高架は一部残っているが、枕木線路は取り外されているようだ。
A佐賀線の高架が残っているのは分岐して直ぐの所まで。
A佐賀銀行事務センター方向へ延びていた。 Aこの橋台は引き込み線跡?
A佐賀銀行事務センター脇を通っていた。 Bブロック塀の細い土地の部分が廃線跡。
B佐賀駅 - 東佐賀駅間に残る旧国鉄時代の境界杭。廃線跡の証しである。
 C東佐賀駅(ひがしさがえき)は、かつて佐賀県佐賀市東佐賀町にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。廃止時は単式ホーム1面1線を持つ無人駅であった。
 C東佐賀駅の駅跡は国道を跨ぐ築堤の途中にホームがあり、駅舎は築堤の下にあった。廃線後は築堤は取り除かれ、道路になっていて記念碑などは建てられていない。
C佐賀駅 - 南佐賀駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
D佐賀駅 - 南佐賀駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
D曙橋。佐賀駅 - 南佐賀駅間の廃線跡。  D都市計画道路に架かる「佐賀線偲橋」(付近を流れる八田江川に架かる)の欄干に蒸気機関車の彫刻が施されている。
E南佐賀東交差点。 E徐福サイクルロード入口。
 E南佐賀駅(みなみさがえき)は、かつて佐賀県佐賀市北川副町大字木原(現・南佐賀二丁目2番)にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。
 E南佐賀駅は廃止時は単式ホーム1面1線を持つ無人駅。佐賀駅方に貨物・保線用の引込み線があり、国鉄無線の中継所があった。
E南佐賀駅は廃線後は、当駅から筑後川昇開橋まで、徐福サイクルロードとして整備されている。
 Eまた、ホームや、レールなどが残されているが、駅舎だけは当時からの建物を改築し、内部はトイレになっている。
F南佐賀駅 - 光法駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
F南佐賀駅 - 光法駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
F南佐賀駅 - 光法駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
 G光法駅(みつのりえき)は、かつて佐賀県佐賀市北川副町大字光法にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。
G光法駅は廃止時は単式ホーム1面1線を持つ無人駅であった。
H光法駅 - 諸富駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
H光法駅 - 諸富駅間の旧国鉄佐賀線の大江湖橋。
I国道208号線を渡る旧国鉄佐賀線のふれあい橋。
I光法駅 - 諸富駅間の旧国鉄佐賀線のふれあい橋。
J獅子の広場。 Jふるさとちびっこギャラリー
 J諸富駅(もろとみえき)は、かつて佐賀県佐賀郡諸富町(現・佐賀市)にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。地名は「もろどみ」だったが、駅名は「もろとみ」であった。
 J諸富駅は廃止時は相対式ホーム1面2線を持つ、列車行き違い可能駅であったが、運転要員のみが配置され、営業上は無人駅であった。また、多数の側線を有した。廃線後は、町営の体育館や産業振興会館になっている。ホームなどの当時の設備は残っていない。また、1970年代頃まで、瀬高駅方に、味の素九州工場の引込み線があった。
 K筑後川信号場(ちくごがわしんごうじょう)は、かつて福岡県大川市大字向島にあった、日本国有鉄道佐賀線の信号場(廃止)である。一般にある列車を行き違いさせるための施設ではなく、昇開橋の橋げたを制御するための施設である。係員は、福岡県側から渡って中央部に行き来していた。
K筑後川昇開橋は平成21年10月26日から改修工事のため通行止めだった。もう少し早く来ていれば。
 K佐賀線は昭和6年9月、瀬高−柳川間が開通したのに始まり、昭和10年に筑後大川−佐賀間が開通して全線開通となった。以後、廃線となった昭和62年まで長崎線(佐賀駅)と鹿児島線(高瀬駅)を結ぶ短縮路線として通勤、通学に利用されたほか、産業面では工場の原料輸送や家具の流通、あるいは観光の足として活躍されてきた。
 K筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう、Chikugo River Lift bridge)は、日本国有鉄道(国鉄)佐賀線に存在し、筑後川をまたいで福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町(廃線時:佐賀郡諸富町)を結んでいた鉄道用可動式橋梁である。但し、「筑後川昇開橋」は、あくまでも通称名で、正式名称は筑後若津橋梁(ちくごわかつきょうりょう)である。重要文化財及び機械遺産に指定されている。
 K筑後川昇開橋は、国鉄佐賀線の鉄道橋梁として建設され、1935年(昭和10年)竣工、同年5月25日に開業した。舟運との共存のため、橋の一部が可動式となっている可動橋には旋回橋、跳開橋(跳ね橋)、昇開橋などがあるが、本橋は橋桁の一部が垂直方向に上下する昇開橋として日本に現存する最古のものである。橋の全長は507.2メートル、可動部分の長さは24.2メートル、昇降差は23メートルである。本橋の設計施行に中心的役割を果たしたのは、鉄道技師の釘宮磐(鉄道省熊本建設事務所長)であった。昇開橋の仕組みそのものは、坂本種芳が考えた。竣工当時は「東洋一の可動式鉄橋」と呼ばれた。また、この筑後川昇開橋の構造を解説するために精巧な模型が交通博物館(閉館)及び鉄道博物館(埼玉県さいたま市)で展示されている。ちなみに、昇開橋の精巧模型は1937年にフランス・パリで行われたパリ万博に出展されたものである。
 K建設するにあたっては、位置的に筑後川の河口付近で、有明海の潮の干満の影響も直に受ける地理的条件があり、しかも、付近には港もあり、建設当時は船が主要交通機関であったため、大型船の往来も激しかった。通常の橋だと干満の影響で船が通れなくなってしまう可能性があったため、中央部の橋が稼動して船が通れる構造になった。
 K国鉄の民営化を前に1987年3月27日限りで佐賀線は廃線となり、同橋梁も閉鎖され、筑後川を管理する当時の建設省からも撤去勧告がなされ、解体も検討されたが、地元では橋存続の要望が強く、1996年(平成8年)に遊歩道として復活し、現在では大川市と諸富町のシンボル的存在である。また、橋の両端には公園が整備されていて、現役当時の橋の姿のモニュメントや佐賀線に使われていた3灯式信号機や警報機などが保存されている。
 K2003年(平成15年)に、国の重要文化財に指定され、2007年(平成19年)に日本機械学会より機械遺産に認定された。ちなみに、筑後川昇開橋から大川方面に1kmほど進んだところに花宗川があり、佐賀線が廃止されるまでそこには跳開橋(跳ね橋)が設けられていたが、廃止から数年後に撤去され面影も残っていない。
K筑後川昇開橋(2022年2月撮影)YouTube動画リンク
K筑後川昇開橋(2022年2月撮影)
K筑後川昇開橋(2022年2月撮影)
K筑後川昇開橋(2022年2月撮影)
K筑後川昇開橋(2022年2月撮影)
K筑後川昇開橋(2022年2月撮影)
K筑後川昇開橋(2022年2月撮影)
 L筑後川昇開橋(ちくごがわしょうかいきょう、Chikugo River Lift bridge)は、日本国有鉄道(国鉄)佐賀線に存在し、筑後川をまたいで福岡県大川市と佐賀県佐賀市諸富町(廃線時:佐賀郡諸富町)を結んでいた鉄道用可動式橋梁である。但し、「筑後川昇開橋」は、あくまでも通称名で、正式名称は筑後若津橋梁(ちくごわかつきょうりょう)である。重要文化財及び機械遺産に指定されている。
 L筑後川昇開橋展望公園:国鉄佐賀線は昭和10年(1935年)5月25日鹿児島本線瀬高駅と長崎本線佐賀駅を結ぶ鉄道(総延長24km)として筑後川昇開橋を含む全線が開通した。佐賀線の開通以前、大川・柳川地区から佐賀・長崎方面へ行く場合は、鳥栖・久留米を経由するほかに方法がなく、まさに“陸の孤島”とされていた。鉄道開通以後、佐賀市までの通勤通学や筑後平野でとれた米の輸送も速くなり、また、以前は木材の輸送もイカダで運ぶだけであったが、この鉄道により各地の木材も送り込まれ、家具建具の生産が増え、まちの発展に大きく貢献した。昭和30年(1955年)大川橋が開通し、乗用車の普及やバスの路線の充実により年々利用者が減り、貨物も陸運輸送の発展にともなって取扱量が減少したため、第二次廃止対象路線に指定され、昭和62年(1987年)3月27日をもって、52年にわたる鉄道の歴史に幕を閉じた。筑後川昇開橋は、船舶航行のために中央部が上下に動く昇降式可動橋では東洋一といわれ、現存する可動橋としては、この橋が全国唯一である。この歴史的文化遺産を保存し後世に伝えるため、展望プロムナードとして再生し、筑後若津駅跡地を中心に駅舎をイメージした展望棟、モニュメント等を設置し、『筑後川昇開橋展望公園』として総合的に整備したものである。
 L筑後若津駅(ちくごわかつえき)は、かつて福岡県大川市大字向島にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。廃止時は単式ホーム1面1線を持つ無人駅であった。
L昭和13年頃の昇開橋と大型汽船。 L昭和60年頃の昇開橋と気動車。
L昇開の鐘ベルと昇開橋。昇運・開運。
L筑後若津駅からは築堤が続いていたが現在は築堤は無い。
MDESIGN PROMENADE 展示写真リンク
M筑後若津駅 - 筑後大川駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
M筑後若津駅 - 筑後大川駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
M筑後若津駅 - 筑後大川駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
 N筑後大川駅(ちくごおおかわえき)は、かつて福岡県大川市大字小保にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。廃止時は単式ホーム1面、島式ホーム1面3線を持つ業務委託駅で、急行「ちくご」の停車駅であった。現在は記念碑が残され、ハローワーク及び道路に整備されている。
 N昭和10年(1935年)5月25日鹿児島本線瀬高駅と長崎本線佐賀駅とを結ぶ国鉄佐賀線(総延長24q)の開通と同時に開業した筑後大川駅は大川市における交通と輸送の中心としてその役割を果たし市社会経済の発展に大きく貢献した。ピークjには1日1000人以上の乗客数があり貨物では木工製品や米、農産加工品などが発送され木材や各種工業製品などが運ばれてきた。しかし乗用車の普及やバス路線の充実により年々利用者が減少し貨物も陸運輸送の発達に伴って取扱量が減少したため、昭和62年(1987年)3月27日国鉄佐賀線の廃止とともに半世紀にわたって親しまれ利用されてきた筑後大川駅は惜しまれながらその役目を終えた。
O筑後大川駅 - 東大川駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
O筑後大川駅 - 東大川駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
P筑後大川駅 - 東大川駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。(橋梁が残っていた)
P筑後大川駅 - 東大川駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。(橋梁が残っていた)
P筑後大川駅 - 東大川駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。道路の中央が廃線跡。
 Q東大川駅(ひがしおおかわえき)は、かつて福岡県大川市大字三丸にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。
 Q2007年秋ごろまで、廃線から20年経過しても、ホームや踏切灯が、営業当時のまま残存していたが、有明海沿岸道路の工事のため解体されている。現在は、かつて鉄道であった痕跡は残っておらず、説明版が建てられている。跡地は、交差点及び、大川東インターチェンジに整備された。
Q東大川駅は廃止時は単式ホーム1面1線を持つ無人駅であった。
R東大川駅からここまでは有明海沿岸道路に廃線跡が飲み込まれてる。
R再び廃線跡と解る道が出現。
R所々に佐賀線の橋梁が残っている。
R佐賀線の橋梁と電柱。
Rこの先藪が続く。 R相変わらず革靴で廃線探索(笑)
R東大川駅 - 筑後柳河駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
Rこの橋梁は新しいため、廃線後に付け替えられたと思われる。
Rこの橋梁は新しいため、廃線後に付け替えられたと思われる。
S東大川駅 - 筑後柳河駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。この橋梁は佐賀線の橋梁と思われる。
S東大川駅 - 筑後柳河駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。佐賀線の橋台が残っている。
@東大川駅 - 筑後柳河駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
 @筑後柳河駅(ちくごやながわえき)は、かつて福岡県山門郡三橋町(現・柳川市)大字柳河にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。廃止時は島式ホーム1面2線を持つ業務委託駅で、急行「ちくご」の停車駅であった。
 @駅跡は公園に整備されており、記念碑などは建てられていないが、かつての駅舎があった付近に写真付きの説明板が設置されている。また、佐賀駅側には陸橋があり、当時は佐賀線を立体交差するため建設されたものの、現在としては無意味な橋となっている。また、駅の屋根や線路が市営の運動公園「学童農園むつごろうランド」に移設されている。
@旧国鉄時代の境界杭が残っている。 @私を睨み付けています(笑)
A筑後柳河駅 - 百町駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
A筑後柳河駅 - 百町駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
A筑後柳河駅 - 百町駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
A筑後柳河駅 - 百町駅間の旧国鉄佐賀線の廃線跡。
A筑後柳河駅 - 百町駅間の旧国鉄佐賀線廃線跡。勾配標が残っている。
B筑後柳河駅 - 百町駅間の国道208号線の高架下を潜る旧国鉄佐賀線廃線跡。
 B筑後柳河駅 - 百町駅間の西鉄天神大牟田線矢加部駅近くをクロスするが佐賀線の駅は近くには無かった。
B筑後柳河駅 - 百町駅間の旧国鉄佐賀線廃線跡。
C廃線跡が工事されている。
C廃線跡はつぶされてしまうのだろうか? C県道柳川筑後線として廃線跡は整備されている。
D県道柳川筑後線として整備され廃線跡の痕跡が残っていない。
 E百町駅(ひゃくちょうえき)は、かつて福岡県山門郡三橋町(現・柳川市)大字百町にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。廃止時は単式ホーム1面1線を持つ無人駅であった。
 E駅跡は県道柳川筑後線として整備され、その痕跡を残すため石碑が建っているが、完全に道路として整備されており、かつて鉄道であった面影は残っていない。
F筑後柳河駅 - 百町駅間の旧国鉄佐賀線廃線跡は県道柳川筑後線として整備され痕跡が残っていない。
F筑後柳河駅 - 百町駅間の旧国鉄佐賀線廃線跡は県道柳川筑後線として整備され痕跡が残っていない。
 G三橋駅(みつはしえき)は、かつて福岡県山門郡三橋町(現・柳川市)大字中山にあった、日本国有鉄道佐賀線の駅(廃駅)である。廃止時は単式ホーム1面1線を持つ無人駅であった。
 G三橋駅跡は現在は県道柳川筑後線の道路になっていて、かつての駅跡付近には石碑が建てられている。百町駅と同じく、完全に道路として整備されており、かつて鉄道であった面影は残っていない。
H三橋駅 - 瀬高駅間の旧国鉄佐賀線廃線跡は県道柳川筑後線として整備され痕跡が残っていない。
H三橋駅 - 瀬高駅間の旧国鉄佐賀線廃線跡は県道柳川筑後線として整備され痕跡が残っていない。
I三橋駅 - 瀬高駅間の旧国鉄佐賀線廃線跡は矢部川手前で再び築堤が現れる。
I旧国鉄佐賀線の築堤。 I大和堰の説明看板。
I大和堰渡れそうな雰囲気だ。これが渡れないと大回りして歩いて行かなくてはならない。
I人が渡れる様に成っている。
Iこの方向に佐賀線の橋梁が架かっていた。 I二つ目の渡り。
I魚の形の魚道の渡り石。 I大和堰を渡りきった。
I地元のおじさんに聞いたら、橋は斜めに架かっていて、川を渡ってから土手に沿っていたらしい。
J橋を渡ってからここまでは、廃線跡は田圃になってしまい痕跡を辿ることが出来ない。
J築堤の跡と旧国鉄の境界杭が廃線跡の証拠。
Jここにも旧国鉄の境界杭が。
Jここから先はまた、廃線跡を辿ることが出来ない。
J地元のおばさんによると左写真の家の部分から右写真の煙突へ向けて廃線跡が続いていた。
K踏切跡に線路のレールが残っていた。
K古賀窒業の脇に廃線跡が残っている。
K小さな橋梁が残っている。鐵道省の銘板が古さを物語っている。
K旧国鉄佐賀線の貴重な鉄道遺産だ。
K高架下を旧国鉄佐賀線が潜っている。
L採石敷きの場所が佐賀線の廃線跡。 L鹿児島本線脇に佐賀線の廃線跡。
L旧佐賀線用0番のりば跡(駅舎の北側)
 L瀬高駅(せたかえき)は、福岡県みやま市瀬高町下庄2315番地に所在する九州旅客鉄道(JR九州)鹿児島本線の駅。廃止された佐賀線等の発着駅でもあった。
 L瀬高駅は2面3線相対式ホームの地上駅 西側に本屋駅舎 現駅舎は1979年(昭和54年)6月に改築された3代目。
Lすべての快速・準快速電車が停車するほか、一部の特急列車も停車する。
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