更新日時 2009年11月22日

廃線探索 長崎本線 佐賀旧線
 佐賀駅は1891年(明治24年)8月20日 - 九州鉄道(初代)の駅として開業。 1976年(昭和51年)2月19日 - 高架化工事完成により約100m北側に移転した。今回は高架化される前の長崎本線佐賀旧線を探索した。
@長崎本線(佐賀旧線)はこの部分から分岐していたようだ。
@分岐後直ぐの旧線の橋梁。
@長崎本線(佐賀旧線)の廃線跡は舗装されているが車輌は入れない。
A排水溝があり車輌は進入できない。 A左建物は佐賀銀行のデーターセンター。
A廃線跡はデーターセンターの駐車場に。 A旧国鉄の境界杭が残っている。
B佐賀銀行データーセンター駐車場から理研農産化工の敷地内へ旧線跡は続いている。
B永通堀橋梁の橋台が残っている。昭和42(1966年)年6月30日竣工。
B永通堀橋梁の橋台。この部分は複線だった様だ。
C旧国鉄佐賀線(旧線ルート)
C旧国鉄佐賀線旧線ルート
C旧国鉄佐賀線旧線ルート
D理研農産化工の敷地内にある、長崎本線(佐賀旧線)の橋梁。1966年製作の様だ。
D理研農産化工の敷地内にある、長崎本線(佐賀旧線)の橋梁。
D第1三本松橋梁。旧国鉄佐賀線と長崎本線の合流部分。昭和50年5月竣工。
 D旧国鉄の境界杭が理研農産化工の敷地内に有る。 D長崎本線(佐賀旧線)の橋梁。
D旧国鉄佐賀線と長崎本線の合流部分。第1三本松橋梁。
E長崎本線(佐賀旧線)の廃線跡は理研農産化工の月極駐車場になっている。
E廃線跡は理研農産化工の月極駐車場。  Fここから先は区画整理されていて廃線跡が解らない。
 F佐賀市役所前に保存されているD51 206 昭和12年3月に製作されて東北・日豊・鹿児島・筑豊の各本線を、昭和33年から昭和38年までは長崎本線を走り、昭和49年8月に廃車されるまで全走行キロ232万キロにおよび地球を58周したことになりました。(この線路は昔の長崎本線です)
G市役所前の駐車場は旧長崎本線佐賀駅構内。
Hここが、長崎本線旧佐賀駅前。
Iここまでは区画整理されていて廃線跡の痕跡を探すことが出来ない。
Jここから再び廃線跡の痕跡が現れる。
Jこの橋は旧線脇のメンテ用の橋梁? J旧線の橋台跡が残っている。
J旧線の橋台跡が残っている。 Jこの先も廃線跡と解る場所が続く。
K川浪川橋梁。昭和40(1965年)年4月30日竣工。
L長崎本線佐賀旧線の廃線跡。
L廃線跡はここから住宅街に飲み込まれて行く。廃線跡はどぶ沿いに沿っている。
M先ほどのどぶはここにつながる。 Mその先は公団住宅の敷地内へ。
Mこの先で長崎本線の新線と合流。  M長崎本線の高架の一部は1983年(昭和58年)に出来たようだ。
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